三、 双子と覚悟

 六月に入り、しばらくすると、部の活動休止が解けた。それと同時に小麦が言闘部に正式に入部した。ただし、肩書きはマネージャーだ。言闘部は体育会系の部活ではないのに、マネージャーが存在してもいいものだろうか。千と緑は首を捻ったが、当の本人は「見てるほうが楽しいから」と他人事のように話していた。

「それにしても、何でこんな部に入ったのよ」

 千が恨めしそうに小麦を見やると、本人はいたって真面目に答えた。

「『言闘』って競技に興味がわいた。それだけだよ」

 小麦は深見との電話のやり取りを思い出した。彼とはほとんど付き合いはなかったはずだ。千が言っていたように、新入生のデータを丸暗記したから、自分の隠れた思いに気づいたのだろうか。そんな簡単な事ではないはずだ。データだけで、人の本質を見抜くことはできない。それなのに、彼は自分が聞かれたら痛い質問を繰り返し、追いつめてきた。虚勢をはるので精一杯だった。

 深見の言葉―『千は変わる』。この部にいることで変われるとでもいうのか? それなら私が見届けようじゃないか。本当に彼女が変われるのかどうかを。それに、もし彼女が変わることができるなら、嫌な自分も変わることができるかもしれない。

 一瞬見せた真顔が、柔らかい笑顔になる。

「あ、それとー、私、もっと千と一緒にいたいなーって思ったんだ」

「え、えええ?」

 真面目な会話が一変し、千は驚き、緑は赤面した。

「ご、ごめんな。俺、ここにいて」

「だから、梅田は誤解すんなって!」

 三人が騒いでいると、留学生教室のドアが乱暴に開けられる音がした。珍しく、深見が青ざめている。コウ、バンも一緒だ。コウも顔を強張らせていたが、バンだけは二人とは違い、落ち着き払っていた。

「お前ら、机をきれいに並べろ! 黒板も掃除! 今すぐ!」

「え、な、なんで? 先生たちの見回り? っていうか、部活だから、理宇治先生が来れば問題ないんじゃ……」

 千が言い終える前に、深見の鋭い声が教室に響いた。

「来るのは教師じゃねぇ! 『女帝』と『狂犬』だ!」

「は?」

 深見は完全に取り乱していた。千も緑も何が起こるのかさっぱり分からないでいたが、小麦は内心それを面白がっていた。

 ともかく急いで教室の掃除に取りかかる。一応、その前に二年が留学生教室を掃除していたが、細かいゴミがまだ落ちていた。

 掃除が終わると、きれいに並べた席につく。その時だった。二回のノックが教室に響いた。

 深見が席を立ち、両手でドアを開ける。廊下に立っていたのは、紺地に紫陽花の柄の着物の、凛とした感じの女性と、対称的に金髪でピアスを右に三つ、左に一つつけた、チャラチャラした風貌の男だった。

「はろー、深見ちゃんたち、おひさー!」

 ピアスの男が教室に入ろうとしたところ、着物の女性が持っていた日傘でそれをさえぎった。

「待て、桜」

 男を制止すると、廊下から教室をぐるっと見渡してから満足した表情を浮かべた。

「うむ、部室はちゃんと清潔に使っているようだな。健全な活動をするには、活動場所を清潔に保つことが大切だ」

「ありがとうございます」

 あの傍若無人な深見が、頭を下げた。千と緑は、突然の来訪者にも驚いたが、深見の変わりようにも目を剥いた。

 来訪者は、深見が教壇前まで案内した。二人が前に立つと、深見は「起立!」と声を上げ、コウとバンはそれに従った。一年生三人も、つられて席を立つ。

「先輩方に、礼!」

 前方の三年生が、きれいに四十五度に折れる。呼吸はぴったりだ。着物の女性が着席するように促すと、深見がまた「着席!」と声をかけた。

 千は前に座る深見の背中を見た。いつものような不遜な態度はなく、背筋を伸ばして着席している。深見ほどひどいわけではないが、ふにゃふにゃしたコウや、ボーッとしているようなバンまでも真面目そのものだ。普段なら迷わず問いただすところだが、そんな空気でないことは、緑も小麦も気づいていた。

 教壇には女性が、その横に男が立った。持っていた日傘やバッグを男に預け、女性は鋭い声で名乗りを上げた。

「私は初代言闘部部長、『古武ふるたけぼたん』。こっちのピアスが二代目部長『桜弘都さくら・ひろと』。本日は全国大会の日程を知らせるのと同時に、活動の様子を見にきた」

「ぜ、全国……」

「大会?」

 緑と千の顔には、戸惑いが表れていた。

「それと、一年生に顔見せ、なっ! まぁ、大会終わるまで、結構ちょくちょく顔出すから、仲良くしてよ!」

 弘都が軽くウインクした。ノリがよいというか、軽い。ぼたんのキリッとした雰囲気とは正反対である。しかし、それを彼女がたしなめることもない。小麦はこの状況を完全に傍観者として見ているようだったが、千と緑は、今度は何が起きるのか不安でしょうがなかった。

「それにしても、女子生徒が二名入部したのではなかったか? そこの小さいの一人ではないか」

 ぼたんが教室を見渡すと、恐る恐る千は腕を半分挙げた。

「すいません……自分、女です」

 教壇から千の席まで来て、顔をじろじろと見る。その後、突然胸をぺったりと触った。

「なっ!」

「ふむ、女だな」

 ぼたんは納得すると、また教壇に戻った。千は慣れっ子だったとはいえ、いきなり胸を触られたことに驚き、口をぱくぱくとしていた。

「姐さん、すいません。先に自己紹介をさせておけばよかったですね」

 深見がぼたんに謝る。それに軽く首を振り、弘都に手を差し出した。弘都はショルダーバッグから、ファイルを出し、ぼたんに渡した。

「自己紹介の必要はない。こちらで各人のデータは取得済みだ」

 ぼたんは早速ページをめくった。

「『松本千―一年一組所属。中学時代は保健室登校。姉、兄の三人兄弟だが、現在は別居中』」

 千は冷や汗を流した。今日初めて会った人物に、ここまでの素性がばれていることに恐怖した。だが、ぼたんの話は終わらない。

「『現在、クラスの女子からはよく思われてなく、頻繁に陰口をたたかれ、男子からは『オカマ』呼ばわりされているが、目に見えた形でのいじめはない。ただし、何か言われたことに気づいた翌日は、学校を休む。被害妄想の塊で、メンタルが弱い』」

