限界
蒼と帰らなくなって1週間が過ぎていた。
そろそろ芹に対する罪悪感が膨らむ。
芹は口にこそ出さないけれど、きっと航君が恋しくなっていると思う。
私も…大概きつい。
この1週間は、私にとって1年にも2年にも感じたものだ。
今まで必死に縋り付いてたと言っても過言ではないほど一緒にいたから、その分凄く寂しさが募った。
けれど、少し効果有りかな、なんて思う時があるんだ。
私がちらっと蒼を見ると目が合う、という状況が多い気がする。
それは芹を見ていて、振り返った私がたまたま目に入っただけなのかもしれないけれど、それでもどこか期待をしてしまう。
なら後もう少し、我慢して頑張ろうか。
そういう気持ちになる。
けれどそんな自分勝手な言い分に芹を巻き込むのはこれ以上は可哀想だから、次は晴貴かななんて。
私から蒼と芹を取ったら晴貴しか残っていないような気がして、その余りの悲しい現実には気付かないフリをした。
「晴貴、一緒に帰ろ?」
放課後、授業が終わるや否や晴貴の傍へと鞄を抱いて行く。
一応、教室内に蒼がいない事を確認したのだけれど、そんな心配は端から必要ないのかもしれない。
蒼が私に興味ないのはすでに知っている事だし。
「あー…芹と一緒に帰ってもらえよ」
「用事あるの?」
「うんまぁ、つっても野朗共と、」
「……」
「…いや、そっちは断る。ちょっと待ってろ、一緒に帰ろう」
頭を傾げていた私に晴貴は何故か小さく苦笑すると、教室にいた友達に今日は私と帰る旨を伝えに行った。
「良かったの?」
戻ってきた晴貴にそう問えば、「藍、どっか寄ってくか」なんて私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
乱れた髪を直しながら晴貴を見上げると、その口元に笑みが浮かんでいたから、どうしてか私も「うんっ」と笑顔になった。
「どこ行くの?」
「どこ行くかな」
「ねぇねぇ晴貴、私ドーナツ食べたい」
「ポンデリング?」
「あー、…うん」
「何その間」
「ううん、ちょっと嫌な事思い出しただけ。行こ」
「おう」
昇降口を抜けて、たわいもない話をしながら、帰宅する生徒に紛れて校門まで進む。
校門近くで今日も芹と航君が仲良さげに話しているのを見付けて、ちらと教室のある方を向くと、やっぱり蒼らしき影が見えて、私はすぐに視線を逸らした。
「…昨日」
久しぶりに蒼の傍へと切れかけたバッテリーを補充しに行った私に、珍しく蒼からその口を開いた。
私という人間は昨日我慢して頑張ろうと決めたにも関わらず、もうすでにその決意を水の泡にしている。
余りの寂しさに足が勝手に蒼の傍へと向かってしまった訳なのだけれど、蒼は相も変わらず私に興味ないようで、やっぱり視線も寄越して来ない。
話し掛けてきてくれた割りに、その顔さえ私に向けてくれない。
いつもと同じ態度のそれに、今日は何故だかとても寂しくなってしまい、視線が自然と蒼から離れる。
1週間ぶりに近付いた事を貴方は分かっているの?
蒼の態度に、私の我慢に我慢を募らせたこの1週間がとても無駄なものだったと、嫌でも気付かされる。
視線が合う回数が多かった、なんて私は何を勘違いしていたんだろう。
蒼の後方で、芹と晴貴が楽しげに話しているのが見える。
私だってあんな風に隔てなく蒼と接したいのに、これ以上嫌われるのが怖くてそれができない。
晴貴には普通に触れる事のできる手は、今はガッチリとスカートの裾を握ってる。
この手が蒼に触れられたらどんなに幸せか。恨めしそうに二人に視線を向けていると、
「…何見てんの」
思っていたより近くから蒼の声が聞こえて、肩がびくっと震えてしまった。
『何見てんの』と言うからには私の瞳を見ていたのだろうけれど、慌てて蒼へと視線を戻した時にはその瞳は変わらず自身の手元を見ていたから、本当のところはどうなのか分からない。
「ご、ごめん。それで昨日何?」
取り繕うようにそう聞いてみるが、返ってきたのは「…もういいよ」なんて突き放した言葉。
「えっ、ごめんって」
「大したことじゃないから」
「えー、気になるのに」
「気にしないで」
「『昨日』の続きが聞きたいよ」
「忘れた」
慌ててその言葉の続きを聞き出そうとするが、代わりに絶対嘘だと思うような言葉が返ってくる。
終いには、机へと突っ伏してしまった蒼。その姿は、もうこの話は終わりだと、しつこく聞く私への牽制。
話し掛けてきてくれているのに視線を外すなんて、と。とてつもない後悔が押し寄せてくるけれど、あの時はあの時でそうせざるを得ない理由があったのだから仕方がない。
けれど、
(蒼から話しかけてくるの、本当に珍しいのに…)
やっぱりそうは思ってしまう。
「…ごめんね?」
「うん」
寝はしないのだろうけれどそれと同じ体制の蒼に謝罪の言葉を口にすると、小さくそう返ってきた。
昨日、か…昨日はいつもと違ったのは晴貴と一緒に帰った事くらいだけれど、それは関係ないよね?
