男友達

人間、許容範囲を超えたら爆発する。


私のは、大抵2ヶ月に1度の頻度でやって来る。



辛くて哀くて、たまらなく膨らんでしまった醜い感情が爆発して大泣きをする。


それまでの辛い胸の内を暴露する相手は、決まって晴貴だった。その包容力の大きさで私を覆ってくれる。晴貴が適任だった。



…――その日は急にやってくる。


ぷつっと私にしか聞こえない音が聞こえて、突然爆発する。




、トイレから教室へ戻った私は蒼と芹が話しているのを見てしまった。


それはただ、蒼が落とした消しゴムをたまたま通りかかった芹が拾って、そこで一言二言話していただけなのだけれど。



会話が終わって歩き出した芹が、教室の扉の前に立ちすくむ私に気が付く。



「あ、藍!ちょっと聞い、」


いつものように可愛い笑顔を見せる芹に、



「あ、え…藍?!」


私は背を向けて今戻って来た廊下を逆走した。



芹には見せたくないと思っていた涙がフライング気味に頬を伝ったけれど、今は自分が涙を流してる事にも気が付かないで、休み時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く廊下をひたすら走った。






「晴貴ぃ…」


前の授業からサボり中の晴貴を見つけると、その名を力なく呼んだ。



それを合図に晴貴は人の来ない場所に連れて行ってくれる。



「辛いなぁ」


「…ふぇっ…晴貴ぃ…」


顔を覆って涙を流す私の背中を優しく撫でてくれる彼は、



「藍は好きな奴と親友に挟まれてるもんな。全部傍で見えてるから…辛いよな」


私を宥めるように小さく微笑みながら優しく言葉を投げ掛けてくれる。



「…辛いよぉ」


「うん」


「…蒼は芹が好きだから」


「うん」


「芹には航君がいるのに…」


「うん」


「私は蒼が好きなのに…」


「うん」


「好きなの…」


「うん」


私の涙を拭うでもなく抱き締めてくれる訳でもない晴貴の柔らかい声。優しい言葉を掛けてくれているでもないのに、何故かそれが心地良くて。



相槌が返ってくる事自体に安心を感じているのかもしれない。



「蒼が好きなの…」


「うん」


「芹も好き…」


「うん」


涙で晴貴の顔が見えないから、彼がどんな顔をしているのかは分からない。



だけど、



「二人共大好きなのに…」


「うん」


その声が柔らかいから、きっと表情も優しい顔をしているんだと思う。



「…どうすればいいのかなぁ…うっ…」


嗚咽は混じるし鼻水は出てくるし、大泣きする私は多分、相当不細工な顔をしてる。



けれど、そんな私を晴貴は見捨てたりしない。



いつもなら『ブス』なんて意地悪言いそうだけれど、私が弱ってると分かってる今、晴貴は絶対そんな事言わない。


だから私は安心して心の内をさらけ出す事ができるんだ。



「晴貴ぃ…」


「うん?」


「私、……諦めた方がいいのかな…?」


私の言葉に晴貴がどんな顔をしたのかは、やっぱり分からなかった。



涙を抑えるように両目をぎゅっと瞑った私は、静かに彼の言葉を待った。


ずっと思っていた事を口にした事で、何故か鼻の奥がつーんとして余計に涙が出そうになった。



私は彼を諦めた方がいいの?


その疑問は、最近特に思うようになっていた。



蒼は私という存在が邪魔なのではないかと。もしかしたら芹に想いを伝えて楽になりたいのかもしれないと。



叶わぬ恋。


それは私も同じだから。ただ私はその相手と彼氏彼女という名をもっているだけで、想いが通じないのは同じ。同じ叶う事のない恋。



だから蒼の気持ちが分からない訳でもない。


ならば、私は蒼のために彼を解放してあげた方がいいのではないだろうか。その方が私のためにもなるのかもしれない。



いつか蒼が私を好きになってくれると信じて願っていたけれど、そうなる事はないとこの1年間が物語ってる。


私が蒼を諦めた方が、蒼も私も、楽になれるんじゃないだろうか。



「藍、諦めんな。諦めたらそれで終わりだろ。俺が…俺がなんとかしてやる」


晴貴は小さく陰の残る顔で微笑み、私の頭を撫でてくれた。



いつもはその優しい手付きに安らぎを感じる筈なのに、何故か今日は小さな不安が胸に残った。


だって、言葉の内容とは裏腹にその声が辛そうに聞こえたから。



ごめんね、晴貴。


いつも、いつも。



なんとかするなんて言ってくれて、私凄く嬉しいんだ。晴貴が言うなら、本当になんとかなりそうな気がするね。



「晴貴、ありがと…落ち着いた」


晴貴に気持ちを吐き出した事で心がすっきりとしたのは確かだった。



涙の枯れた顔を上げた私に、晴貴はゆっくりと口を開く。



「…諦めるのか?」


私の表情を読み取ろうと窺うようにして頭を少し傾けた彼に、私はゆっくり首を振った。



「諦めないよ。晴貴の言葉で勇気出た」


「なら、…よかった」


もう大丈夫と笑ってみせたのに、晴貴は少し顔を曇らせて、笑う。



「なんとかしてね?期待してるよ、その言葉」


意地悪く笑った私に、「任せとけ」と笑った晴貴のその顔は、今度こそいつもの調子に戻っていた。




…この時の表情に隠されていた晴貴の本当の気持ちを私が知る日はもう少し後の事。




「顔洗ってくる」


立ち上がった私に、晴貴は「そうしろ」と笑うと、「ブスになってる」と私の顔を指差して意地悪な顔をした。



そんな晴貴にあっかんべーをしてクルリと踵を返すと、体育館裏の水道を思い浮かべながら歩き出した。



けれど5歩程進んだ所でふと足を止めると、頭だけ振り返って、眠そうに欠伸をしている晴貴を見た。



「ん?」と首を傾げた晴貴に一言。



「戻ってきたら一緒に教室戻ろうね」


そんな私に、晴貴は面倒臭そうに顔をしかめると、



「…さっさと行け」


「一緒に授業受けるもんね?」


「…あーはいはい、分かったから行け」


しっしっと手を振って私を追い出そうとする。



そんな晴貴に苦笑いを浮かべながら再び歩き始めた私は、素直じゃないなんて思いながらも、改めて晴貴の優しさを胸に刻んだのだった。

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