第6話
そこからだったのかもしれない。
いや、今思えば本当は最初から前兆はみられていた。
俺達を引き離そうとするものは、最初から影を潜めて君を蝕んでいたんだね。
あの日、クリスマスを忘れられてしまった事には腹が立ったし…悲しかった。
けれど、泣いて謝る君を前に怒れる筈もなく、結局許してしまうのは惚れた弱味だか何なのか。
反省してる事が凄く伝わってきたのもあるけれど、何より、君が忘れっぽい自分を責めていたから。
梨紗。
自分を責めるなんてしたらダメだよ。
俺は、忘れっぽい君も含めて好きだから。
そんな事で嫌いになれる程、この想いは弱くない。
だけど…
心配になるのも確かなんだ。
大晦日、俺達は一緒にカウントダウンを迎える事ができたよね。
新しい年の始めに君といられるなんて嬉しくて、来年も再来年もこの先ずっとこうして君といられたらなんて、俺は思っていたんだ。
そこでも君のカメラは常にスタンバイされていたよね。
「…新しい年は梨紗を抱き締めて始めたいよ」
そう不貞腐れた俺に、
「…新しい年初めの智の顔を写真に残したいよ」
俺の真似をしてそう言った君。
「…梨紗ちゃんには敵わない」
結局新しい年一番は、カメラのシャッター音で始まったね。
そして次の日…――新年2日目には、また鈴木が帰ってきたんだ。
君に付き纏っては、休みが終われば帰っていく。
一体いつまでこんな事が続くのだろう。
学校が始まって、また幸せな時間が訪れて。
試験の時は一緒に勉強をして、休日は二人でどこかへ出掛ける。
普段余り使っていないから乗り慣れてはいないけれど車だって運転できるから、少し遠出だってした。
けれど、幸せな時間はそう続かない。
「梨紗、思い出すんだ!君はそいつに洗脳されているだけだ!」
だって春休みには鈴木が帰ってくるんだ。
「梨紗…お願い。俺から離れないで…」
「うん、智。離れる訳ないでしょ」
君はもう鈴木なんて相手にしていないのに。
しつこい鈴木に、たまに不安になってしまう俺に君はいつも、『どっちが年上か分からないね』なんて笑ってくれたんだ。
そうして俺達は一つ学年が上がった。
俺は4年生に。
君は3年生に。
「智、もう4年生だよ?就活しなきゃね。しばらく会うのよそっか」
笑って意地悪言う君に、
「嫌。それだけは絶対に嫌だよ」
本気になって答えてしまった俺。
「冗談だよ!」
もっと笑われたけれど、俺はもう君に会えない日なんて想像もできなかったのだ。
それに俺は今更頑張って勉強しなくても、どこへでも就職できるだろうから。
本当の事だから、謙遜もしません。
君は知らないだろうけど、今まで地道に努力してきたんだよこれでも。
将来の夢が決まった瞬間から。
「智って将来の夢あるの?」
「もちろん」
将来の夢は疾うに決まっていた。君を好きになった時点で俺の夢は確定したのだ。
「本当?教えて!」
「秘密」
まだ教えてなんてあげない。
そして1年記念日の日。
俺達の想いが通じ合ってから1年の月日が流れた。
勘違いから始まった恋でも、こうして今も君と一緒にいられるのだから、俺はそれを運命だと呼ぶよ。
運命だなんて女々しい考えなのかもしれないけれど、それを運命と言わずして何を運命と言うのだ。
…なんて、ただ俺が梨紗と出会えた事を運命だと思いたいだけなのだけれど。
1周年記念を俺の家で祝った後、……俺は初めて君を帰さなかった。
今までは、俺を信じてくれている君のお母さんを裏切れなくて、いつも泊まらせる事はなかったけれど……この日は君を離したくなかったのだ。
我儘言ってごめん。
そう言った俺に、
「馬鹿ね」
呆れたように君は笑って、
「我儘じゃないでしょ?…智だけじゃなくて、あたしも離れたくないって思ってるんだから」
俺を抱き締めてくれた。
「それに…お母さんなんて、智くんの家に泊まらないの、なんて聞いてくるのよ?」
恥ずかしそうに呟いた君に俺は深い口付けをしたのだ。
…その日、初めて俺達は一つになったね。
とても綺麗で、君の流した涙の一筋まで俺は一生忘れられないと思った。
幸せで。
幸せで。
何度も何度も君の名前を呼んだ。
「智っ…」
俺に応える君の声が震えていた事に気付いていたけれど、それさえも愛しくてもっと欲しくなってしまったのだ。
付き合って1年で、なんて遅いって言われるかもしれないけれど、俺達は俺達のペースで歩んで行きたい。
人生は長い、焦らなくてもまだまだ時間はたくさんあるんだから……
俺達の2回目の夏休みには、俺ももう鈴木なんて相手にしなくなって。
あぁもう鈴木と会って1年も経つんだな、なんて思える程になっていた。