 胃が、キューッと縮む感じがした。悪口を言われている気はいつもしているが、第三者からそうだと断言されると、心が苦しい。しかも、その後の行動―学校を休むことまでも知られていて、ばつが悪かった。

「梅田緑」

 名前を呼ばれ、肩を震わせた。無意識に体が縮こまっていく。

「『一年二組所属。自宅は県北だが、わざわざ夏ヶ瀬高校に進学。一人っ子。中学時代は剣道部所属で、実家も道場を開いている。クラスでは主に男子から無視されている。また、女子からは、千を追いかけ、更に小麦と三人で食事しているところを見られ、『女たらし』と罵られている反面、ファンも多い』」

 想定内の話で安堵したが、ぼたんはすかさず釘を刺した。

「千、緑、誤解するな。お前たちに目に見えるいじめがないのは、『言闘部に所属しているから』だ。何せ、部長が部員を守っているようなものだからな」

 彼女は深見を鋭い目で見た。深見はその視線に軽く礼をした。

「本人は守っている気はないかもしれないがな」

 フン、とぼたんが鼻で笑うと、深見も頭を上げて、ニヤリとした。

「え? 待ってください! 全ての発端は兄貴なんですよ? それなのに、私たちを守ってるって……」

 千は耐え切れずに声を上げた。深見はこの学校でも悪名高い。だから、自分たちもその巻き添えになっている。ぼたんにそう言おうと思ったすんでのところで、弘都に止められた。

「まぁまぁ、深見ちゃんの傍若無人っぷりは俺たちも当然知ってるよ。でも、深見ちゃんの部員に手ぇ出したら、こっちが弱み握られて脅されちゃうじゃない? そう視点を変えてみるとホラ」

 視点を変える。そんな考え方をしたことはなかった。だが、弘都の言うことにも一理ある。

 ただ、兄貴に守られているというのは正直癪に障る。千がむっつりして黙ると、ぼたんは最後のメンバー、小麦のデータに目を通した。

「最後は『キリナマ・コムギ』か」

「……は?」

 その場にいた全員が固まった。言った本人はいたって真面目な顔でファイルとにらめっこしている。すかさず弘都が、ぼたんに耳打ちした。

「姐さん、『キリュウ』です、桐生小麦です」

 訂正した弘都に、すかさず張り手を食らわす。その音は教室中に響いた。咄嗟の出来事で、千は声を失った。

「褒美だ。喜べ」

 ぼたんは何事もなかったかのように、再びファイルに目をやる。小麦は半笑いで、千と緑は何事かと弘都を見ると、床にごろごろと寝そべりながら「最高です! 姐さん! ありがとうございます!」と叫んでいた。現場の状況が全く飲み込めずにいると、バンが「桜先輩はドMだから」と解説をくれた。

「気を取り直して、『桐生小麦』!」

「はーい」

 弘都のキャラが笑いのツボにはまったらしく、上機嫌に返事をすると、ぼたんは先ほどと同じくファイルを読み上げ始めた。

「一年二組所属。今年新任の国語教師桐生り…うじ? と兄妹。極度のブラコン。悪口をいわれても、実害があっても、報復するかしないかはその時の気分次第。メンタルは強いと思われる」

 小麦はほわほわした笑顔を浮かべているが、次のぼたんの言葉で、それは一気に消えた。

「だが、兄のことに関係する話はタブー。特に、知り合いに連帯保証人にされそうになったことは、限られた人物しか知らない」

「……なんであんたが知ってるの?」

 声質ががらっと変わったのを聞いて、緑と千は小麦の方を向いた。彼女の目は、親の敵を目の前にした、狼のようだった。しかし、ぼたんは豹変した小麦を見ても、動揺することは全くなかった。

「うちの家で扱った事案に、貴様の兄の名前があったものでな。読めない漢字だったから、覚えていたのだ」

 千と緑は、ぼたんこそがコウとバンにあだ名をつけた張本人だと気づいた。

「あんたの家業って何よ? こっちのことばかり一方的に知ってるなんて、フェアじゃないんじゃない?」

 OG、初代部長であることを無視して、挑発的にぼたんを責める小麦。ぼたんは一度目を軽くつぶった後、はっきりした口調で公言した。

「私の家はいわゆる『その筋』だ。だから、金回り、特に闇の金の話は知ろうと思えば知れる」

 小麦は閉口した。普通だったら、そんなことを公言しない。それでもぼたんは、何も恥じることなく言った。その度胸に敗北感すら感じた。

「じゃー、次の話に移るよ。早速全国大会のお知らせー! ドン!」

 小麦の様子を無視したのか、それともピリピリとした部の空気の入れ替えをはかったのか、弘都はバッグから丸めたポスターを出し、黒板に貼り付けた。

「今年は江ノ島と鎌倉ですか!」

 コウが食らいつくと、深見も頷く。

「さすがに一昨年の東京タワーはまずかったようだな」

「神社、仏閣」

 バンまでも珍しく若干テンションが上がっている。緑そんな浮かれた三年生トリオに、思い切って訊ねた。

「あの、『全国大会』って、いきなりすぎませんか? 普通、地区予選、県大会って順序があるはずじゃ……」

「あー、緑ちゃんって言ったっけ?」

 弘都が割って入り、説明を始めた。

「『言闘部』なんて、マイナーな部活、全国にいっぱいあると思う? 実際あるのは、ここの高校と、あと他三校しかないんだ。だから、いきなり全国大会にしちゃおーって訳」

「そんな適当な……」

 緑が言葉を失うと、深見が笑った。

「小旅行だと思えばいいんじゃねぇの? 結構楽しいぜ」

「そのことなんだが」

 男性陣の会話に、しっかりとしたぼたんの声が加わり、再び部活としての装いを取り戻す。

「八月の大会の前に、強化合宿を行なう。場所は桜の実家だ。各自、予定をあけておくように」

「強化合宿?」

 千の声に、ぼたんは答えた。

「そうだ。貴様らは、まだ言闘の素人だろう。少し鍛えなくてはな。それと、千」

 名前を呼ばれ、ぼたんの目を見ると、意外な言葉が返ってきた。

「さっきは男と間違えて、すまなかった」

 謝罪の弁を述べると、頭を下げた。ツンとした感じの人かと思えば、自分の筋を通す強い人間なのか。千は素直にそう受け取った。

「いえ、慣れてますから」

「だが、男と間違われるのは内心嫌なのだろう? 今日のようにデニムにTシャツではなく、女らしいスカートなど履いてみてはどうだ?」

ぼたんの提案に、千はすごい速さで首を左右に振った。

「いや! 私、スカートは本当に似合わないんです! オカマって言われるくらいだし」

 アドバイスは嬉しいのだが、過去を思い出して悲しくなる。制服だった中学時代。一年生の時はまだよかったが、成長期がきて男子より背が高くなると、『男女』と言われることが多くなった。その頃からである。私服でもずっとパンツでいるようになったのは。

