嫉妬

明くる日、朝一番に蒼と登校する。



教室には何人かクラスメイトがいたけれど、私達が一緒に入っても茶化ちゃかしや揶揄からかいの言葉はない。


それは、ただ私達の関係が公認だからというだけで他意はない。



前回の席替えで不正行為を働いて蒼の隣の席を奪取した私は、今日も1日蒼の横顔を拝見できる眺めの良い席に座る。



携帯を見つめている蒼の伏し目がちな瞼から伸びるまつ毛。スラリと高い鼻。控えめに色付いた唇。


格好良い人。これが私の彼氏。



うっとり見惚みとれていると、ガラッと大袈裟な音を立てて教室の扉が開かれたと思うと、



「藍!聞いてよー!」


朝からテンションの高い芹が小走りで私に近寄ってきた。



「どした、どした。とりあえず落ち着こうね」


「きゃー」と叫びながら抱き付いてきた芹を内心喜びながら受け止め、落ち着かせるようにその背中をポンポンと軽く叩いた。



芹がこういうテンションの時は、大抵航君絡みの話。その様子からして悪い事じゃないのは確かだ。



そして私の隣には、蒼。


ちらと隣を盗み見ると、蒼は両腕に頭を乗せて机に突っ伏していた。さっきまで携帯をいじっていたのにいつの間に。十中八九睡眠不足だからという訳ではないと思う。



私には、その姿は『何も聞きたくない』と芹の話から逃げているように見えた。




「落ち着いた?」


私の言葉に芹はこくこくと頷いたけれど早く話したくて堪らないようで、その頬は少しほてっていた。



「なんか良いことでもあった?」


ほら、芹。のろけ話を早くして。航君との話を蒼に聞かせてあげて。



顔が自然に緩んでくるのが分かる。


それに気付かれないように心の中で自分を叱咤しったして少し気を引き締めた。



蒼、聞いててね。


貴方の付け入る隙なんて全くないんだよ。早く諦めて私を好きになって。



芹をじっと見つめてやると、何故か芹は考えるようにして言うのを躊躇とまどってしまった。



相当その話が言い辛いのか、「あ、えっと…昨日はドーナツありがとね」なんて話を逸らしてしまう。



昨日家まで持って行った時には、『おぉ、会いたかったよポンちゃん…!』とすぐさまドーナツを私から奪って、玄関に立ち尽くす私に一言もねぎらう言葉をくれなかったのに。



一晩明けてやっと言われたお礼に呆れながらも「ううん」とだけ言って頷いた。



「それよりも、何か話したい事があったんじゃないの?」


催促の言葉を投げ掛ければ、芹は「うん…」と頬を赤くして頷いた。



可愛らしくウジウジすると、堰を切ったようにその口を開いた。



「あのね、わっくんとねっ、」


相当嬉しい事があったのか、それを口にする芹の頬は緩みっぱなしだ。



芹の綺麗に弧を描いた口元を見ながら、『やっぱり航君絡みだ』と私自身の頬も緩むのが分かる。



蒼をちらっと見ると、突っ伏していた頭を上げて欠伸をしていた。


大きな欠伸をした後に、眠そうに目をごしごしと擦っていて、少し母性本能をくすぐられる。



でも、その様子はわざと普通を装っているような感じがしたから、芹の声は確実に蒼に届いているんだと分かった。


芹の声が大きいから絶対に聞こえてる、という訳ではなく、聞いている、という理由で。



だって芹から航君の名前が出たんだもの、普通気になるでしょう?



「航君が?」


「あのね、…ふふっ」


興味があるように芹に話の先を促すと、芹はにやけてしまった顔を隠すように両手をその赤く染まった頬に置いた。



そう言う仕草も、可愛くて……憎たらしい。


芹の反応から凄く良い話だという事が容易に見て取れる。



絶対に航君と何かがあって、しかもそれは良い意味の出来事ときた。



「わっくんとね…、」


蒼、聞いてなよ。



多分もう諦めるしかないくらいの衝撃が待っているだろうから。



腹黒い私は、椅子に浅く座ってぼーと足元を見ている蒼の制服の裾を掴もうと手を出した。



もしも蒼が芹の話を聞かないようにしていたらダメだから。


裾を掴んで、こっちに気付かせようと……







ガタッ――…



「……っ」


そうくるとは思っていなくて、吃驚びっくりしてしまった私の小さな声が漏れる。



突然立ち上がった蒼は、私達を一瞥いちべつもせずに教室から出て行ってしまったのだ。




「っ吃驚したー、トイレかな?」


「……」


空を切った私の手はどうする事もできなくて、だらんと力を失ったように下へと落ちていった。



…そんなにも聞きたくなかったんだ。


何とも言えない虚しさが胸に残る。勝手に期待していた分、大きく裏切られた気分だった。



我慢するのがとても辛い事だって、知ってる。私だって蒼の芹への気持ち、もう1年も我慢している。


でも、芹が好きな蒼も、蒼なんだもん。だから私は辛いけど蒼の気持ちをすぐ傍で感じてる。我慢してる。



蒼だって芹達とそろそろ向き合うべきなんじゃないの?


なんて。こんな事、私は思う事さえ許されないかもしれないけれど。



「わっくんとね、大人のチューしちゃった!」


「キャー!」と言いながら、指でVサインを描いて見せた芹に、もっともっと醜い感情が押し寄せてくる。



こんな感情、蒼を好きになるまでは知らなかった。



嫉妬。



蒼にあんなにも強く想われている芹に嫉妬してる。それなのにその気持ちに気付きもしない芹に嫉妬してる。


…私はこんなにも辛い思いをしているのに、彼氏と仲が良い芹に嫉妬してる。



醜い感情に、胸が押し潰されそうだった。



酷く痛んだそこを手の平で押さえながら、泣きそうになるのをやっとの思いでこらえる。



泣いてなんてやるものか。


蒼の好きな芹の前で、泣ける筈がない。



「…おめでとっ!芹もようやく大人のキスを知ったか!航君って大学生だから凄そうっ」


暗に大学生の航君に他の女の影をチラつかせる。芹に八つ当たりをする私は本当に最低だ。



「えっ、藍達はしてるの!?」


そんな私の醜い八つ当たりにも気付かない純粋な芹は、思わぬところから私を追い詰める。



「いやー、むしろ芹達がまだだった事が驚きだよ!あんなにイチャイチャしてるのに!」


してない。してないよ。キスどころか手さえ繋いでない。自分では制御できない苛つきが、くだらない見栄を張らせて、否定の言葉が出てこない。



「してるんだ!いつの間にー!いいないいな、毎日するの?」


そうこうしている間に勝手に決めつけて話が進んでいく。



「芹達はしないの?好きあってたら自然にそうなるでしょ?」


馬鹿にしたような酷い事を言っているのに、気にもしていない芹があまりに純粋でムカつく。



何でそんなに良い子なの?芹が良い子だから私がこんなに醜くなる。



「私ちょっと寝不足だから授業始まるまで寝るね」


意地悪ばかり言ってしまう自分が嫌で、私はもうこれ以上は喋らないとでも言うように机へと突っ伏した。




ごめんね、芹。


貴女は全然悪くないって分かってる。でもね、…貴女に対する嫉妬で胸の中がいっぱいになってるの。


親友の嬉しかった事も一緒に喜んであげられない、こんな私でごめんね。

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