第12話 尾行

 リンドバーグの言葉が、棘のように胸に刺さっていた。

 両親を失って以来、アリサは祖父の面倒を見ながら知り合いのブドウ畑の手伝いをしていた。あまり膨らんでいない実を見極め、枝を刈っていく。もったいない気もするが、それは割り切るしかない。ユナヴィールはブドウの特産地だ。品質を高めるために、剪定は必要不可欠な作業だ。もったいない気持ちはいまは割り切っておき、丸々と太った実を見るのを楽しみにしておくことにする。

 手を動かしながらも、アリサの頭の中では何度もその言葉が反芻される。

『俺はちがうけどな』

 まだまだ熟すには程遠いブドウの房を足元の籠の中に放る。もしかしたら、ここで落とさずにいればもっと立派に実ってくれるだろうか。

 私は、この感情の正体を知っている。引け目や罪悪感と呼ばれる類いのものだ。

 両親を失った当時は、世界がゆがんだような気がした。ぽっかりと大きい穴のあいた感情は、悲しみ以外の感情を忘れてしまったようだった。しかし、あれからもうすぐ一年。喪失感はいまだあるが、時間の経過とともに憤りや悲愴といった激しい感情は幾分か失われてしまった。自分が強くなったのだろうか。それとも、自分は薄情な人間だったのだろうか。

 時間が感情を落ち着かせてくれているのは事実だ。とはいえ、もし彼が両親の死にかかわっているのだとすれば、私は彼を許すことができないだろう。

 そうだ、とアリサは思う。

 私は、彼のことを知らなすぎるのだ。

 恨むべき存在なのか、そうでないのか。それがはっきりしていないにもかかわらず彼を避けるのは卑怯というものだ。だから、こうして私はもやもやとした罪悪感を抱いている。

「アリサ、どうかしたのかい? 今日はやけにぼうっとしているけど」

 声をかけられてはっとする。考え込んでしまい、つい作業の手が止まってしまっていた。

「ごめんなさい、マリーおばさん」

 慌てて作業を再開する。しかし、その手が止められる。

「体調が悪いなら、今日は休んだらどうだい?」

 マリーはここのブドウ畑の面倒を見ている初老に差し掛かる頃合いの女性だ。夫に先立たれ、いまは彼女がこの畑での作業を取り仕切っている。年齢のわりには背筋がのびて女性にしては肩幅が広くがっちりとした体格。女傑とでも呼べるような印象だ。だが働き手に対して一様に気を遣ってくれる優しい気性の持ち主で、いまも心配そうにアリサの顔を覗き込んでくる。

「ううん、全然元気だから大丈夫」

「いいや。お前さんはいつも働きすぎなくらいなんだから。今日はゆっくりしなさい。わかったかい?」

「でも」

「返事!」

 マリーが強引に言うのに押されて「……はい」としぶしぶアリサはうなずく。とはいえ、仕事に集中していない自分が悪い。素直に言うことを聞くことにする。

「ほら、ベール。アリサを送ってやんな」

「へ? あ、ああ。うん、わかった」

 ベールと呼ばれた青年はアリサの顔を見て少し頬を朱に染める。真面目な人物ではあるはずなのだが、自分を見るときの視線に色が混じっている気がしてアリサは少し苦手だった。

 マリーはアリサのことを気に入っており、どうも「息子のベールの相手に」とでも考えている節がある。その点以外は好人物なだけに、アリサも少し対応に苦慮していた。

「じゃあ、行こうか」

 ベールの隣に並んで歩いて丘を下りていく。自分が気にしすぎているだけかもしれないというのはもちろんわかっているが、あんまり距離が近いとなんとなく警戒してしまう。

「体調は大丈夫なの?」

「うん。平気だよ」

「悪いね。母さんがあんなで」

「ううん。いいお母さんだね」

「ヨキじいさんは元気にしてる?」

「もう元気じゃないはずなんだけどね。本人だけ元気だと思ってて、ひとりで動き回って体を痛めちゃうから困ってる」

「ぷっ。じいさんらしいや」

 他愛のない会話に、アリサは気づかれない程度に胸をなでおろす。しかし、「あ、あいつ」とベールが忌々しげに言った。

 雰囲気があまりにも変わったのでちらと様子を窺うと、ベールは丘の下に視線を向けて怖い表情をしている。アリサがその視線の先を見ると、少年が歩いていた。一年ほど前に村に迷い込んできた少年。アカリだ。いつものように、腰に木刀を差し、左手には黒檀の杖、右手には斧を携えている。

 アリサはふと言った。「どこに行くんだろう?」

「きっと北の森だ」ベールは不快感を隠さない。「あのときみたいにまた、『魔物』をおびき寄せようとしているのかもしれない」

 あのとき、というのは、一年近く前、アリサが両親を失ったときのことを指しているのだろう。わざわざそれに言及したベールの配慮のなさに少し呆れてしまう。それに、危険な北の森をアカリが仕事の場としていることは、村の人間ならだれもが知っていることだ。「『魔物』をおびき寄せようとしている」というのは根拠のない噂話に過ぎない。

 でも。

 北には『魔物』がいるはずなのにアカリはどうして平気でいられるのだろう? それは、アカリが『魔物』をおびき寄せる存在、想像をたくましくすれば、『魔物』を操り使役するような存在であるという間接的な証左になりはしないだろうか。……いや、さすがにこれは妄想でしかない。

 そのときアリサにある考えが浮かんだ。

 本当にアカリを憎みたいのであれば、決定的な場面を確かめればいい。

「ねえ」アリサは言った。「あとをついていってみない?」

「え……」ベールは目を丸くする。「……アリサ、本気かい?」

「もちろん」

「体の具合が悪いんじゃないの? 大丈夫?」

「大丈夫よ。元気なのに、おばさんが心配性すぎるだけだもの」

「でも、ほら、見つかったら『魔物』をけしかけられるかもしれない」

「あなたさっき、『魔物』をおびき寄せようとしているのかもって言ってたじゃない。それが本当なら、村のみんなに伝えなくちゃいけない」

「それは、そうだけど……」

 煮え切らないベールの態度にアリサは、ベールが言った「『魔物』をおびき寄せようとしているのかもしれない」という言葉がまったく本気ではないことを確信する。本気で言っているのなら、もっと村のために動こうとしなければおかしいだろう。根拠もなくただアカリを貶めたいだけの発言であることは明白だ。

 そして。

 もしかしたら、リンドバーグから見れば自分もそう変わらないのかもしれない。根拠もなく、彼を貶めようとしているのかもしれない。もし私が持っているこの忌避感が、なにも悪くない彼をただ傷つけているだけなのだとしたら……。あるいはこの感情が間違っていないということを確かめなくちゃいけない。

「気が進まないなら、あたしだけでも大丈夫」

「い、いや、俺も行くよ」

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はぐれものと峡谷の山脈 森高実 @moritaka_minoru

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