なんて『昨日』の続きの言葉が現在進行形でとても気になっているけれど、もうそれも聞けそうにない。
どうしてあの時いつもみたいに蒼を見ていなかったの、と自己嫌悪。
後悔しても、過去の事。もうどうする事もできない。
そんな時、
「藍!ちょっと来い!」
蒼の隣でしゅんとなっていた私に晴貴の声が届く。
俯いていた顔を上げると、蒼の奥で晴貴と芹が手招きしていて。
「蒼、ちょっと行ってくるね」
なんて聞いてはいないだろうけれど、一応蒼に断ってから二人の傍へと向かった。
「どうしたの?」
前後の席に座る二人の前に立った私がそう聞くと、二人はシンクロしたように顔の前に手を合わせて、声を揃えて言った。
「課題見せてよ!」
「課題見せろよ!」
二人の懇願するような姿に、またか、と苦笑いしながらも私は一旦自分の席へと戻って鞄の中からプリントを探す。
ちらと隣の席でいつの間にやら上半身を起こして携帯をいじっている蒼を横目で見ながらも、プリントを探し出すと、再び芹達の下へと戻った。
「お前までしてなかったらどうしようかと思ったよ。芹、してねんだもんな」
片手で私からプリントを奪い取った晴貴は、自分の事を棚に上げて芹に『マジ役に立たねぇ』と言う視線を向ける。
目は口程にものを言う。まさにそれだ。
そんな晴貴の視線に気付かないのか、それともただ放っておいているだけなのか、
「晴貴がしてると思ったんだもん!」
芹はぷーと頬を膨らませると、晴貴から私のプリントを奪ってそれを早速写していく。
「あの先生、提出遅れたらすげぇ減点すんだよな」
笑いながら一生懸命人の努力を写す二人に、私は「いや、宿題くらい自力でしようよ」と呆れるのだけれど。
「いいか、藍。犬も歩けば何とかって言葉があるだろ?俺達は今、まさにそれだ」
「そうだよ!…って、あれ?それを言うなら良い国作ろう鎌倉幕府じゃない?」
「……」
最早出る言葉も見当たらない。他人になりすますという選択肢を選んだ私は、その場を疾風の如く立ち去った。
「藍、愛してるからねー!今度課題見せてくれたお礼にチュウしてあげるー!」
「俺もー!」
背中に投げかけられた言葉には、当然無視をしておいた。
「ただいま」
蒼の傍に戻った私は内心疲れながら声を掛けた。
その言葉は少し可笑しかったかもしれない。
けれど、戻ってくる私の方向を何故か見ていた蒼の、珍しく正面から見える顔に緊張して、咄嗟に出た言葉だった。いつも見る横顔とはやっぱり違う。
どうしよう、ただいま、なんて変だよね。
なんて、自分の席にも着かず蒼の目の前で立ち止まってしまった私は焦っていたけれど。
「……」
当の本人はそんな言葉さえ聞こえていないようで。彼は目の前にいる私ではなく、私の後方に視線を向けている。
あぁ、さっさと自分の席に戻っていれば良かった…
そう後悔するのは、蒼の視線が何を映しているのか気付いたから。席に戻っていたら蒼が何を…誰を、見ているかなんて気付かなかったのに。
「…何見てるの?」
苛ついた事を隠しもできず、刺々しく先程の蒼の言葉と同じものを投げ掛ければ、
「…えっ?…ああ、何でもない」
蒼は慌てて顔を前へと向けた。
「……」
私は蒼を見据えながら、無言で蒼の隣の自分の席へと腰を落ち着ける。
「……」
蒼も私も何も喋らない。
再び携帯をいじり出した蒼を視界に捉えたまま、心の中で呟く。
蒼…芹を見てたのね。
今までは放課後を除き、私の前で堂々と芹を見る事はなかったのに。
ううん、よく考えてみればそれ自体が可笑しかったのかもしれない。
だって普通に生活していたら芹を見てしまう事だってあるでしょう?故意ではなくても、芹は私の親友でずっと一緒にいるんだから。
それが一度も見ないなんて、……私に悪いと思っているから意識して見ないようにしているとしか思えない。
けれどそれももう終わり。私の前で堂々とその瞳に芹を映したのだから。
もう…限界なのかもしれない。
芹を想い過ぎて視線が勝手に芹を追ってしまうのだろう。無意識に。
…もしかしたら。信じたくはないけれど、故意にだったのかもしれない。
もう私と別れたくて、わざと見ていたという可能性も否定できない。
目の前の蒼は手元の携帯をじいと見ている。
彼のアドレスは一応知ってるけれど、私は1度もメールを送った事もなければ、もちろん電話なんてした事もない。彼からも、一度も来ていない。
それがどういう事を意味してるのか、分からない訳がない。
…もうどう足掻いてもダメなのだろうか…
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