 そんな千に、ぼたんはあっさりと言い放った。

「ならば、スカートを履かなくても女らしい格好をすればいいだろう」

「へ?」

 よく理解できず、首をかしげると、ぼたんは千の席に近寄った。

「スニーカーでなく、少しヒールのある靴を履く。最初は痛いかもしれないがな。上も、キャミソールに軽く薄手の夏用ジャケットを羽織る。それだけでも女は変わるぞ?」

 時間が止まった気がした。ずっとコンプレックスに思っていたことだった。混線していた事柄が、急に解けたような感覚だった。

「千は脚が長い。デニムも似合うのだから、スカートでなくてもいいな」

 感心したように脚を見る。小麦もどさくさにまぎれて「本当にきれいな脚なんですよー」な

んて、デニムの上から撫で回す始末。さすがに緑もコウも、そこから目線をそらした。恥ずかしくなった千は、長年の悩みがあっさりと解消してしまい、肩透かしを食らったような気もあいまって耐えられなかった。

「で、でも! そんな大人っぽい格好、似合わないですよ!」

 千の問いかけに、ぼたんは不思議そうな顔をした。

「何を基準に、『似合わない』と言っているのだ? 他人か? それなら貴様の勘違いだ。自分が『似合う』と思って背筋を伸ばしていれば、どんな服でもよく見えるものだ」

「姐さん、千にその度胸はまだないですよ」

 真面目な話だったのに、深見がにやにやしながらちゃちゃを入れた。千が顔を真っ赤にすると、ぼたんは紫陽花のように、ふんわりした笑みを浮かべた。

「自分の長所を見つけて、大切にしろ。そうすれば、自然と度胸もついてくる」



 強化合宿の日程を決めると、部活は解散となった。脚の話で恥ずかしくなった千は、小麦を引き連れて早々と部室を去った。

「あー、面白ぇー。千、タコみてぇだったな」

 話しかけられた緑も、耳まで真っ赤にしていた。

「あれあれ? 緑くんまで、なーに赤くなってんのさ。小麦ちゃんとのイチャイチャっぷりに当てられたのかー?」

「そ、そんな訳ないじゃないですか! 俺も帰ります!」

 緑は深見に背を向けると、廊下をすごい速さで駆け抜けていった。

「あーあ、若いなぁ、緑。それにしても、姐さんの漢字間違え、今日もひどかったな。『キリナマ』って」

「ああ、変わってなかったな。『キリナマコムギ』って、『ナマムギナマゴメナマタマゴ』みたいだよね」

 深見とコウが爆笑していると、後ろにいたバンが、二人の襟首を掴んだ。「ぐえっ」という、蛙の潰れたような声を出し、そのまま教室内に引きずられるが、時すでに遅し。

「私のことを笑うとは、いい度胸だな。深見、コウ」

「姐さんを笑うなんて、随分太くなったなぁ、お二人さんよぉ」

 二人の笑い声を聞いた初代、二代目部長が廊下を引き返してきたのだ。二人は怒りの表情に満ち溢れ、特にぼたんのこめかみには、血管が浮き出ていた。

「……遅かった」

 バンはあきらめたように呟いた。

 深見とコウは、二人の先輩から張り手と右ストレートを食らい、その場にうずくまった。後輩の指導が終わると、その場に立っていたバンをぼたんが見た。

「バン、あとでコウを連れて駅前の喫茶店に来い。話がある」

 いつも何を映しているのかわからないバンの瞳は、しっかりとぼたんの鋭い目をとらえていた。



 カウンターでアイスコーヒーとアイスティーを頼むと、二人の待つ二階席へ移動した。

「一体なんだって言うのかな。バンちゃん、何か心当たりはある?」

 お盆を持ち、先を歩くコウが、バンを振り返るが、特に回答はなかった。

「おー、ここ、ここ!」

 階段を登ってきた二人に気がつくと、弘都が手を挙げた。横のテーブルをくっつけて、四人席を作る。一応、一番上座にはぼたんが座っていた。彼女にしては珍しく、キャラメルマキアートを口にしていた。

「姐さん、いつもブラックなのに、今日は違うんですね」

 コウが言うと、不機嫌そうに弘都を見た。

「こいつに『何でもいい』と言ったのが失敗だった。甘いものが嫌いだと知っておいて、これを運んできたからたちが悪い」

 左頬に薄っすらとピンクの手形がついているのが確認できた。弘都本人は満足げだ。

「Mの情熱?」

 バンが呟くと、ぼたんがジロリと睨んでから大きな溜息をついた。

「桜はこれさえなければいいやつなんだがな」

「姐さん、ひどいです! 俺はいつでも姐さんのために身を粉にして働いているのに……。ああ、でも、その冷めた物言いもゾクゾクするッス!」

 本格的に身もだえを始めると、三人は弘都を無視して本題に入った。

「貴様ら、いつまで二人一緒にいる気だ?」

「え?」

 コウがストローから口を離した。管に入っていたアイスティーが、グラスに戻る。バンはミルクをかき回しながら、その流れを目で追っていた。

「いつまでって、多分ずっとじゃないですかね? 大学で専攻は変わるだろうけど、お互い協力して父さんの会社を継ぐことになると思うし。ね、バンちゃん」

 鼻の下を人差指で擦り、コウはバンを見た。が、バンの方はコウを見ることはなかった。二人の様子に、たまらずぼたんが声を上げる。

「コウ、わかっているのだろう? バンも現実から目をそらすな!」

 店内の視線が、ぼたんに注がれた。

「貴様ら、一体何があった? 確かに一年のときから二人一緒だったが、今年に入って余計べったりじゃないか。それだけじゃない。コウは愛想笑いに磨きをかけ、バンは自分の殻に引きこもりだ」

 きつい彼女の言葉にもコウは怯まず、いつもの軽い口調を攻撃的に変えて話を続けた。

「姐さん、お言葉ですが、これは俺たちの問題です。理解していただけますよね」

 ぼたんはバンを一瞥した。相変わらずの無表情。だけど、彼女は気づいていた。この話が始まってから、彼はコウの方を見ていない。双子の彼らより付き合いは短いが、同じ部活の仲間だった。少しの動揺に気づかなければ、初代部長失格だ。

