第4話人間は理由もなしに

年始の休みが終わり会社が始まる日の朝、寒さに耐えながら雪を起こさないようそっと布団から抜け出した今瀬は、慣れない手つきで弁当を作っていた。

今日から本格的にナカハラに雪を預けなければならない。会うのはあの日以来であるし、やはり小さい子供を預けるには心許ないし迷惑をかけては申し訳ない。しかし、仕事を休むわけにも行かず今こうしてほぼ初めてと言っていい弁当作りをしている。

最近の雪は刷り込みのように今瀬を親と認識したらしく、雛のように懐いている。意思疎通はできないため詳しい事情は聞けないが、親や元いた場所を恋しがるそぶりもなく、虐待などの痕も見られなかった。一体この子がどういった存在なのか結局何も分かってはいないが、警察に渡してもどうなるか分からずやはりずるずると住まわせているのである。

どうしようかと何度目かのため息をはいたとき、炊飯器が音を立てた。火を使い始めたからか米から出る湯気なのか、ストーブのガスの匂いと同時に部屋がじわじわと熱を持ち始める。

「雪〜、そろそろ起きる時間だぞ!」

呼びかけても布団の山は微動だにしない。子どもだからこんなもんなのかといつも疑問に思うのだが、仕方なく布団の方へ行く。いつも布団から引っ張り出して無理矢理にでも立たせないと絶対に起きないのである。

今瀬が布団を剥がそうとしたとき、小さい違和感を感じた。いつも今瀬の横で小さくなって寝ている雪であるが、今日はやけに山が大きく感じる。

パッと布団を持ち上げると、そこにはいつも通りすやすやと眠る雪がいる。しかし、心なしか体つきが大きくなっているように感じるのは気のせいだろうか。

子どもの成長は早いからと引きずるように着ていた服の裾はぴったりになっていた。これがネットに書いてあった子どもはあっという間に大きくなるという感覚なのだろうか。

「って、うわあ!ほんとに遅れる!!雪!!」

布団から引きずり出し素早く布団を畳む。やはり昨日よりも重くなっている感じがした。

「お、はょ」

寝ぼけたような拙い発音の挨拶。

「はいはい、おはよう。早く準備して…えぇ!?」

空耳かと思い雪の方を振り返る。雪は不思議そうに首を傾げたあと、へにゃりと破顔した。

「おはよ!ママ!」

やはり聞き間違いではなかったのか昨日まで言葉らしい言葉は一切喋らなかった雪が話していた。

「え、なんで急に…いや、俺は”ママ”じゃないんだけど…」

「??」

今日は朝から驚かされてばかりだ。大きくなったと思ったら急に言葉を喋り出す。子どもの成長にしても、急にこれほどはっきりと話せるものなのか。

「”泉”だよ。い、ず、み。」

「い、ず、み。いずみ……いずみ!いずみ!」

雪は急に目が醒めたというように今瀬の周りを跳ねている。

「はっ!しまったまた…!」

気になることは色々あったがそろそろナカハラの家に向かわなければ本当に遅刻してしまう。混乱した頭のまま雪を簡単に着替えさせリュックに弁当を詰めて飛び出すように家を出るのであった。



「おはようございます、ナカハラさん…。」

息を切らしながらナカハラの家のインターホンを押した今瀬は若干憐れむような視線を向けられながら必死に朝起こったことを話していた。

「ほぉ…、それでコイツが急に成長して言葉まで話していたと…。」

「そうなんです…、子育てなんかしたことないからこれが普通のことなのか分からなくて…。」

「いや、普通は有り得んが…。というか、会社は行かなくていいんか。」

時計を慌てて見るとすでに電車の時間が迫っていた。

「っすみません!詳しいことは帰りに!…あ!リュックに弁当が入ってますからそれ食べさせてください!あと…」

「いいから行け。」

若干後ろ髪を引かれながら今瀬は駅に向かって走り出した。


***


チラチラと振り返りながら慌てて走って行く背中を雪が見つめている。

「全く、慌ただしい奴め……。でも、しっかりやれてるじゃないか、コイツの…」

ナカハラが家の中に入ると、その後を雪が恐る恐る近づいてくる。

「早く入れ、家が寒くなる。」

ぶっきらぼうに言ったナカハラに雪は慌てて玄関へ入った。


***


会社での昼休み、今瀬はどこか落ち着かない気持ちでご飯を食べていた。普段はコンビニですましているお昼を、雪のついでに作った自分の弁当を食べているのがなんだか変な感じがする。自分の生活領域に誰かが侵入してくるというのはこんな感じなのか。しかも今回は遥か遠くから来た異星人と来たものだから、一般的な場合とは比較ができないのかもしれない。

