第4話 聖女か、悪魔か

 翌日の早朝マラソン。

沙映子だけが見学だと思っていたが、涼ちゃんもその隣で体育座りをしていた。

体調が戻っていないらしい。

確かに昨夜、彼女は誰よりも早くベッドで横になっていた。

 そんな昨夜、気になったのは沙映子の素行だ。

涼ちゃんが休んでいるベッドのカーテンを少し開けると、こちらに聞こえないような小声で何やら話しかけていた。

今思えば、涼ちゃんにマラソンの見学を促していたのだろう。

​「沙映子にも人の心があったのか……」

 一人で見学するのが心苦しかったのか、それとも涼ちゃんを悪の道に引きずり込みたかったのか。

いや、もう沙映子を気にかけるのはやめよう。

一瞬でも彼女に好かれたい、認められたいと思った自分が馬鹿だった。

 ​マラソンを走り終えると、そこに涼ちゃんの姿はなかった。

「涼ちゃん、まだ具合悪いの?」

 気になって沙映子に尋ねる。

「どうなんだろうね」

 沙映子はすっと立ち上がると、そのまま研修センターの中へ入っていった。

胸くそが悪かった。

私だって同じ班なんだから、知る権利くらいあるはずだ。

​伊勢ちゃんと恋ちゃんのゴールを待って、私は沙映子とのやり取りをぶちまけた。


「心配だね。沙映子は事情を知ってそうだけど……恋ちゃん、何か聞いてる?」

「知らない。ただの風邪じゃないの?」


 二人も知らなくて、不謹慎にもホッとした。

知らないのは私だけじゃない。

仲間外れじゃない。

だから……つい、調子に乗って余計な一言を口にしてしまった。


「沙映子と一緒にサボってるだけだったりして」 


​ 恋ちゃんは「かもね」と一応は同調してくれたが、明らかに私から目を逸らした。

伊勢ちゃんは気まずそうに「そろそろ朝食じゃない?」と話を逸らした。

自分の浅はかな発言を、死ぬほど後悔した。

​ それからの研修は自己嫌悪のせいで全く集中できなかった。

私のいない所で悪口を言われているんじゃないか。

みんなに嫌われ、陥れて辞めさせられるんじゃないか。

 不安でたまらなくなり、極力みんなに話を合わせ、嫌われないように努めるだけの抜け殻のような時間。


 ​そして、ついに研修最終日の前夜が訪れた。

明日の朝には配属先が決まる。

もうどこだっていい。

これから何年も寮生活を共にする仲間に好かれたい。

何でも話せる友達が欲しい。

それだけだった。

​ 今夜は久しぶりに涼ちゃんも輪に加わり、五人で雑談をすることになった。

ずっとベッドに入り浸りだった涼ちゃんは、顔色も悪く、日に日に元気がなくなっていっていた。


「みんなに話がある」


 涼ちゃんが満を持して口を開いた。

正面に座る沙映子に目配せをしている。

沙映子はそっぽを向いていたが、涼ちゃんは言葉を絞り出した。


​「実は私……えっと、〇▼※△☆……!」

「え!? なに!?」


 私、伊勢ちゃん、恋ちゃんの三人が同時に叫んだ。

何を言っているのか、全く理解できない。


「▲☆=¥! >♂×&◎……!」


 泣きながら興奮している涼ちゃん。

私たちは「何言ってるか分かる?」「全然」と視線で会話するしかない。

 すると、沙映子が床にのたうち回って大爆笑し始めた。


​「ちょっと涼ちゃん! 方言やばくない? 通訳できないって!」

「……沙映子、涼ちゃん泣いてるけど、何があったの?」


 恋ちゃんが尋ねると、沙映子は涙を拭きながら笑い飛ばした。


「あー、おもろかった。青森のガチ方言やばいね。英語の方がまだ理解できるわ」


 絶望して泣いている涼ちゃんをそこまで貶めるなんて。

どこまで性悪なんだろう、この女は。


​「わで話す」


 少し落ち着いた涼ちゃんが、再び口を開いた。


「妊娠……してる」

「え!!!」


​ 頭の中が真っ白になった。


「もうすぐ二十週。もう時間がないよ。涼ちゃん、どうする?」

沙映子がベッドから例の携帯を持ってきた。

「ちょっと待って、沙映子知ってたの?」

「沙映子にバレてた」


 涼ちゃんが答える。

あの時だ。

沙映子が涼ちゃんのベッドで話していた時。

 ……いや、携帯を隠し持っていた初日から、沙緯子は涼ちゃんの異変に気づいて「後悔するよ」と警告していたのだ。


​「涼ちゃん、腹は決まった?」

「うん……タカシに聞いてみないと……」


 手術か、出産か。

私たちは黙って二人のやり取りを見守るしかなかった。


「じゃあ、産むんだね。了解」


 突き放す沙映子。


「産みたいけど……」

「妊娠を知っていながら涼ちゃんを青森から送り出した無責任なタカシに、今すぐ電話してみ?」


​ 沙映子が突き出した携帯を、涼ちゃんが震える手で受け取った。


「スピーカーにして。ここにいる全員が証人になる。いいよね?」


 私たちは前のめりで頷いた。

​プルルル、と呼び出し音が鳴り、タカシが出た。

緊張が走る。

 けれど、電話の向こうから女の声が聞こえた瞬間、場が凍り付いた。


『タカシィ……誰からぁ?』


 動揺するタカシ。

涼ちゃんはショックで携帯を落とした。

それを、沙映子が拾い上げた。


​「そこにいる女に代わって」


 冷徹な口調が、さらに空気を冷やす。


『お……おめ、涼子のなんなんだ……』

「いいから代われ。標準語、通じないか?」

『お……女なんて、いねぇ……』

「とぼけるならそれでもいいよ。ただ、怖い人にそっちに行ってもらうから。単なる脅しだと思うなら涼ちゃんに聞いてみな。私、ヤクザの女だから」


 沙映子が悪戯っぽく舌を出した。

十八歳の男を脅すには、十分すぎる嘘だった。

​タカシは怯え、電話を代わった。

相手はなんと、涼ちゃんの知り合いの女だった。


「おまえが涼ちゃんの費用を払え。払えないなら、そこにいるクソ男に伝えといて。涼子の口座に二十万振り込めって。じゃ、よろしく」


 ​沙映子は一方的に電話を切った。


​パチ、パチ、パチパチ……。


​ 伊勢ちゃんの拍手に、恋ちゃんと私も続いた。

沙映子はそれに反応することもなくベッドへ行くと、また別の誰かと電話を始めた。

 

 彼女のこれまでの無礼が、すべて、帳消しになった。


























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