「コウ、バンは何か言いたいようだが?」

 あえて、本人に話しを振ってみる。バンの目は一瞬ぼたんを捉えた。が、すぐに自分のグラスに視線を移した。

「姐さん、俺たち、双子なんですよ? 言いたい事があったら、家で言ってますって」

 呆れたようにコウが言うと、ぼたんは席を立った。

「ならばこれは初代部長として命令だ。今月末、兄弟で言闘試合をしろ。立会人は私だ。いいな」

 弘都もぼたんの荷物を持って、その後を追う。「じゃあ頑張れよ!」とよくわからない激励の言葉を残していったが、二人はそれに答える気力はなかった。

「今更、そんなこと、何になるんだろう?」

 コウが呟くのを、バンは氷に開いた穴にストローをさしながら耳にした。



「姐さん、コウは確かに問題だけど、バンは大丈夫なんじゃない? あいつ、すごく平然としてますよ」

 先を歩くぼたんに弘都が意見すると、彼女は立ち止まって彼を冷たく見据えた。

「貴様も元・部長だろう。気づかないのか? バンのカバンについていた缶バッチ」

 記憶の糸を辿って思い出す。そういえば、一年生の頃からバンはいつもカバンに缶バッチをつけていた。しかもそれは数多く持っているらしく、毎日日替わりで別のものを二つつけてくる。

「それが何だっていうんですか? 好きなんでしょ、缶バッチが」

「違う。問題はそのバッチの色だ。今朝の『あさやけテレビ占い』は見たか?」

「はぁ……、見たような」

 曖昧な返事をする弘都。彼は朝がめっぽう弱く、大学に着いてようやく意識がはっきりするくらいなのだ。今朝もテレビがついていたことには気づいていたが、内容までは思い出せない。

「ともかくだな、あの占いは毎朝ラッキーカラーを発表しているのだ。ちなみに本日の水瓶座のラッキーカラーは緑。バンのつけていた缶バッチの色は?」

「緑が、二つ?」

 弘都の答えにぼたんが頷いた。

「恐らく自分の分と、コウの分だろうな。それが毎日だ。あの双子は、なんだかんだ言って依存しあっている」

「んー、『依存』ねぇ」

 弘都が目を細めた。夕日がしみたのだ。

「同じ依存でも、俺みたいなMと姐さんみたいなSのような関係の方が、よっぽど正常だと思いますけどね」

「私はサドではない!」

 すかさず閉じた日傘が彼の頭部に振り下ろされた。



 体育の授業中だった。一組と三組女子の合同授業。種目はバスケだった。三組には友達がいない千は、この合同授業が苦痛でしかなかった。授業は、パートナーを見つけてパスの練習をするところから始まったが、当然ながら一人あまり、先生の指導で二人組の中に無理やり入ることになった。

「松本さん、よろしくね」

 二人は三組であるのに関わらず、千のことを知っていた。それも気持ちが悪かった。笛の合図がして列に戻るとき、背後で「なんであんなやつと一緒にやらなきゃいけないんだよ」と声が聞こえ、胸がしめつけられた。

 パス練習が終わったあとは、チームごとの試合になった。チームは列ごとに分けられたので、その時苦痛に思うことはなかったのだが、大勢の前に立ってプレーをすることを考えると、胃がズキズキと痛んだ。だからといって、ここで体調が悪いと試合に出ないと、クラスメイトがきっとそれをネタにねちねちと陰口を叩く。どう転んでも文句を言われるのだから、見学者席で黙って耐えるより、試合に出ていた方がマシだ。

 ホイッスルが鳴った。運の悪い事に、千は第一試合に出ることになった。体育会系の部活に所属している子が、ガンガン攻めていく。後方に立っていた自分も、試合に参加しているフリだけでもと思い、敵陣に走りこむ。体育館の床がキュッっと鳴った。ゴール前、敵と味方が競り合っているところ、少し後ろでその様子を見ていた。どちらにせよ、自分が出る幕はない。体育は出席することに意義がある。そう思っていたときだった。敵が弾いたボールが、千の方へ飛んできたのだ。思わずそれをキャッチする。

「松本、パスッ!」

「早く回せ!」

 ゴール下の味方が叫ぶ。そのままパスをしようとボールを胸に近づけた一瞬、昨日のぼたんの言葉が頭をよぎった。

『自分の長所を見つけて、大切にしろ』

 ゴールに近い味方は、自分よりも身長が低い。下からななめ上にシュートを打っても、正確に入れなければ向かい側に立つ敵にボールを競り取られる。では、少し離れたところにいる味方はどうか。さっきのパス練習では、何度もこちらにボールを追いかけてきた。パスをしたところで、確実にキャッチできる可能性は低い。

 千は自分の立ち位置を再確認した。ゴールからは遠いが、それを身長がカバーしている。しかもおあつらえ向きに正面だ。

 今まで高い身長は自分のコンプレックスだった。だけど、この場では長所になるのではないか。

 彼女は右手でボールを持ち、左手で支えた。手首のスナップをきかせ、膝を柔軟に曲げる。

 そして―打った。千のボールはきれいな弧を描いて、ゴールに吸い込まれた。

 あまりの意外な出来事に、体育館は静寂に包まれた。その後、女の子たちの興奮する声や、「ありえない」と目を疑う声が噴出したが、千の耳には届かなかった。彼女は信じられないような感覚と、それでも何かをやりとげたような実感とが入り混じり、呆然としていた。

 その後も、千は積極的に攻撃したりするようなことはなかったが、同じような場面になると、シュートを打った。試合中に放った三本は、全てゴールの中に吸い込まれ、一組と三組の女子は肝を抜かれた。