「あら、今瀬君お弁当じゃない珍しい。」

経理の山本さんが後ろからのぞき込むように見ていた。

「あ、そうなんです...。実は自分で作らなくちゃいけなくなっちゃって。」

「節約とかかしら?」

とっさになんて答えるか迷う。

「あの、実は...親戚の子どもを預かっていて、幼稚園でお弁当の日があるんです。だからこの機会に習得しようかなと思いまして。」

「あらぁ、偉いわね。」

感心し多様に言う彼女に少し後ろめたくなる。彼女に子どもがいることを思い出し思い切って聞いてみることにした。

「あの~それで少しお聞きしたいことがあって...。」

「あら、何かしら?私が答えられることだったらなんでも聞いてちょうだい。」


「子どもって、1日やそこらで急成長するものなんでしょうか?」

あの雪の成長はやはり普通の範疇から外れている気がする。いくら今瀬が子育てをしたことがないと言っても、人間の骨格が一晩で大きく変わるなんてあり得ない。

「そうねぇ…子どもの成長って早いって言うから。実際、昨日できなかったことが今日はもうできてるとか、子育てしてる人なら感じるんじゃないかしら?」

「あっ、いや…そう言う成長っていうか…体格?というか…なんかどんどん大きくなる気がして…」

そういうと、山本さんは少し考えた後ニコッと満面な笑みを作る。

「あら〜今瀬くん、その子が可愛くて仕方ないのね!」

「え?」

「だって、子どもの成長をいつも感じられるのはほんとに大切に育ててる人だけなのよ。」

指摘されて初めて、今瀬は自分が雪のためにいままでしたこともなかった子育て、必死に弁当を作っていることに気が付いた。しかし、山本が言うような純粋な親としての気持ちなのだろうか。雪は、自分に欠如した普通の家族という感覚を与えてくれる、都合の良い存在として打算的な心がないのかと言われれば今瀬は否定することはできない。たかが数日一緒に暮らしただけで情が移るなんてありえない。しかし、今瀬は雪をとおして何かを探している気がしてならず、一度持ち始めた疑問はまるで心配事のある夜みたいに時折頭に浮かんでくるのであった。


***


今瀬は就業時間とともにカバンを持って立ち上がった。いつもなら周りの目もありなかなか帰れないのであるが、頭の中には雪のことばかりで、なぜか無性にあのふやけた顔を見たくなった。あれほど居心地が悪かった職場が、違う心配事ができるだけでどこかちっぽけな場所に見えてくる。帰り道を急ぎながら今瀬は昼間の話を思い出していた。最終的に今瀬が欲しかった答えとは違ったが、やはり子どもの見た目が急に成長するということはあり得ないのかもしれない。ネットで調べてみてもそんな事例は出てこない。

ナカハラの家の前に着いたとき、なぜか異様に家の中が騒がしく、どたどた音が鳴っていた。また嫌な予感がした今瀬は急いでインターホンを押す。呼びかけると、中の物音が一瞬ピタッと止んだかと思うと、目の前の扉が勢いよく開き何かがこちらめがけて飛び込んできた。

「うおっ」

顔が”なにか”に覆われて息ができない。顔に飛び込んできた剥がすと顔を涙か鼻水かもはやよくわからないほどに濡らした雪であった。

「いずみ!いずみぃ〜」

困惑していると、家の中からナカハラが出てきた。

「あの、雪が何か粗相を...?」

恐る恐る聞くと、朝雪を預けたときよりも数段やつれているように見えるナカハラは、今瀬に張り付く雪を一瞥すると大きいため息をついた。


「朝はずっと呆けてたよ。いつもみたいに眠そうにそこに座ってた。お前さんが一番わかっていると思うが、こいつ昨日よりも大きくなっただろ。物心がついたのか知らねえが昼頃に急に泣き出してよ、どこだどこだって騒ぎ出したんだよ。」