今年も二人でいろんな場所に行った。
去年も行った所から、今年できたばかりの遊園地まで。
買い物にも行った。
お金がなくなると、お互いの家でまったりとくつろいだりして。
…やはり俺は君が傍にいてくれるだけで、他は何もいらないのだ。
君と一緒ならどこにいたって何をしていたって幸せなのだから。
「智~、」
「何?……あ、」
パシャ――
「たまにはカメラ目線のナルシ智くんが見たくなる、時もあるかもしれない」
「ナルシは余計だよ」
君は相変わらずどこでも写真を撮っていたよね。
見た事はないけれど、きっと君の撮った写真にはとびきりの笑顔の俺がいるんだろうな。
就活する時だけは君と居られなかったね。
寂しかったけれど、毎日面接の練習をして勉強をして、将来の為に頑張った。
無事就職先が決まったらたくさん甘えさせてもらうんだ、って自分を奮い立たせてね。
「智~、アレして?」
「アレって?」
「だからアレだってば」
「うーん、えっちなこと?」
「もう!違うよ、馬鹿!!」
もうその頃になると、君が言葉を忘れるなんて日常的だと認識していた。
異常な程の君の忘れっぽさに心配しても、君が『新しい事覚えると、古い記憶が消えちゃう』なんて平気そうに笑うから、俺もほっと安心していたんだ。
結局この時のアレは、今でも分からず終いで、この先だって一生知る事はできないのだ。
それから見事俺は念願の会社に採用される事が決まり、後はきちんと必要単位数を取れば大丈夫だった。
今までも全ての単位を落とさず取ってきたし、だからといってこれからも落とすつもりはない。
単位認定になる資格も取っていたし、必要単位数を優に越えての卒業となれるだろう。
君と一緒に過ごせる最後の大学生活。
イベントがあるごとにその青春を謳歌して、初めて一緒に過ごしたクリスマスだって今度は君が忘れないよう君の家で家族団欒でパーティーをした。
バレンタインだって何故か手作りするからって俺も駆り出されて手伝い、甘いチョコレートを一緒に作って二人で食べた。
大学生最後の日には、君と二人で構内全ての場所を見て回った。
…――そして、俺は大学を無事卒業し、君は4年生になった。
俺はそれを機に、一人暮らしを始めた。
仕事が忙しくてたまにしか君に会えなくなったけれど、その分会えた時の喜びが増した。
週末に君に会える楽しみを思えば、どんなに辛い仕事だって頑張れたのだ。
……そう思っていたのは、俺だけだったのかな。
「…寂しいよ」
君はそう言った。
会えなくなった事が寂しい、と。
仕事なんだから我儘言っちゃダメだってずっと我慢してたけど…、と。
強かった君をこんなにも弱くしたのは、他でもない俺自身だ。
俺が君に会えないのが嫌で、毎日会っては抱き締めていたから……だからその分会えない時の寂しさが大きいのだ。
ごめんね。
俺、君を弱くしたのかな。
もちろん俺だって寂しいのだけれど、何て言うか……前の君はそれを我慢できないなんて言わなかったでしょう?
ううん、別に我慢できない君が嫌なんじゃなくて……ただ、弱くしてしまったのなら責任を感じる。
でも結局は責任の取り方なんて分からない俺は、一つの案しか浮かばなくて。
「梨紗。一緒に暮らそうか」
俺のその言葉に、君は驚きながらも頷いたのだった。
悩まなかったと言えば嘘になる。
一緒に暮らすと言う事は、何も楽しいや幸せだけを運んでくれる訳ではない。
言うのは少しあれなのだが、金銭面や世間体なんかが邪魔をしてきたり……
でもやっぱり結局はそんな事よりも俺がただ君の傍に居たかったから同棲を提案したのだけれど。
それからすぐに始まった俺と君の所謂同棲生活は、思っていた以上に上手くいった。
君が作ったお弁当を持って、君に見送られて仕事へ行く。
そんな幸せを毎日感じられた。
「…――お帰りなさいっ!」
なんて、仕事が終わって疲れている俺を迎えてくれるのも凄く嬉しかった。
それだけで疲れが飛ぶようだった。
今まではどれだけ疲れていても、家に帰ればまた家事と言う仕事をしなければならなかったから。
「お風呂できてるよ、入ってくる?あたし晩御飯作ってるから」
とっても最高だよね。
結婚したらこういう感じなのかなって、想像して無意識に笑みが溢れた。
何て幸せなのだろう。
こんなに幸せで良いのだろうか。
「ありがと、入ってくる」
梨紗の唇にチュッとキスをして、俺はお風呂に向かった。
脱衣所に入ると、何やらまだお湯を入れているようで、お風呂場からは水の流れる音が聞こえた。
『お風呂できてるよ、』
不思議に思った俺がそのまま衣服も脱がずお風呂場の扉を開けると、