 地味に活躍を見せた千だったが、彼女をよく思わない人間も多くいた。

「何あれ、調子乗ってない?」



 千が体育の授業で活躍を見せた次の日、登校時に異変は起きた。いつものように小麦と下駄箱に行くと、上履きがなかった。

「ありゃぁ、ないねぇ」

 小麦が千の方へ駆け寄ると、緑もちょうど登校してきた。

「どうしたの、二人とも」

 その問いかけに、無言になる千。緑は何となく事情を察した。

「今までこんな目に見えたいじめはなかったのに……」

 千が呟くと、緑は言った。

「ともかく、職員室でスリッパを借りてこよう。話はそれからだ」

 職員室に行く途中、千は昨日の体育のことを話した。大したことはない。ただ、シュートを決めた。それだけだ。

「でも、それが気に入らない人はいるからね」

 緑の言葉に千は同意した。

「だけどさぁ、高校生にもなって、上履き隠しって、いくらなんでも子供すぎやしない?」

 小麦がなぜかつまらなさそうな顔で文句を言った。彼女の論点のズレは、今に始まったことではないので、千は気にしないことにした。

「とりあえず、今日一日クラスを観察してみるよ。主犯が誰か、とか、何か分かるかもしれない」

 千の真剣な表情に、緑と小麦は少し驚いた。少し悪口を言われたり、傷つくようなことがあるとすぐに学校を休むような彼女が、それに挑もうとしている。緑はそんな千の変化に、心が揺らいだ。

「松本……」

「じゃあ、私はお兄ちゃんにそれとなーくチクってくるよー」

 小麦がさらっと言うと、千は慌てて彼女を止めた。

「いや、先生が関わると、また大げさになるからいいよ。二人はいつも通りにしてて。そのほうが私も安心するから」

 そういうと、三人は別れ、自分たちの教室へ入っていった。



 千が教室に入ると、騒々しい声がぴたりと止み、クラスの視線が彼女に集まった。それに怯えた素振りを見せないように、自分の席につく。机の中には、悪口が書かれた紙が多く入っていた。そ知らぬ顔で、ゴミ箱に捨て、代わりにカバンの中の教科書を入れる。すると、ゴミ箱の中身が机の上から降ってきた。クラスの男子が、ゴミ箱を逆さにしたのだ。千は彼を黙って見つめると、彼は「なんだよ、その目は」と威嚇した。仕方なく、ほうきを持ってきて、自分の周りを掃除する。中学校の頃なら、この時点で泣きながら保健室に走っていただろう。だが、今日は違う気分だった。ゴミ箱を逆さにした彼の情報を、頭の中でかき集めてみる。ずっと教室に一人でいた時、彼が話していたことを一つ一つ思い出す。

 入学式一週間後―『あの子、かわいくねぇ? あの肩までの髪のさ。超好みなんだけど』

 五月頭―『告白? できねぇって。なんかいい友達って感じになっちゃってるんだよね』

 五月中旬―『あいつ、バスケ部入ったらしいんだよ。俺も男バス入ろうかなぁ』

 彼の話の多くは、『彼女』に関するものだった。しかも、今月に入り、彼は言葉通り男子バスケ部に入部したようだった。彼の弱点は、『彼女』―佐藤さんだ。

 千はすぐ考えを実行に移した。教室中に響く声で、「山口くん!」と彼を呼んだ。山口は無視していたが、終いに千が彼の前に立ちふさがり、無視できない状況になると、観念したように

「なんだよ」と呼びかけに応じた。千のいつもと違う様子に、教室中が注目する。

「男子バスケ部、入ったんだよね」

「は? お前に関係ねぇだろ」

「『佐藤さんには告白できた?』」

 千は一気に核心をついた。山口は千の方を向いた。その目には驚きの色が混じっている。が、彼は知らんふりを決め込む。

「何言ってんの? 別に佐藤とはそういう関係じゃないし」

「そうだよ、松本さん。何で私の話が出てくるの?」

 少し冷たい口調で、佐藤が話しに割り込んできた。千は彼女をまじまじと見て、何かに気がついたように小さく息を飲んだ。

「そのネックレス。確かペアで売ってるやつだよね? よく最近付けてるみたいだけど、買ったばっかり?」

「な、何? それが関係あるの?」

「山口くんは今月男バスに入部した。そのタイミングで告白したと仮定する。佐藤さんのつけてるペアのペンダントもちょうど最近見るようになった。二つの根拠から、二人は付き合ってるんじゃないかな」

「え? マジで?」

「山口、そういう話、ちゃんと報告しろよー!」

 千の言葉に反応したクラスメイトが、二人に野次を飛ばした。千はその野次に対抗するような大きな声で、更に続けた。

「確か、昨日の試合、佐藤さん私と同じチームだったよね。ゴール下にいたけど。私がゴール決めたことで、ちょっとムカついたりした? それで彼氏である山口くんも使って嫌がらせしたとか」

 千の分析に、佐藤は顔を赤らめ反論した。

「証拠がないじゃない! 根も葉もない言いがかり、やめてよね!」

「そう、証拠はないよ。単なる私の想像」

 千はそう言い切ると、慣れない作り笑顔を見せた。

「だけど、少なくても周囲に疑惑の種は撒けたはず。伊達に言闘部部長・松本深見の妹やってないから」

 佐藤は鬼のような形相で、教室を出た。彼女は一時間目が始まっても、戻ってくることはなかった。闘い終わった千の手は、汗でびっちょりと濡れていた。



 小麦は教室に荷物を置くと、職員室へ向った。千には「理宇治先生に言うな」と釘を刺されてはいるが、それでも何気なく話はしておきたい。また、千が保健室登校になってしまうと、今度は留年、退学の可能性もでてくる。それだけは阻止したかったのだ。

「お兄ちゃ……」

 呼ぼうとして、止めた。他の教師と話をしていたのだ。

「だから、竹内光長には先生からも言ってくださいよ」

「でも、進路は自分で決めるものですから……」

「あと、兄の竹内常盤もそうです! 部活で遊んでる場合じゃないんですよ! そこは顧問のあなたがしっかり言って下さいよ」

「はぁ」

 理宇治は年配の教師にたじたじだ。しかし、文句を言っている教師が、コウの担任であることに小麦は気づいた。担任のくせに、新任の理宇治に自分の生徒の面倒を見るように言っているのか。小麦はそれに腹が立った。

「桐生先生! 少しいいですか?」

 強引に話しに割り込むと、年配の教師はすごすごと自分の席に戻っていった。

「小麦! なんだい? 今大事な話をしていたんだが」

「大事? お兄ちゃんのお人よし!」

 小麦は兄に一言投げつけると、そのまま職員室を後にした。理宇治は彼女の後姿を見て、首を捻るばかりだった。



 千が佐藤を言い負かせ、数日が経った。あの一件以来、驚いたことに千個人に嫌がらせはなかった。その代わり、小麦や緑、コウ、バン、深見など、言闘部全員の悪い噂は広まりつつあった。

「千、平気? また保健室登校になったら嫌だよ?」

 自分の噂も広がっているのにも関わらず、小麦がさりげなく言葉をかける。だが、意外にも千はあっけらかんとしていた。

「んー、なんでだろう。前はすっごい気にして、学校来れなくなってたと思うんだけどね。今は何とも思わないな。そもそも私、悪いことしたと思ってないし」

 小麦は笑った。

「確かにねー。でも、クラスの子言いくるめたって聞いたときは、びっくりしたさ。面白かったよー」

「だけど、みんなに迷惑かけてるのって、私のせいだよね。だとしたら、本当にごめん」

 しょんぼりとうなだれると、緑が肩を叩いた。

「大したことはないさ。それに、深見先輩の部なんだから、叩かれる運命だったんじゃないか?」

「それについて、疑問があるんだけどぉ」

 小麦があごに手を当てて、宙をにらんだ。千も緑も引っかかっている点がある。

「前は深見さんのことが恐くて何も言ってこなかった人まで、何で今度は悪口言ってるんだろ」

 三人は校舎裏で昼食を取りながら、頭を悩ませた。何だか目に見えない大きな力が、裏で動いていく気配がした。



 三人が放課後、留学生教室に行くと、黒板にとんでもない写真が貼られていた。

 コウの写真だ。誰かはわからないが、同性とキスをしているのがわかるのに充分な構図だった。千も緑も、小麦でさえも言葉を失い、その場に呆然と立ち尽くした。誰からも声は出ない。あまりにもショックだった。

「みんな揃って、どうしたの?」

 後ろからかけられた声に、一同はビクンと体を振るわせた。写真の張本人であるコウと、バンだ。咄嗟に緑は、コウを教室に入れないよう、ドアの前に立った。

「な、何でもないですよ? それより部活までまだ時間があるじゃないですか。もう少し散歩してきたらどうですか?」

 声がうわずった。言っている内容にも無理がある。その隙に、千は黒板の写真を剥ごうと教室に入った。

「……光長の写真」

 千は後ろを振り返った。バンだった。彼はコウが足止めを食っているうちに、後ろのドアから教室に入ったのだった。その声に、コウも無理やり緑を押しのけ、教室に入る。

「これは……バンちゃん! 全部処分してくれたんじゃなかったの?」

 コウはバンの襟を掴んだ。いつも仲の良い兄弟の間に流れる、険悪なムード。一年生三人は何が起こっているのかは分からなかったが、嫌な空気に気分が悪くなった。

 コウは写真を黒板から剥ぎ取り、自分のカバンに入れると、教室を去った。彼の姿が見えなくなると緑はバンに詰め寄った。

「バン先輩! あの写真は一体……。あんな写真があるなんてこと自体、俺には理解できません!」

 千も二人の横に立ち、加わる。

「そうですよ! コウ先輩も変な噂いっぱいあるけど、うちの兄貴よりはマシじゃないですか! 合成写真の嫌がらせにしたって、たちが悪すぎます!」

 熱くなる二人から目をそらし、バンは小さな声で話し始めた。

「光長は中学の頃、いじめにあっていた。その時の写真だ」



 コウとバンは、都内の私立中学に通っていた。その学校は、二人が入学した年から男女共学となり、女子の比率が多かった。男子はただでさえ、目立つ存在。とりわけ双子となると、余計に際立つ。更に二人に成長期が訪れ、身長がどんどん伸びるようになると、女子の取り巻きは多くなった。バンはあまりそれに興味はなかったが、コウは成績もよく、誰からも好かれる性格の人間だったので、彼の人気は兄より勝っていた。

 だが、そんなコウにも問題点はあった。彼はうまく断るということができなかった。それこそ、理宇治とは違ったタイプのお人よし。ノーがはっきり言えず、そのまま答えはあやふやになることばかりだった。おかげでいつの間にか彼女は三人、四人、と増殖し続け、結果『女の敵』として女子からきつく当たられるようになってしまったのだ。しかも、女子比率の高い学校だ。やることはえげつなかった。一対一なら負けないが、大勢の女子に囲まれては何もできない。コウはそのまま体育館倉庫に連れて行かれ、違うクラスの男子と会った。そこで、例の写真を撮られたのだ。その男子もコウに好きな女の子を取られたと、恨みを持っていた。



「一ヶ月くらい、光長は学校に行けなかった」

 バンは言った。それに緑は同調した。

「そんなことがあったら、どんな人間だって通えなくなりますよ。いや、人間不信になってもおかしくない」

「でもさぁ、今のコウ先輩からそんな過去、全然思い浮かばないんだけど。どうして復活できたんですかぁ?」

 小麦が訊ねる。口調こそはいつもののん気さを保っているが、表情は真剣だ。

「俺が流出する前に、写真のデータを壊した。だけど数枚、すでに現像されてて。仕方ないから『相手は俺』ってことにしといた」

「……え?」

 バンのよく分からない一言に、一同目を剥く。彼は理解できていない後輩たちに、面倒くさそうに説明した。

「翌日、嫌がる光長を無理やり学校に連れて行って、全校朝礼のときにキスしてやった。それで、『双子でデキてる』って噂を流して、写真は一種のプレイってことにした」

「はぁ?」

 あまりにも荒っぽい手口に、三人は驚く。

「そんなことしたら、余計にコウ先輩ショックでしょ!」

 緑が動転したままバンに突っ込むと、彼はそれすら計算済み、といった表情で、穏やかに言った。

「数日寝込んだ。吐いたり色々大変だった。けど、また無理やり学校に連れてったら、意外に変ないじめはなくなった。その代わり、俺たちは避けられまくったけど」

「はは……」

 千の口から乾いた笑いが出た。何を考えているか分からない先輩であることは認識していたが、ここまでくると最早理解不能だ。

「だけど、一部の女子からは変に応援されて。それからかな。光長が俺にくっついて行動し始めたのは」

「な、生々しい……」

 緑が顔を真っ青にして呟くと、開けっ放しだった教室のドアから深見と理宇治が入ってきた。

「おーっす。部活始めるぞ」

「あれ、光長くんは?」

 理宇治の問いに、一同無言で返す。その様子を見て、深見はにやりとした。



 部活では、強化合宿についての説明があった。初日は弘都の実家である円賀来寺えんかくじという寺で部員同士の言闘試合。翌日はぼたんの特別強化メニューがあるらしい。しかし、そんな説明は今のメンバーには聞こえないも同然だった。全員、コウのことを考えていた。それに気づいた深見が毒づく。

