作戦

「晴貴、私決心した」


寝ていた晴貴を揺すり起こして、胸の前で決意に溢れた拳を震わせた。



そんな私を晴貴は怪訝な表情で見下ろすと、何か言いたげな口元を、結局は結んで何も言わず再び机に突っ伏す。



「えー…、」


不満の声を漏らしても反応のない彼に、「聞いて聞いて」とその体を目一杯揺らした。



何が何でも決意を聞いてもらいたい。じゃないと私一人ではすぐに折れてしまいそうだから。



「…何だよ」


晴貴は私の手を振り払うと、その端正な顔を歪ませる。



黙っていればまぁタイプな顔をしているのに、晴貴は言葉遣いも悪いしすぐ不機嫌になるし、勿体無い。


とは言ってももうそんな性格にも慣れた私に、彼の不機嫌顔は効かない。



「名付けて押してダメなら引いてみろ作戦。はい、復唱して?」


とことんうざそうな顔をする晴貴を無視して、にっこりと笑った。



「……」


そんな私に晴貴はもちろん無反応。



まぁ本当に復唱してもらえるとは少しも思ってないから、良しとする。



「…で?」


「え、名前の通りだよ?」


「いやそれは分かるけど、どうしてそうなったか経緯を教えろって言ってんの」


「理解力?」


「いやいや、普通伝わんねぇだろ」


呆れる晴貴は、あれだけ寝ておいてまだ眠たいのか若干鋭い瞳で私を睨む。



綺麗な顔に睨まれるとその迫力は凄くて、少し怖くなったのを悟られないようにふいっと顔を背けた。



「だから、えっと、私今までの事を振り返ってみたの」


「うん」


「そしたら何かね?私、ちょっと蒼を追いかけ過ぎてたみたい」


「うんうん」


「蒼からしてみれば気味悪いかなって」


「だな」


晴貴はその通りだと言わんばかりに、ふむふむと頭を縦に振る。



気味悪いの言葉は否定して欲しかったのだけれど。まぁそこは晴貴だ、諦めよう。



「だから今日から少し身を引いてみようと思ったの」


「ふーん」


「どう思う?良い作戦だと思う?」


「まあ、作戦名が馬鹿みたいなのは置いておいて、身を引いてみるのは良いんじゃねぇか?」


お前いつか篠原のストーカーにでもなりそうで俺怖いし、と晴貴はわざとらしく身を震わせてみせた。



「ストーカー…」


「マジマジ。お前篠原ばっかで正直ムカつくし」


何気ない顔をして酷い事を言う晴貴にショックを覚えながらも、とりあえず押してダメなら引いてみろ作戦を実行する事にする。






「…と言う訳で、今日一緒に帰ろ!」


校内の売店に昼食の調達に行っていた芹が教室に帰ってくるや否や、私は早速芹にその旨を伝えた。



詳しい説明もない提案に芹は少し不思議な顔をしたけれど大して突っ込んでくる事もなく、「じゃあ今日は藍とデートするってわっくんにメールするね」と携帯を取り出した。


その姿に、自己中心的でごめんなさいと心の中で小さく謝罪した。



芹はほとんど毎日航君と一緒に帰っている。大学生になりたてで何かと忙しい航君と数少ない一緒に居られる時間。


だから悪い事したなと眉を八の字に下げた私に、芹は「藍と帰るの久しぶりだね!」と安心させてくれるように笑った。




私も一応、付き合った当初から毎日蒼と下校している。


少しでも長く蒼と居られるのが嬉しくて、今まで私からそれを断った事はない。



けれど、今日は初めて断るつもりでいる。



作戦その一、暫く蒼と下校時間を共有するのは自粛する。



1年間断った事ないから緊張するけれど……普通に、ごく自然に。



「暫く一緒に帰れないかも」


大した事ではないと言うように謝罪の言葉もつけず言った私に、蒼は「分かった」とだけ言って頷いた。



「……」


それだけ?



その言葉はどうにか呑み込んだ。理由くらい聞いてほしかったと思ってしまった自分に、何を期待してたんだと叱咤した。



理由なんて聞かれて困るのは自分なのに。


けれど、何も聞かれないのも私に興味ないみたいで胸が締め付けられた。



分かってる?


私、初めて断ったんだよ?



興味なんてなくても『何で?』ってくらい思ってくれても良いと思う。



そんなに私に関心ないの?