「…っ!?」
…――出しっぱなしのお湯が湯船を溢れ出し、床に大きな水溜まりを作っていた。
一体いつから出しているのか。
慌てて靴下を脱いでズボンを捲り上げていると、
「智、熱くない?」
後ろに梨紗の気配がして、俺は慌てて風呂場へと足を踏み入れると蛇口を捻ってお湯を止めた。
「…やだっ…」
梨紗はお湯浸しのお風呂場を見て、吃驚したように口を両手で覆った。
「ご、ごめんなさいっ…あたし、忘れてたみたい…」
怒られた子供のようにしゅんとして謝る梨紗に、
「…それより料理の方が大丈夫?火とか点けっぱなしにしてない?」
大丈夫だよ、と微笑むと、
「あ、そうだった。…本当にごめんね?」
梨紗は申し訳なさそうな顔を残して、思い出したようにキッチンに戻って行った。
…何か梨紗、心配だな。
そう思った俺は、急いで衣服を全て脱ぎお風呂場に入って身体を洗った。
泡だらけの俺の瞳は、先程の水害事件で誘拐されてしまったらしいアヒルちゃんを排水口の上で発見した。
それを手に取りながらふと思う。
今度こういう事があれば、梨紗を病院に連れて行こう。
本当にただの物忘れなのなら、良いのだけれど。
お風呂から上がった俺の前には、御馳走が並べてあった。
俺が頭を拭きながら椅子に座ると、梨紗が俺の後ろへまわり、タオルを受け取って代わりに優しく頭を拭いてくれた。
「…美味しい?」
手を止めて、不安そうに聞いてくる梨紗に、
「凄く美味しい。梨紗は良いお嫁さんになれるね」
本当にそう思ったから言ったんだ。
すると梨紗が「智のお嫁さん?」なんて笑うから、俺は「もちろん」と答えて、そして「それしかないよね」と二人で笑った。
早く梨紗が大学を卒業すればいいのに。
そうすれば俺は心置きなく君にプロポーズができる。
それまでに資金を貯めて……うん、凄く理想的な夢だ。
梨紗、俺頑張って仕事するから。
毎日こうやってお迎えして、毎日「行ってらっしゃい」ってキスしてね。
それだけで俺は疲れなんて飛んでいくから、頑張ろうって気になるのだから。
休みの日は二人でドライブでもしよう。
疲れてるのは、俺だけではなく君も同じでしょう?だからたくさん遊んでたくさん笑って、疲れを癒しちゃおうね。
そしたらまた、月曜日はお互い頑張れるよね。
「柏木、誰かと一緒に住んでんの?」
「え、何で?」
昼時、会社の休憩室で机に置いた鞄からお弁当を取り出した俺に同僚の山田が突然聞いてきた。
山田は年も同じだという事もあって、俺とは何かしら話が合う。
「今日も弁当じゃん。…まさか、この年になって母親に作ってもらってるんじゃないだろ?」
山田は俺の前にあるお弁当箱に視線を向けながら、怪訝な顔をした。
俺が作ったとは思わないのか。
まぁ今まではコンビニ弁当とかだったから、山田が不思議に思うのも仕方がない。
「うん。彼女と住んでる」
「おい~、羨ましいな。今度紹介しろよ?」
無意識に緩んだ俺の口元を発見して、これだとばかりに山田は絡んできた。
「そういう山田は彼女いないの?」
しまった、と話を変えた俺の瞳に映るのは、まぁまぁ普通の容姿の普通の男。
「モテる男は辛いからな~。俺に選ばれなかった女が可哀想じゃん?」
嘘だとはもう見た目から分かっているのだけれど、山田のこういうところに俺は仲間意識を持ったりする。
…なんでかは分からないけれど。
「俺の方が断然格好良いんだけどね」
「いやいや、まぁ百歩譲って同じくらいだろ!」
社内の抱かれたい男NO.1の俺に楯突く山田は、……まぁベスト10には入っていなかったな。
「山田…そんな見栄は、自分が惨めになるだけじゃない?」
山田を見ながらクスクス笑って、俺は今朝梨紗に渡されたお弁当箱を開けた。
「おい、お前って奴は……ってあれ?お前の弁当…」
「うん?」
山田のきょとんとした顔に、視線をお弁当に戻す。
「……」
「ぎゃははは!!なんだそれ!!昨日喧嘩でもしたのか!?両方米じゃねぇか!!」
「……」
笑い飛ばす山田は反対に、俺は声さえも出す事ができなかった。
俺はただ、二段弁当の上も下も両方米だけが敷き詰められているそれを唖然と見る事しかできなかった。
喧嘩なんてした覚えない。
今朝だって、ちゃんとキスをして見送ってくれたばかりだ。
…梨紗、俺は本当に心配になるよ。
君の体に何が起こってるの。
それは…精神的なものなの?
俺と暮らしていて…何かが辛いの?
分からないよ。
言ってくれなきゃ、分からない。
梨紗…お願いだから、俺に頼ってよ…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます