第7話 予兆
またか。
アカリは、眠りから瞬時に意識を覚醒させながらそう思った。
『魔物』が人里に迷い込んでくることは、稀にある。災害のようなものだ。だが、この頻度はおかしい。この一年弱で、少年は十や二十ではきかないほどの回数、『魔物』と遭遇している。そして今回も、また。
黒檀の杖を携え、少年は北に向かった。「北の台地」のさらに北には、森がある。木こりの青年が『魔物』に襲われ命を落とした場所と聞いている。木株や、樹木を根から引っこ抜いたであろう穴ぼこがいくつもある。そして少年の気配に気づいたらしく、森の奥から『魔物』が姿を見せる。鬣をたなびかせる狐、もしくは犬のような『魔物』だった。四足歩行にもかかわらず少年の倍の高さはある体躯。
会敵した瞬間、『魔物』は『魔法』を放った。目には見えない攻撃。しかし、少年には視えている攻撃。難なく躱す。周辺の草木に切り傷が刻まれる。『かまいたち』。
少年には第六感がある。『魔法』と呼ばれる力を感知する感覚が、少年には備わっている。
目には見えない空気。自身を切り裂かんとする空気が、少年には視えている。
一見不用心に『魔物』に近づいているようで、一切油断はない。『かまいたち』がかすりもしないまま、少年は自身の間合いまで距離を詰める。
危険を察したのか、『魔物』は大きく後ろに跳躍する。そして少年の間合いの外から再び『かまいたち』を放つ。しかし少年にはまったく当たらない。
少年も下がる『魔物』をむやみに追わない。『魔物』の身体能力は人間のそれを大きく超えている。追いかけたところで、追いつけるわけがない。仕留めるには、『魔物』のほうから少年の間合いまで近づいてもらう必要がある。
『魔物』が『魔法』を放つ。少年が回避する。あたりの樹木が次々と切断され、森が開かれていく。
この距離では当たらないと判断したのか、『魔物』が少し間合いを詰める。『かまいたち』を放つ。それでも当たらない。少年の表情に焦りはない。当たる気配がない。さらに距離を詰める。さらに、さらに。
当たらないのは、当たり前だった。少年には、『魔物』が『魔法』を放つ瞬間には射線が視えている。反応で躱しているわけではなく、あらかじめ射線から身を外しているのだ。
『魔物』がしびれを切らす。わずかに後脚の筋肉が膨らんだのを少年は見た。次の瞬間、『魔物』は少年に突進した。あっという間に少年の目の前まで距離を詰め、細い胴体に牙が突き立てられんとする。
もちろんこれは少年が狙っていた状況。たった一歩動くだけで身を躱し、同時に刀を振り下ろす。
首元から血が勢いよく吹き出す。『魔物』は一度倒れたものの、隙を見せまいとすぐに立ち上がる。しかし四本の脚は震えており、口からは血がしたたり落ちている。立っているだけで精一杯らしい。少年は、わざわざ息の根を止める必要を感じなかった。すでに致命傷は与えている。
やがて『魔物』は倒れた。少年には傷ひとつない。足元に広がった大量の血だまりを、少年はなんの感慨もなく見ていた。『魔物』の呼吸の音が止まったのがわかって、少年はようやく背を向け踵を返す。
『魔物』の『魔法』により切り倒された樹木のうち、枝の一部に苔が生えているのを見つけた。ふつうの苔じゃない。白い苔だ。
『峡谷の山脈』の『峡谷』という言葉がさすのは、地形ではない。ひとの生きる領域と『魔物』の生きる領域の境だ。
白い苔を見て、アカリは「道理で」とつぶやいた。
道理で、『魔物』の数が多いはずだ。『峡谷』は、こんなところまで広がっていたのか。あの村も、もう長くないのかもしれない。
村はずれの小屋に戻ってくると、アカリは寝台に突っ伏した。少しでも休んでおかないと明日の仕事がつらい。いや、おそらくもう今日か。いつものように頭の一部を覚醒させたまま、アカリは眠りについた。
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