「ったく、コウのやつ、部活サボりやがって。いい度胸してやがる」

「兄貴、それは……」

 千は言いかけて、止めた。あんな写真を見せられて、平気な顔で部活に出られる人間は、そうそういない。いくら過去のことだと言っても、現に写真は今も存在していた訳だし、なおさらショックであったに違いない。むしろ、トラウマを刺激されて、前よりもダメージは大きくなっているのではないか。

「千、なんだ?」

 深見が聞くと、彼女は首を左右に振り、黙った。

「それとだな、月末に、バンとコウの言闘試合をする。立会人は姐さんだ」

「ええ?」

 千と緑が大声を上げた。今の状況で試合をさせる? そんなことが可能な訳がない。コウが明日学校に出てくるかすら怪しいのに。

 バンは手元のタロットカードを一枚引いた。

「死神……か」



 ターミナル駅である大都おおと駅からバスで数分のところに、竹内家はある。白くモダンな屋敷は、近所の奥様たちから『竹内御殿』と呼ばれている。だが、この家には二人以外住んでいない。通いの家政婦と、警備員がたまに来るくらいだ。都内に住んでいる両親は、「身辺警護くらいつけてくれ」とうるさく言うが、人嫌いのバンには大きなお世話でしかなかった。二十四時間自分の近くにいていいのは、双子の弟だけ。あとは、部活のメンバーくらい。

「大人は嫌いだ……」

 そう呟いて、バンは門のロックを外した。

 玄関で靴を脱ぐと、二階のコウの部屋へ直行した。コウは、電気もつけずに布団にうずくまっていた。廊下の光が部屋に入り、それに反応したのか、余計に布団の口を押さえた。

「光長、あの写真、やっぱりトラウマになってるのか?」

 ベッドに座って声をかけるが、布団の中のコウは無言だ。それでもバンは続ける。

「父さんから、また書類が送られてきてた。机に置いておくから」

 さっきポストから取り出した分厚い封書は、雨に濡れて湿っていた。バンはそれをそのまま捨ててしまいたい衝動に駆られた。一瞬、ゴミ箱を見る。が、実行する勇気はなかった。いくら兄でも、勝手にそんなことをする権利はない。

 黙って机に封書を置くと、コウの部屋を出た。



 バンとコウの言闘試合当日になった。あの写真の一件以来、家でも二人は口を聞いていないようだった。ただ、せめてもの救いだったのは、コウが休むことなく学校に登校していたことだ。写真の存在が、言闘部メンバーにしか知られていなかったからだと思われる。しかし、だからこそ部活には顔を出していなかった。

「コウ先輩、来るのかな」

 千がバンをちらっと見て、呟く。今日もタロットカードを手にして何かしているバンだが、彼は部活に参加していた。かといって、三年生は特段練習や特訓などはなかったので、教室に存在していた、という言い方が正しいような気もした。

 その代わり、千と緑は、『校長先生のヅラをとってこい』だの、『職員室の麦茶を醤油に変えてこい』だの、おおよそ言闘とは関係のない深見のいたずらにつき合わされていた。おかげで確実に問題児のレッテルを貼られ、理宇治も風当たりが強くなっていた。小麦はそれをただ楽しんで傍観していた。全員の悪口もハデに広まっていたが、千も緑も以前より気にすることはなかった。二人にとって大きな進歩だった。

 時間は午後四時。教室のドアが開いた。

「よう、コウ捕まえてきたぞ」

「深見、放せ、マジで。俺はバンちゃんと試合する気、ないって!」

 続いてぼたんと弘都も教室に入ってくる。ぼたんの日傘がコウの頭を叩いた。

「見苦しいぞ。今更逃げる気か?」

「……だって」

 コウは悲しそうな顔で、バンを見つめた。その視線にバンが気づくと、ふっと目をそらす。

「だけど心配だったんだよ。光長くん、部活に全く出ないから……。三年生だから忙しいのは分かるけど、最近常盤くんとも一緒にいなかったみたいだしね」

 理宇治が優しい笑みを浮かべる。それがまた、コウの気持ちを刺激した。

「みんなおせっかいすぎだよ! 俺とバンちゃんの問題を、言闘勝負で解決させようなんて、横暴極まりない!」

「こうでもしないと、一生お互い気を使うだけだぞ。貴様らは仲がいい。いっそ、人前の方がハデに兄弟ゲンカできてすっきりすると思ってな」

 水色に雲の柄の着物をきているぼたんが、扇子を取り出してあおいだ。今日は梅雨の中休みで、嫌に暑い。

「試合は公式ルールにのっとり、口頭試問形式で行なう。制限時間はないから、思う存分言いあうがよい」

「口頭試問形式?」

 緑が不思議そうに復唱すると、深見が教えてくれた。

「お前と最初勝負したときは、紙に質問を十問書いてやっただろ? あれは初心者ルール。大会になると口頭試問形式だから、よく見とけ」

「っていうか、これこそが言闘の醍醐味! 『口ゲンカ』の域に入る訳。相手がどんな質問や突っ込みをしてくるかわからないからな! ただ、相手のことをよく知ってないと、なかなかうまい質問はできねーから、素人は紙に質問書くんだ」

 弘都が面白そうに解説してくれた。千と緑は初めて見るちゃんとした『試合』に幾分緊張していたが、相変わらず顧問であるにも関わらず、部活内容がよくわかっていない理宇治は、のほほんとしていた。小麦は小麦で、いつもと同じく傍観を決め込んでいる。

 ぼたんはコウを無理やり立たせ、バンとの間に扇子を持った手を入れた。

「だから、俺はやりたくないんですってば! バンちゃんもそうでしょ?」

 コウの問いに、バンは首を左右に振って否定の意思を表した。

「……俺はやる。ここではっきりしよう、光長」

「バンちゃん……」

 コウはバンの鋭い目を見て、愕然とした。兄はやる気だ。もう逃げることはできない。

「では、始めるぞ」

 ぼたんがコイン・トスした。表がコウで、裏はバンだ。手の甲には裏面の百円硬貨がのっていた。バンが先攻だ。

「光長は何で俺と同じ高校に進学することにしたの?」

「何でって、バンちゃんと一緒にいたかったからに決まってるじゃないか」

 冷や汗を流しながら答えるコウ。バンはコウを冷たく見つめた。

「コウは俺と違って頭がいい。もっとレベルの高いところだって入れたはずだ」

「そんなの、バンちゃんと一緒じゃないと、意味がないよ!」

「それって、中学の頃、俺がコウのこと守ってたから?」

 コウが黙る。ぼたんは心の中でカウントを取った。一、二、三。

「違う! 確かに俺は夏ヶ瀬高校を選んだ。けど、バンちゃんだって、俺と一緒にいたかったから、この高校を選んだんじゃないの?」

 今度はコウの反撃だ。彼は続けた。

「俺だって知ってる。バンちゃん、中学の頃陸上部で、推薦で高校に進学することもできたはずだ。なのに、わざわざここの高校を選んだ。なんで?」

「それは……」

 バンが口ごもった。見ていた千は二人の試合に首をかしげた。

「これが『言闘』……? やっぱり言い争いというか、話し合いにしか見えないんですけど」

 千が小声で弘都に言うと、彼はプッと吹き出した。

「あっはは、確かになー! でも、面白いだろ? 見えない駆け引きがあって。それに、こうやって試合にすることで、普段話し合わないようにしていることだって、本音で話せるようになる。そこがこの闘いのいいところじゃね?」