まだ自分がどういう状況に置かれているのか理解できていなかったのか、初日以降めったに泣かなくなったが、久しぶりにこんな泣き顔を見た。

「いやーご迷惑をおかけしたようで…すみません…。それで、やっぱりこれって成長したってことですよね…?」

朝は時間がなくてあまり考えられなかったが、改めて見ると5、6歳くらいの子どもになっている。さっきの音を聞いても、相当走り回っていたのだろう。

「あぁ、そうだな。……必要はないと思っていたが、こうなったからにはお前には話さなきゃならねぇな。」

心なしか居住まいを正したナカハラは、急に真面目な声色で投げかけてきた。

「話さなきゃいけないこと…ってやっぱり雪の正体?について、ですよね。」

初めて出会った頃から感じていたことだが、雪は謎が多い。見た目が変わっているのはもちろん、ナカハラが言っていた他の星から来たというのもいまだに飲み込めてはいない。自分がおかしくなったのではないかと不安になる気持ちを必死に抑えながら、ただ外面はいつものように暮らさなければならない孤独感に今瀬はさらされているのである。

「実は、俺らの星と地球とでは時間の流れが全く違ってる。こっちが1時間進んだら、あっちでは3時間進んでる。1日だったら3日、1年だったら3年。こっちの奴らの3倍の時間が進んでる。」

ナカハラは指を折り曲げながら淡々と言い放った。

「え、じゃあナカハラさんも3倍で歳をとってるということですか…?」

混乱した頭で今瀬はかろうじて声を絞り出した。

「いや、俺はこの星の基準で老いてる。寿命はそのままだがな…。」

「寿命?」

ナカハラは一瞬黙って、何かを言い淀む素振りを見せたが、諦めたように口を開く。

「俺たちの星は時間の経過がこの星に比べて速い。だから、その分与えられた寿命も長かったんだ。でも、老化は徐々に遅くなって、お前らが死ぬ頃には俺たちは精々30代の見た目といったところか。元の星の感覚では、俺たちは何百年、何千年…とても数え切れないくらいの何月を生きるんだ。

この星は俺たちには遅すぎて早すぎるんだ。ここの奴らは、時間をゆっくり歩いていくくせに、たいして何もなさないまま死んでいく。残そうとしても寿命に阻まれて結局終わり。まるで線香花火みたいだろ?」

なるほどナカハラが言うことは一応矛盾していない。しかし、ここではないどこか銀河系も時空も超えた惑星、いやもしくは惑星ではない”空間”からやってくるというのは本当なのだろうか。疑問に思ったところで確認する術はないし、何よりもありえないことが連続して起こる今の状況こそがなによりの証拠なのかもしれない。

「でも、そんな生き方も、悪くないかもしれんな…」

未だ追いついていない頭でその不思議を必死に落とし込もうとしている今瀬に、何かを呟くようにナカハラは続けた。さっきの話の続きのような独り言のような力ない声だった。

「あの、…」

度々見せるナカハラの何かを堪えるような顔に、今瀬はあまり踏み込むべきではないと思いつつ気になってもいた。何が彼をそうさせるのだろうか。

「いや、すまない忘れてくれ。つまり、元の世界から”なんの通行証も得ず”来た奴は、その異常な成熟の早さで人間社会に馴染めず孤立することが多いんだ。」

さっきのことは忘れろというように、ナカハラはいつものカラッとした声で続けた。

「はあ、通行証ですか…パスポートみたいな?」

「ああ、こっちの世界ではそう言うな。だが、俺らのとこでは世界を渡るだけじゃないんだ。通行証は本当の意味で時空を渡る、つまり行き先が地球だったらそっちの世界に肉体が引っ張られるんだ。だから、俺はこの星の奴らと同じようにしわがれてきてる。」