本当に『何で?』と聞かれたら困るのに、私はそう思ってしまった。




一人落胆しながら迎えた放課後。



蒼は最後の授業が終わった直後に教室を出て行ったけれど、まだ机に鞄が残っているから帰った訳ではないようだ。


そんな事をいちいち確認している私の方がやっぱり彼を気にしてる。



「藍、帰ろ」


鞄を持って傍にやって来た芹にも、小さく頷く事しかできなかった。



「あれ?テンション大暴落?」


「…うん」


芹の言葉に生返事しながら、二人揃って教室を出る。



無意識に蒼を探してしまうのけれど、廊下にも窓の外にもその姿を見つける事はできない。



「どしたの?」


「…うん」


「篠原君と喧嘩でもした?」


「…んーん、してないよ」


「ならいいけど」


「うん」


…この時、懲りず蒼を求めてキョロキョロと視線を動かしていた私には、芹が寂しそうに笑ったのが分からなかった。



昇降口まで着いた所で、ふと思い出した存在に足を止める。


慌てて鞄の中を確認したけれど、やっぱりない。



「忘れてた…」


明日提出の課題プリントを教室に忘れた事に気付き、不思議そうに私を振り返って見ていた芹に「ごめんちょっと教室戻ってくる!待ってて」と声を掛けた。



芹が「一緒に行こうか?」と言ってくれたのをやんわりと断り、私は踵を返して教室へと向かった。



断った理由は、悪いからと言うのもあるけれど、何より教室に蒼がいるかもしれないという期待からだった。


晴貴が言った通り、1日も我慢できないくらい私は蒼ばかりなのだと気付く。




もうすぐ教室という所で私は走るのを止めて歩いた。昇降口から大した距離ではなかったから、息が切れる事もなくすぐに目的の場所へと辿り着いた。



きちんと閉じられた扉を開こうとそこに手を掛けた時、教室の中に人の気配を感じた。



…やっぱり。


多分中には蒼がいて、窓際の机に座って外を見ているのだろう。



だって、彼はいつも皆が帰る最後までそうしているのだから。



蒼が堂々と芹を見られるのはこの時だけ。いつも私が傍に居過ぎるから、彼はこの時だけしかじっくりと芹を目に焼き付けられない。



今なら…放課後の下校時なら、校門の周りには人が沢山いて、誰を見ているのかなんて気付かれないから。芹を見ているなんて気付かれないから、彼はこの時間に教室から外を見つめる。



蒼は優しいから私と居る時は芹を見ないでいようとしてくれている。


必死で気持ちを隠そうとしてくれている。



結果私は気付いてるのだけれど。


少し寂しくなってしまって、その思いを取り払うように深呼吸をして扉に添えている手に力を込めようとすると、



「……よ?」


扉の奥から低い男の人の声が微かに漏れて聞こえた。



ん?蒼の他に誰かいる?



「……ぃ…」


「…………!!」


所々聞こえてくるこの声、一人は蒼。そしてもう一つの声は……晴貴のもの?



雰囲気から、晴貴は少し怒鳴っているようにも窺える。



…もしかして、あの時の事を言っているの?


その少し険悪なムードに、あの時の記憶が頭をよぎる。『なんとかしてやる』という言葉に私は『期待しておく』なんて言った記憶がある。



…冗談なのにっ!


焦り始めた私の心と比例するように、教室の中の二人もヒートアップしているようだった。



私は慌てて手に力を込め、教室の扉を勢い良く開いた。


ガンと扉が壁にぶつかって派手な音を作ったけれど、そんな事はお構い無し。



二人分の人影へと視線を向けると、そこには案の定、蒼と晴貴がいて。



二人は大きな音と共に入ってきた私に驚いたのか、顔だけをこちら向けて固まっている。


もっと詳細に述べれば、晴貴が蒼の胸ぐらを掴んでいて、蒼は壁へと押し付けられていた。



その体制で、二人が喧嘩をしていたのだと悟ったけれど、



「え、二人仲良かったっけ?」


なんて、とぼけてみる。



そんな訳はないと分かっているけれど、だって、他に掛ける言葉が見当たらない。


若干の間気まずい時間が流れたと思えば、事態を理解したのかはっとしたように晴貴が蒼から手を離し、



「ああ。俺ら中学一緒だし」


と何事もなかったようにそう答えた。



知っている。


だから1年生の時、蒼の名前を聞くのに晴貴に声を掛けたのだから。



「藍、帰ったんじゃなかったのか?」


蒼から1歩離れた晴貴は、そのまま私の方へと歩みを進める。



「えっと、私、あの、プリント…」


「ああ、これ?」


丁度通り掛かった私の机の上からプリントを取って、傍まで来てくれた晴貴に、



「あ、りがと」


小さくお礼の言葉を口にしてそのプリントを受け取る。



ちらっと視線を上げると、晴貴は微笑んでくれていて、…その後ろにいる蒼も『大丈夫』と言うように微笑んでいた。



…なんだ、あの時の事を言ってるんじゃなかったんだ。


喧嘩しているのかと思ったけれど、私の早とちりだったみたいで安心した。



ほっと息を吐いて、二人同様に意味もなく笑みを顔に浮かべた。



今まで蒼と晴貴が話しているところなんて見た事がないから、同じ中学出身でも別に仲が良くなかったのかななんて思っていたけれど、今の雰囲気を見るとそんな事ないようだ。


今までだって普通に話していたのかもしれないし、私が知らなかっただけなのかも。



それなら晴貴も言ってくれれば良いのに、なんて。二人が笑顔でいるから、さっき晴貴が蒼に掴み掛かっていた事は頭からすっかり抜け落ちて、私はそう思った。



「ごめんね、邪魔して。バイバイ」


私は彼氏と友達が仲が悪い訳じゃないと分かり、嬉しくなって笑顔で二人に手を振って教室を後にした。



最後にちらと蒼を見ると、蒼はもう私の方になんて向いていなくて窓の外を見ていた。


芹と航君を見ているのだろう、その姿が切なそうで。


私も少し切なくなってしまった。

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