四つ目の国 -1

 目を覚ますと、軽く身支度を整えて部屋を出た。部屋には窓がないので、船室内では体内時計が頼りだ。甲板に出ると朝焼けが眩しかった。



「起きたのか。」

「ジンさん。おはようございます。」

「おはよう。」



 既に甲板に出ていたジンさんの隣に立つと、私は寝起きの体を解すように伸びをした。体中が悲鳴を上げている。先日からジンさんとミナさんによる特訓が始まった。それはまともに運動すらしたことがない私にはかなり過酷だった。全身は痣だらけだし、擦り傷も筋肉痛も相まって体を動かすのが痛い。



「ちゃんと眠れたか。」

「はい。特訓が始まってから、どんな環境でもぐっすりと眠れるようになりました…。」

「それは…まぁ、健康には良い…のか…?」

「そうですね。」



 ジンさんと顔を見合わせて苦笑する。特訓を始めてからジンさんとの距離がグッと縮まったように感じる。気付けばジンさんの隣はかなり居心地が良くなっていた。



「数時間後には到着だ。」

「いよいよですね…。」



 何を隠そう目指している東方の国は、バンが昔聞かせてくれたあの東方の国なのだ。



「本当に、妖怪なんているんですか…?」

「さぁな。俺も話にしか聞いたことはないが、お前から聞く限りバンがお前に聞かせていた話に嘘偽りはないようだ。」



 私はごくりと喉を鳴らした。



 ──『その国じゃな、“妖怪”ってのがいるらしいんだ。中でもとりわけ、“鬼”ってのがやべぇらしい。なんでも、人を食っちまうって話だ。』



 バンの言葉を思い出して震える。人を食べる鬼だなんて、聞いたことがない。狼のような肉食動物とはまた異なるのだろうか。俄には信じられない。



 ──『大丈夫だ、そん時は俺が守ってやる。』



 そんなバンの言葉も一緒に思い出して、私は切なくなった。バンは、いない。自分の身は自分で守らなければ。そう思ってみたものの、私の覚えたての護身術で大丈夫なのだろうか。不安になりながら顔を上げると、水平線の向こう側に陸地が見えた。



「あれが…。」



 今まで見たどの国よりも文明が発展していないように見えるその国は、先入観のせいかどんよりと重暗く見えてしまう。バンを追い駆けてここまで来たけれど、それを少し後悔しそうなくらいだ。

 上陸すると町の雰囲気に驚かされた。遠目で見たときとは違ってはっきりと分かる。ここは全く違う文化が栄えた国だ。見たこともない服を着ているし、髪型も、何より身長や体格といった外見も私たちとは違う。町に見入っていると突然腕を掴まれた。



「ボーッとするな、はぐれるぞ。」



 腕の主はジンさんだった。私はジンさんに腕を掴まれたまま、駆け足で着いて行った。重暗く見えていた島だったが、ウユやクスウェルとはまた違った活気がある。刺繍やレースを身につけている人は見当たらないし、ここではいい商売ができそうだ。そんなことを考えていたら、ジンさんに再びボーッとするなと叱られてしまった。

 私たちはその日の宿を見つけると、荷物を預けて再度町へと繰り出した。例の如くミナさんは私をジンさんに任せてどこかへ行ってしまった。



「ジンさん、いつもごめんなさい…。」

「何を謝ってる。どうせバンの奴の情報がない今、俺たちは動きようがないんだ。」



 そう言ってもらえると少し気が楽になる。きっとジンさんはそんなこともお見通しなんだろう。私はミナさんが戻ってくるまでの間、レースや刺繍を売って時間を潰すことにした。例の如くジンさんはそんな私を少し離れた所から見守ってくれていた。



「今日の売り上げはどうだ?」



 ジンさんに問われて、私はついつい満面の笑みを浮かべた。



「あぁ…聞かなくても分かった。」



 ジンさんは苦笑を浮かべると、私が両手に抱いていた荷物を半分以上持ってくれた。売り上げは想像以上のものだった。この国の通貨は不要だと考え物々交換にしてもらったのだが、ウユでは貴重な財宝や珍しい布の価値がこの国ではあまり高くないらしく、私の想像を遥かに超えた量の物と交換してもらえたのだ。ウユに戻った際に大半は換金しようと考えているけれど、ちょっとした小金持ちになれるのではと期待してしまうくらいの量だ。



「それにしてもすごいな。」

「刺繍もレースもこの国では全く馴染みがなかったみたいで、用意していた分は売り切れちゃいました…。」



 この国に来るまでの道中、クスウェルのように全く売れない国もあったし、船の中では商売どころではなかった為そこそこの在庫を抱えてしまっていた。しかし今日持ち出してきた分は全て一瞬で売り切れてしまった。今日持ってきた分は全体の三めるかもしれない。そう思いながら宿に戻ると、既に戻っていたミナさんから明朝にはこの町を出ると聞かされた。私は少しショックを受けたが、次の町に着くまでの間にまた在庫を補充することに決めた。



「すごく売れたのね〜。」



 私の売り上げを眺めながらミナさんは感心したように呟いた。



「この国にいるうちはこの売り上げを多少広げてても危なくないのがまたいいわね。」

「ウユで広げていたらあっという間に失くなるだろうがな。」

「そうですね…。でもさすがに量が増えすぎると、移動のときに大変になりそうです…。」



 そう苦笑する私に、ミナさんは得意げにふふんと笑って一枚の布を広げて見せた。



「じゃじゃーん。これ、風呂敷っていうの。この国で籠の代わりに使われてる物なんだけど、こうして物を入れられるの。」



 そう言うと、ミナさんは慣れた手つきで私の売り上げを風呂敷で包んでくれた。



「すごい…! ミナさん慣れてますね。」

「昔バンとこの国に来たのよ。そこそこ長期滞在だったから、いろいろ知ってるわよ。」



 ニコッと笑ったミナさんの笑顔はとても綺麗だった。もしかしたら、昔ミナさんってバンとそういう関係だったんじゃ…。今更そんなことを思ってしまった私は少し凹んだ。だってこんな私じゃ、ミナさんには到底敵わない…。

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