そもそも何千年も生きると言う感覚が地球に住む自分にはよく分からないが、ナカハラはそれを捨ててここで何もなさない人生に身を投じているらしい。

「でも、寿命がそのままということは…その…」

「……ああ、結局は人間社会に馴染めたとしても、あいつらは簡単に死んでくんだ。何回も出会いと別れを繰り返し、この星の移り変わりを観測する。星を移動するんだ、それ相応の代償だと思わないか?」

「代償ですか…」

確かに、何回も親しくなったと思ったら大事な人に置いていかれる。自分はその後も長い長い生命を過ごさなければならないというのは、なんともどかしくて恐ろしいことなのだろうか。今瀬の短い人生ではあまり想像できないが、彼はそれだけの経験を重ねてきたのかもしれない。

「ああ、長く生きて得することなんか、この星においてはゼロなんだ…。」

「………。」

「まあ、とにかくこいつは地球に肉体が適応してないってことだ。当分、お前が面倒見てやるんだな。」

話題を切り替えるようにナカハラは立ち上がって雪を覗き込んだ。乱雑な手つきで撫でるというより頭をわしっと掴み掻き回され雪は目が回ったというように手から逃れようとする。

「じゃあやっぱり、雪が急に歳をとったのって、その…」

「ああ、こいつは通行証を持たずに地球に来たことになる。」

「そうなんですね…。」

こんな赤子の姿で自分を守る術を持たない彼が身一つで道端に捨てられていた。この世界で子供を捨てるのとはまた違う、時空を超えて異世界に堕とされる事情があったのか、自分には想像がつかない。

「どうしてこんな…。元の世界に雪を探している人がいるかもしれないってことですよね。どうにかして帰せないんですか?」

「できないことはないが、気軽に行き来することはできないんだ。この世界に来るのはそれ相応の理由や審査が必要になる。その分、帰りたい時に帰るってことも難しいんだ。」

そこまで言ってナカハラは黙ったかと思ったら、重々しく口を開いた。

「………それと、さっきから察しているとは思うが、通行証を持たない通行は異例中の異例。ほとんどは厳しい関門を通らないと移動はできない。通行証を持たないのは、あまり考えられないが何かの手違いでたまたま飛ばされたか、もしくは……元の世界で罪を犯した罪人だけだ。」

「……え?」

「俺も実際には見たことはねぇが、罪人はそのまま異世界に堕とされて半永久的に孤独に過ごす、姿を変えられ異世界に追放される。とまあこんな噂がひそかに囁かれてたんだよ。」

そう言われると、確かに雪は居場所のない状態で捨てられてたし、俺以外には猫に見えているようだった。赤子というのも仮の姿で、元の世界では大罪人だったのかもしれない。急に今瀬は雪が何か得体の知れないものに思えてきた。

「雪を見つけた時から、なぜかみんなには猫の姿に見えていたり、赤子の姿で捨てられていたり、不思議だったんです。……雪の正体は一体なんなのでしょうか。」

「俺にも分からんな。何かの手違いで放り出されたのかも知れないし、罪を犯したのかも知れない。それとも、俺たちの想像も及ばないような因果を背負っているのかもしれん。第一、お前はなんでこの子の正体が分かったのかも分からないんだ。俺ならともかく、地球人のお前がな。」

ナカハラの言う通り、おかしな話だ。俺だけが雪のほんとの姿が見えて、しかもちょうど通りかかる道に時間に意図的に置かれたような…。

「とにかく、そいつは赤子くらいの記憶しかないし、なぜか通行証なしにこの世界に堕とされたことしか、今は分からないんだ。」


結局謎は深まるばかりであったが、それ以上のことは分からないため一旦帰ることにした。前までは風呂も抱き抱えられて入っていたと言うのにもう1人で椅子に座っている雪は機嫌良さそうに頭を洗われている。どう見ても子供で、話せるようになったとしても昔の記憶が残っているとは到底考えられなかった。

どこにも居場所を持たないこの子は、今後どのような人生を辿るのか、前途多難な現状に今瀬はため息をついた、

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