視線

「よっ」


「…晴貴はるき


昼休み。突然頭を叩かれ顔を上げると、そこには意地悪に微笑む悪の貴公子。黙っていれば顔は良い。



「いったーい」


大袈裟に声をあげれば、高1からの友達の小林晴貴はハハハと悪気のない顔で笑って私の隣の席へと腰を下ろした。



晴貴と芹と私は1年生の時から同じクラスで、いつも3人で馬鹿な話をして笑っていた。


芹と私、そして頻繁に話に加わってくる晴貴。芹や私に彼氏ができるまで、放課後に3人で遊ぶ事も少なくはなかった。



必然と、晴貴にも何でも話すようになっていった。


今日の弁当はどうとかどうでもいい事も、今日何があったなんて些細な事も、全部。


もちろん蒼を好きだという事も、私達が付き合う前から芹や晴貴には話していた。



けれど、蒼を想って辛いって話は晴貴にしか言わなかった。


違う、晴貴にしか言えなかったのだ。



芹には言えない気持ちを晴貴に打ち明けた時も、彼はそんな私の気持ちを馬鹿にせず受け止めてくれた。


それを知った上で、男心を伝授してくれたりと晴貴は私を応援してくれるようになった。



蒼が芹を好きだと教えてくれたのも晴貴だった。



もともと蒼の視線で何となくそうだろうと気付いてはいたけれど、それでも半信半疑だった。と言うか、私自身が信じたくなかっただけなのかもしれない。



けれど、晴貴は私の為に教えてくれた。


知らないでいるのは辛いって、それが自分の親友なら尚更だろうって。



蒼の友達の証言を教えてくれた晴貴は、頑張れ、負けるなと滅多に見せない真剣な顔を私に見せてくれた。


晴貴に背中を押されたから、私は蒼に告白する事ができたんだ。あんな形だったけれど、付き合える事になった。



「篠原もしつこいよな」


「全くその通りだよ」


蒼と芹が教室にいないのを良い事に、私達はそのまま教室で話し始める。



蒼の席に座っている晴貴は、笑いながらペシッと蒼の机を軽く叩いた。



「まぁ藍より芹のが美人なのは認めるけど」


「おいおい、フォローしてよ」


悲しい事実に泣き真似をしてみると、晴貴は「俺、嘘吐けないからさ」なんて更に追い討ちをかけてくる。



晴貴に蒼の事を話す時、私は客観的に話すようにしている。


真剣に言えば辛くなるのは目に見えているし、そういう雰囲気も好きではない。



それを晴貴も知っているから、彼も笑って冗談っぽく言う。


その優しさに結構救われているのも事実で、楽しいし何より笑う事ができた。



最近は蒼の前では辛くてあまり笑えないから...



だから今は正直、晴貴といる時が一番楽だ。



「早く諦めればいいのにな」


「ね、私にすれば楽なのに」


「藍も俺にすれば楽なのに」


「そうするかー」


「断るわ」


冗談を言って二人で笑う。



この時だけは心から笑えるのだ。



「昨日蒼と帰る時、芹と航君に会っちゃった」


「どんまい」


「良いんだ良いんだっ、航君に可愛くなったって言われたから良いんだっ」


わざと両手を頬に置くと、晴貴が「航君って目ぇ節穴?」と茶化してくる。



どういう意味だ。


蒼の椅子に横座りして私の方に投げ出された晴貴の足をギュッと踏みつけた。



「でね、芹が浮気って怒っちゃってそれをみんなで笑ってたの。でも、蒼だけは航君を睨んでた」


恋敵だもんね、と私は笑った。



晴貴は笑ってはくれなかったけれど、それはただ私に踏まれた足が痛かっただけだと思う。



客観的に話す事で救われてる。


主観的には笑って言うような事じゃないし、辛くて哀しくて…憎い。そんな黒い感情に苛まれてしまう。



だから、笑うんだ。


笑って何でもないとでも言うように、また笑って。晴貴も笑ってくれればそれで良かった。



全てを自分一人で抱えるには、幼すぎたから。


晴貴にこの胸の内を曝け出す事で、心が少し軽くなった。



けれどそれも本当にほんの少しだけで、それだけで全ての苦しさが消える程、私の気持ちは甘くはなかった。


心はずっと、はち切れるくらい痛い。



ずっと。


それこそ蒼と付き合う前から。




「あ、蒼帰ってきた」


ガラッと開かれた扉の奥にその姿を見つけて、すぐさま隣の晴貴へと視線を戻す。



「ほら、晴貴の役目は終わったよ」


蒼の席から退いてよ、と視線だけでそう言う私に「ひでぇ」なんて言いながらも、彼は腰を上げた。



「藍も必死だよな。篠原のチキンハート繋ぎ止めるの」


「それしかないでしょ。て言うかチキンは余計デス」


私の前を通り過ぎて行く晴貴にグーパンチをお見舞いすると、彼は笑いながら「まぁせいぜい篠原に愛想尽かされないように頑張れ」なんて縁起の悪い事言って、私の頭をポンと叩くと教室を出て行った。



叩かれた頭を痛くもないのに擦っていると、晴貴と入れ替わりに蒼が席へと戻ってきた。



椅子に座るとすぐ伏せってしまった蒼に身体ごと向いて、そのむき出しの腕に乗った頭を見る。



「どこ行ってたの?」


そう声を掛けると、蒼は若干頭をこちらへと向けたけれど、



「んートイレ」


その瞳は瞼の奥に閉じ込められたまま。



「蒼」


「ん?」


私を見て。



「蒼」


もう一度その名を呼べば、蒼は瞼を上げて、晴貴に叩かれた場所に無意味に置かれたままの私の手を見る。



「どした?」


「んーん。何でもない」


私が首を振ると、蒼は「そっか」と言ってまたその深茶の瞳を隠してしまった。



…蒼のその瞳に映るのはただ一人、芹だけ。



どれだけ願っても、その事実が覆される事はなかった。どれだけ頑張っても、私は芹のようにはなれないんだ。



ふいと顔の向きを変えて完全に私から背いた彼の後ろ頭をただ見つめた。



分かってる。


顔を上げないのは芹がいないからだという事を。顔を上げても見る物が、…愛しい人がいないから。



胸がちくりと痛んだ。


蒼のこんな些細な行動からも、その奥に芹の影が潜んでいて、『痛い』と胸が泣く。



蒼は芹ばかり。


いつもいつもいつもいつも、その瞳は芹だけを映す。



いつか私を好きになってくれると信じて頑張ってきたけれど、その瞳が私を映す事はもう一生ないのかもしれない。そう思ってしまった。



蒼、お願いよ。


私を…私を見て。


貴方を想う私だけを…



蒼の柔らかそうな髪を見ながら、いつもと変わらぬ想いを心の内で呪文のように唱える。



もう限界かもしれない、と私の頬に一筋の涙が伝った事を蒼は知らない。

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