 軽い感じで言われたことだったが、自然に千の胸にスッと入ってきた。普段話し合わないこと。目前の双子を見た。二人はそれこそつうかあの仲だと思っていたのに、お互い思っていても口に出せないことがあったのか。二人が本音で話していることは、声の調子でわかった。

「俺は走ることをやめた。速く走れたって、お前ほど勉強はできないからな。陸上をやめて、勉強した。でもお前には勝てなかった」

 いつも無口で冷静なバンが、珍しく熱を帯びた声で、コウに迫る。コウが反撃する前に、バンは付け足した。

「俺たちは双子だ。でも、父さんの期待はお前にばかり向けられていた。お前は俺と一緒に会社を継ぐつもりみたいだが、俺にそんな能力はない」

「そんなことない! 俺はバンちゃんと一緒にいたいんだ!」

 すがるようなコウに、バンは冷たく言った。

「この間の写真、俺が深見に頼んで黒板に貼ってもらったと知っても同じことが言えるか?」

「……え?」

 コウの思考が止まる。ぼたんはその間もカウントを取ることを忘れない。四まで数えたところで、ようやくコウは口を開いた。

「なんでそんなことしたの?」

 怒りと悲しみを堪えた静かな口調。右手はかすかに震えていた。千も緑も、この事実に驚きを隠せなかった。

「なんで? そんなの決まってる。この勝負に勝つために、精神的ダメージを与えたかった。でも安心して。データはもうないし、あの写真の元になったものも全部廃棄した。これは本当」

「わからないよ。バンちゃんはいつも俺のこと、守ってくれたじゃないか! なのに、こんなひどいことするなんて……」

 鼻声になっていくのが分かる。だが、涙は見せない。泣いてしまえばこちらの負けだ。バンの本当の気持ちを知るまで、この勝負、負けることはできない。

「守ることで、自分の存在価値を確かめたかったんだ。俺は光長を守ることでしか、竹内家にいる資格がない。いつまでも一緒にいることだって、できない」

「そんなこと、ない! 絶対ない! だって……バンちゃんは、俺の、たった一人の兄弟じゃないか! 家のことなんて関係ない!」

 涙がついにこぼれた。ぼたんは試合終了の合図をせずに、二人を見守ることにした。バンは、そっとコウを抱きしめた。

「俺がこの勝負に勝ちたかったのは、お前に留学してもらいたかったからだ」

「え?」

 涙の筋を拭い、コウはバンから離れた。

「父さんから、書類がきてただろ。光長、お前は頭がいい。留学することで、もっと視野も広まる。こんなチャンス、めったにない。だから行ってほしい。俺から離れるんだ」

 コウの肩をつかみ、真剣な眼差しで言う。それはいつものようなボソッとしたものではなく、しっかりした声だった。

 涙を見られ、恥ずかしくなったコウは、赤面しながらそれに答えた。

「……わかった。考えてみる」

「この勝負、バンの勝ちだな」

 深見がぼたんの代わりに大声で勝敗結果を発表した。彼女は同時に、なぜ二人がべったりと一緒にいたのかもわかった気がした。高校を卒業したら、離れてしまうかもしれない。そんな予感がしていたのだろう。

 バンはこの間引いたタロットカードを思い出していた。『死神』の逆位置。

「ここからが、新たなスタートという訳か」



「兄貴、ちょっといい?」

 試合が終わり、バンとコウを中心に盛り上がっていたところ、急に千は深見を呼んだ。その声で、留学生教室は一気に静まり返った。

「あの、深見先輩と関わりたがらなかった松本が……」

「部活ですら、極力口をきかなかった千が、深見さんを呼んだ?」

 緑と小麦は驚きを隠せなかった。二人の様子に、千は耳まで真っ赤にして怒った。

「私が兄貴呼んだっていいでしょ!」

 それに火を注ぐように、深見本人もノリノリで冗談を言い出した。

「千! やっとお兄ちゃんと仲良くなる気が起きたか! 嬉しいぞー!」

「ち・が・う! とりあえず、こっち来て!」

 千は深見の首根っこをつかむと、廊下の先にある非常階段に出た。



「で? 本当に何の用だ。俺と関わりあいたくなかったんじゃなかったのか?」

 二人は手すりに寄りかかり、夕方の日を浴びていた。梅雨の束の間の晴天。連日の雨で水を吸った草花が、沢山の汗を空気中に放っているかのように蒸し暑かった。

「バン先輩とコウ先輩、あんなに仲良くみえても、全部通じ合ってるって訳じゃないんだね」

「そりゃそうだろ。双子とはいえ、頭も心も二つあるんだ」

「じゃ、仲良くない上に双子でもない私たちは、余計分かりあえないよね」

「はぁ?」、と深見は声を上げた。それは自分より、千の方がよく知っていることだと思っていた。自分が原因でいじめられ、自分に無理やり部活に入れられた。こんな兄、理解できる訳がない。それを、何を今更。

「二人の試合見て、わかった。自分の気持ちはちゃんと言わないと、いくら兄弟でも伝わらないって」

「何が言いたいんだ?」

 深見が千を見上げた。

「私、兄貴のことがわからない。わかろうともしなかった。でも、今日の試合を見て、考えが変わった」

 こほんと咳払いをして、千は一瞬うつむき顔を上げた。

「兄貴、いつか私と言闘勝負をして。兄貴に言いたいこと、多分いっぱいある」

 千の実直な言葉に、深見はにやりと笑った。

「面白ぇ。やってやろうじゃんか。約束だぞ」

 言闘は、自分を知り、また相手を知ることから始まる―それに気がついた放課後だった。

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