第3話あり得ないこと
ナカハラに預けられた雪は結局あの後泣いているうちに疲れて寝てしまったようで、家に戻ってもずっと眠ったままだった。時間も時間だったので、気になることはたくさんあったがとりあえずナカハラと別れ帰ってきた。
そして、明日から仕事で今瀬が家にいない間預かってもらうことが決まった。何だか気が引けるような感じもするが、これ以外に術もなくとりあえずはナカハラに頼ることにしたのである。
「じゃあ、行ってくるな、雪。」
頭を撫でると、まだ分かっていないのか嬉しそうにキャッキャと笑いながら手足を動かす。
そっと手を離しリビングを駆け抜けると、ワンテンポ遅れて聞こえてくる鳴き声。
ナカハラには申し訳ないが、この流れがもはや毎朝の習慣となっていた。
最初の頃は悲しそうな声が耳に付いてなかなか振り切ることができなかった。しかし、時には非常になることも大事だと気付いてからはこうして雪に指を掴まれる前に家を出るようにしている。
そう、あの小さい体のどこにそんな力を蓄えているのか、一度指を掴まれると意地でも離さないのである。気に入ったものは何でも頑なに離そうとはしない。あれは人間離れしたというレベルではない。
「おいっ!今瀬!」
雪のことを考えていてぼーっとしていたようだ。
「お前、最近仕事に身が入ってないんじゃないか?あ?」
今瀬にだけやけに目くじらを立ててくる上司。確かに今は手を止めていた今瀬が悪いが、子育てが始まったあたりでこの上司からの仕事の押し付けも悪化したのだよりによってこんな時期に、と思うが何も言えない悔しさには歯痒さを感じるしかなかった。
上司へのイライラが収まらぬままナカハラの家に着いてしまった。ため息をつきながらインターホンを押すと、スピーカーから声が聞こえたかと思えば同時にドタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。
鍵がガチャガチャと開けられ扉が開いたと思ったら、そこにはナカハラに首根っこを掴まれた雪がフーッフーッと瞳孔の開いた目で唸っていた。
「とりあえず、中入れ。」
顎で中を示され、何が何だか分からないまま着いていく。
居間に座った途端、下に降ろされた雪が腰の方に縋り付いてくる。どうにも動けないので、肩を叩き離れるようしますが、より一層強く抱きついてきた。先ほどの様な興奮状態はなく、耳が垂れたままスーツに顔を埋めている。
「あの、一体何が…。」
ナカハラにちらりと視線を向ける。
「ああ、さっきまでテレビをボーッと見てたかと思えば、急に大声を出して泣き始めたんだよ。」
「え、それは、すみませんでした…。とんだご迷惑を…。」
雪は一度預けてしまえば、今瀬が帰ってくるまで泣くことはない。何がそれほどに雪の琴線に触れたのか。
「いや、俺もこんなのは今日が初めてだ。いつもは大人しく寝てやがるのに、まあ、何か反応するところがあったんだろう。」
疲れたように頭を掻くナカハラに多少罪悪感を覚える。
そう言えば、最近は仕事から帰ってすぐ帰って最低限の生活をするだけの生活で、久しぶりにこんなに話したかもしれない。ずっと聞けなかった疑問が頭に浮かんでくる。
「あの…雪と初めて会ったときにも言ってましたけど、この子って…」
今瀬がずっと気に掛かっていたが、仕事と世話で忙殺されなかなか聞けなかったこと。
「………そうだな、すぐには理解できないと思うが、お前さんも知っておくべきだろう。」
そう前置きするとナカハラは引き出しから小さい鍵を取り出してきた。レトロ調の少し錆ている鍵はリングに3つ束になってまとめられている。
「アイツについて話すには、俺についても話さなきゃな。俺は、いや俺とアイツは、この世界の人間じゃないんだ。」
「……え?」
よく漫画やアニメで聞くようなセリフがナカハラの口から発せられた。
「それって、違う星から来たとか…?」
自分には到底思考も及ばない話に半ば呆然としながら何とか言葉を探す。
「ああ、この地球とは全く違う星だ。つっても、宇宙を通って来たとかじゃないから、もしかしたら違う宇宙かもしれないし、全く違う時空かもしれない。とにかく、こことは景色もルールも何もかも違う世界で俺たちは生きてたんだ。」
手元にあった鍵を徐に掴み上げると、ナカハラは今瀬の眼前に吊り下げた。
「俺は”事情”があってこの世界に送られて来たんだが、そのときにこの3つの鍵を渡されたんだ。
これがこの家の鍵。俺たちは本当はこの世界に存在しない、だからこうして家でも何でも居場所になる空間を作って寝床を定めるんだ。
こっちの鍵は”記憶の鍵”。俺たちは最初記憶のない状態でこの世界に落とされる。」
持ち手がクラブの形をした銅色の鍵を指でなでる。
「そのガキと一緒だ。俺も赤ん坊の姿でこの世界に来た。どっかの家の倅としてな。そいつは捨てられてたみたいだが……、まあそれは今はいい。17歳になるとこの鍵が急に手元に”戻ってきて”、ある場所でこの鍵を使うと元の世界にいたときの記憶をすべて思い出す。」
到底有り得ない話に今瀬はまるで夢のように思いながら鍵を見つめていた。
「じゃあ、もう一つの鍵は…?」
最後の鍵を見つめて黙り込んだナカハラに問いかける。
「…分からない。」
鍵を握り締めて小さく呟く。その表情は苦しげでまるで感情を必死に自分の奥に押し込むような声だった。
「そ…なんですね。」
何か思い詰めているようなナカハラに対してそれ以上聞くことはできなかった。
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