第2話 汝の隣人を


「あ~おもっ!」

翌日の朝早く両手に大きい袋を提げ、た今瀬は疲労困憊になりながら歩みを進めていた。あの後、店はどこも開いていないためとりあえずコンビニで夕食と幼児用のお菓子を買って食べさせた。一瞬、本当に食べさせても良いのか迷ったが、自分の指を握りしめる手はどう見ても人間の子供のものであったため、お腹が満たされれば泣き止むのだろうと考えたのである。


食べ終えると子どもは眠くなってきたのか、ぐずっていたので抱きかかえてやるとすぐに目を閉じた。

せっかくの週末だというのに眠れない夜を過ごした今瀬は、日がやっと昇り始めた今こうして買い物をしようとに繰り出していたのである。


「とりあえず、子供用の食べ物買ってきたけど…」

見たところ2歳くらいであるためおそらく薄味の食事を食べる頃である、とネットに書いてあった情報を頼りに慣れない手つきで子どもの口元にスプーンを運ぶ。そうすると、最初は何やら不思議がっている様子であったが、徐に口を開けてスプーンにかぶりついた。

口をもごもごと動かしたと思ったら、大きい目を見開いておかわりを求めるように大きく口を開けてバタバタしだした。

あまりにも興奮している様子に思わずフッと笑うと、子どもはこちらをキョトンとした顔で見てきた。


なんだか気恥ずかしくなり誤魔化すようにスプーンを口元に突っ込んでやると、再び食事の方に意識が持っていかれたようで、一心不乱に食べていた。

「それにしても、結局何も分からないな。お前、名前とかないのか?」

「う〜、ぁぶっ!」

「……そうだよなぁ」

最初の頃から予感はしていたが、見た目の大きさとは反して全く言葉が話せないようだったので対話は諦め、とりあえず呼び名を決めることにした。

「う〜ん、どうしよ。こういうのダメなんだよな。」


改めて子どもを見てみる。よく見ると髪は一面の銀世界のようで、ふわふわと降り積もった雪を思わせる。瞳はエメラルドを思わせるような少し暗めの緑が嵌め込まれており、瞬きをするたびにその光が万華鏡のようにコロコロと動くのである。

ほんとに綺麗な髪だと思った。晴れた日に積もった雪の照り返しで光っている雪は、太陽が沈んだ後、暗く静謐な影の中で光続ける。寒い。寒い。永遠に思える時間、いっそこのまま…


「ん〜」

ぐずるような声にハッとして目の前の白が消えていく。急に黙った今瀬に何かを感じたのか、服が引っ張られた感じがして子どもの方に目を移すと、指を咥えて心配げにこちらを見ていた。


「ぁ、ごめんごめん。えーっと、なんだっけ、あ〜名前か…。」

いつの間にか何処かへ行っていた意識を戻す。

「そうだな、"ゆき"とか…?流石に安直すぎるか…?」

メモ帳から一枚紙を破き、ボールペンで「雪」と書いてみる。

子どもに見せると、一体何が何やらと首を傾げる。なんだか面白くて「雪〜」と呼んでみる。

「あぅ、わぁ!」

なんだか呼びかけに答えるようにこちらに手足を伸ばしながら無邪気に笑ったのである。頬を指でつつくと、くすぐったそうに雪が笑う。不意に指先をギュッと握られ、子どもの体温の高さに驚かされる。

「ははっ、あったかいなあお前。……なあ、うちの子になるか…?」

自分でも驚くほど自然に滑り出した言葉は、後から後から今瀬の中に落ちてくる。無邪気に笑う雪に、なぜだか無性に泣きたくなった。


***


こうして耳と尻尾の生えた子ども、もとい雪と暮らすことになったのだが、この幼子を一人残しておいていくのも忍びなく、だからといって仕事に行かない訳にはいかない。

誰かに預けるしかないが、今瀬に信頼できる友人はいなく、家族と呼べる存在はそもそもいない。一瞬あのいけ好かない従兄が頭をよぎったが、すぐにアイツはないなと頭の片隅に追いやった。あとは―、

「ナカハラのじいさんか...」

近所に住んでいる「ナカハラ」と名乗る年配の男は近所づきあいもあまりなく、周辺の人たちからは不気味がられている。しかし、数年目に今瀬は男とたまたま話す機会があって彼が噂通りの人間ではないと知ってからたまに世間話をしている。最初はぶっきらぼうで少しめんどくさそうな態度だが、今瀬を追い出すことなくなんやかんや話を聞いてくれていた。今では顔を合わせれば気軽に話す仲になっている。


「いや、でもさすがに子供を預けるのはまずいか?」

いくら気軽に話せる仲だと言えど、そこまで厚かましい頼みをすることはできない。そして、なんの抵抗もできない幼児を預けることができるほどの信頼があるわけでもない。


どうしようかと考えていると、雪がぐずりだしたので、とりあえずは食料を買いに商店街へ行くことにした。本当はスーパーのほうが品ぞろえがいいのだが、雪は周囲から猫だと思われているようであるし、店内に入ることはできないのである。そのため、いくらか気心の知れた商店街の小さな店で食料や生活用品を購入しているのである。

猫を抱っこしているというのもいささか変な感じがするが、まあ最近はそういう飼い主も多いだろうと自分に言い聞かせて外に出る。と言っても、街を歩いているのは家族連れがたまにとあとほとんどはお年寄りのため、みんな温かい目で見てくるので少し恥ずかしく思いながらもほっとしていた。


ナカハラさんの家を通りかかったとき、彼がちょうど庭に出ていた。

「ナカハラさん、こんにちは!」

そう呼びかけると、ナカハラさんの目が一瞬見開かれたあと、こちらに寄ってきた。


「おめえさん、その小僧どうした...?」

やはり気になるのだろうか開口一番にナカハラは雪について聞いてきた。

「あ、ああ...実は道に捨てられていて、どうみても人間の子どもなのに、みんな猫って言うんですよ。確かに耳と尻尾があるんですけど…って。」

そこまで言って今瀬はハッとした。

「え、ナカハラさん今小僧って...」

「ああ、そいつは確かに猫だよ。俺にも猫に見える。でも、そいつの”魂”は猫なんてもんじゃねえ...現にお前さんは人間に見えているんだろう?」

ナカハラさんが何を言っているのかいまいち把握できない。猫に見えるけど猫じゃない?


「...そういえばお前さんはなんでこんな時間に子供を連れて歩いているんだ?もう日も落ちるころだろう。」

なにか考え込んでいたナカハラは急に話題を変えるように言った。

「え?.....あっ!買い物!もう店が閉まっちゃう...!」

時間を見ると、商店街が閉まるまであとに時間もなかった。

「俺がこいつを見ててやるよ。あんたは商店街にいくんだろう?早くいってきな。」

ナカハラからの思ってもみない提案に戸惑うが、ここは任せようということになった。なぜか彼には雪を任せられると直感で思ったのである。

商店街に向かいながら今瀬は、一体ナカハラは何者であるのか、何かを知っているのかぐるぐると回る思考を振り払うように道を急いだ。

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