第18話

「……」


 セレスの目の前には息絶えたダリルの遺体があった。彼女はその遺体をじっと見つめる。


「……君は君なりに私を救おうとしていたみたいだけど……それは今の私にはいらないものだったよ」


 ダリルを憐れむような言葉かけてセレスは彼に背を向ける。その視線の先にはルーシェがいた。


「セレス!」


「ルーシェ」


 駆け寄ってくる彼女にセレスは微笑む。彼女の言葉がなかったらセレスはダリルの言葉を受け入れていたかもしれない。


「ありがとう、君の言葉のおかげでダリルに惑わされずに済んだ。心からお礼を言うよ」


 セレスはルーシェに頭を下げる。


「お礼なんていいわよ。あなたが無事だったんだから。それよりもさ……試練、終わったんじゃない?」


「ああ、言われてみればそうだね。予期せぬ形ではあったけど」


 セレスが女神から倒すように言われていた人間はすべて倒してしまった。これで彼女の試練は終わったはずだ。


「その女神様は試練の相手を倒した後、なにかしろとか言ってたの?」


 ルーシェの質問にセレスは首を横に振る、どうやらなにも言っていないようだ。


「あの女神は私になにも言わなかったよ。ただ試練の相手を倒しなさいと言っただけだ」


「それじゃどうやってここからその女神に会えばいいのかしら」


 なんというか凄くいい加減な指示だなとルーシェは思った。


「心配はいらないわ、私自らが出向くのだから」


「!?」


 二人以外誰もいないはずなのに静かなのに威厳を感じさせる声が響き渡る。ルーシェとセレスが声のした方向を見ると一人の女性が立っていた。

 腰まである金髪に美しい肢体はどこか作りものめいていてこの世のものとは思えない。どこか浮世離れした雰囲気を纏う女性がそこにいた。その女性を見てセレスがぽつりと呟く。


「女神様」



「おめでとう、セレスティア・エレメイン」


 セレスは女神と呼んだ存在はゆっくりと二人のほうへと歩いてくる。セレスが女神と呼んだその女性はセレスに優し気な視線を向ける。


(セレスから聞いていた話だと性格が悪いように思えたけど……そうでもないのかな?)


 てっきりもっと人の苦しんでいる姿を見て楽しんでいるようなろくでもないやつかと思ったけど違うのかなとルーシェは考え込む。


「おや、セレスティア。あなたの契約者はとても不届きなことを考えているようですね」


「!?」


 女神の言葉にルーシェはどきりとしてしまう。この女神は人の思考が読めるのか……。


「女神ですのでそれくらいは出来ますよ、セレスティアの契約者さん」


 またも女神がルーシェの考えを踏まえたような発言をする。どうやら予想は当たったらしい。


「女神様、御戯れは程ほどに。ルーシェが驚いているので」


 セレスがたしなめるような口調で女神へと語り掛ける。


「そうね。いきなり力を誇示するような真似はよくなかったわね」


 女神はくすりと笑ってセレスの言葉に頷き、ルーシェのほうをじっと見てきた。


「初めまして、ルーシェ・クロード。私がセレスの言っていた女神です。会うのは初めてね、さっきは驚かせてしまってごめんなさい」


「い、いえ……」


 女神と話すというこの時代の誰もしたことがない経験にルーシェも戸惑ってしまう。そんなルーシェの様子を女神は面白そうに見ていた。その視線にルーシェはますます委縮してしまう。


「ふふ、可愛い反応。さて私の自己紹介を終えたところで本題に入りましょうか?」


 女神は一通り楽しんで満足したのかセレスのほうを見て話を切り替える。


「セレスティア、あなたは無事にすべての試練を乗り越えた。心から祝福するわ、最初にあなたに話したように願いを聞いてあげる」


 女神の言葉にセレスは目を瞑る。しばしの静寂が場を支配したがやがてセレスは目を開け、女神のほうを見つめる。


「最初にあなたに話した通りだ。私の願いは普通の人間として人生を生きてみたい、王族とか英雄とかそういったしがらみに縛られず。その願いに変わりはないよ」


 セレスは迷いなく言い切る。女神はセレスをじっと見つめていたけれどやがて頷いた。


「分かりました、ではあなたの願いを叶えましょう。こちらに来てください」


 女神の言葉に従ってセレスは女神の元まで歩いていく。


「その場にしゃがんでください」


 女神に言われるがままにセレスは膝をついて女神の目の前でしゃがみ込む。女神はしゃがんだセレスの頭の上に手を置いて目を瞑る。やがてセレスの体を光が覆い、しばらくして収まった。


「これっ……」


 光が収まったと同時にルーシェは自分の体に起きた変化を感じ取る。さっきまでセレスに魔力を持っていっていかれる感じがしていたが今はそれを感じない。セレスとの契約が切れたと言えばいいのだろうか。とにかく彼女が生きていくのに自分の魔力を必要としなくなったのをルーシェは感じ取った。


「はい、終わりました。もう立っていいですよ」


 女神に促されたセレスはそのまま立ち上がる。彼女は自分の両手を開いたり閉じたりしていた。


「これは……ルーシェからの魔力供給が感じられない」


「ええ、あなたはもう今を生きている人間です。今までは霊体みたいなものだったので彼女――ルーシェの魔力を必要としていましたがもうその必要はなくなりました。試してみてもいいですよ」


 女神の言う通りにセレスは軽く魔力を練り上げる。辺りに凄まじい嵐が巻き起こったかのような嵐が吹き荒れた。


「う、うわ!」


 突然のことだったのでルーシェは思わず声をあげてしまう。自分の魔力を使っても相当な力だったのに、その縛りがなくなった彼女の魔力はそれ以上のものだった。


(やっぱりセレスは凄いなあ)


 この光景を見たら普通なら恐ろしさを覚えるだろう。しかしルーシェはそうではなかった。


 その魔力の奔流を見て思ったのは――やはりその高みへ自分も至りたいということだけだった。


 セレスに会った夜からずっと変わらない彼女を超えたいという願望。それはここに来てますます強くなっていった。


「……」


 熱に浮かされた様子のルーシェを女神は微笑を浮かべながらみていた、まるでこれから面白いことが起こりそうだと思っている者の顔だった。


「調子はどう? なにか問題はある?」


 女神はセレスになにか支障はないか尋ねる。彼女は首を横に振った。


「凄くいいです」


 セレスは自分の状態に満足しているようだった。手を見つめながら何度も握りしめては開くことを繰り返している。

 心なしかセレスは興奮しているようだった。やっと自分の願いが叶ったことの高揚感なのだろうか。彼女がとても喜んでいるようにルーシェには見えたのだ。


「ありがとうございます、女神様」


 セレスは女神に深々と頭を下げる。これで彼女の願いは叶ったのだ。


「感謝されるほどのことではないわ。私は人が頑張ってなにかを成し遂げる姿を見るのが好きだもの。あなたはその点で私をとても満足させてくれたわ、あなたが残した結果はこの試練にとてもふさわしいとだからこの報酬は当然のものよ」


 にっこりと笑いながらセレスに微笑みかける女神、なんでもないことのように言っているけれど死人を生き返らせるなんてことをさらりとやるのがルーシェはひたすら恐ろしかった。


「?」


 ふと視線を感じて視線が来た方向を見る。女神がじっとルーシェのほうを見つめていた。


「あの……女神様。私になにか?」


 恐る恐るといった感じでルーシェは女神に尋ねる。


「あなたにも……報酬を与えましょうか……」


 にこりと微笑みながら女神はルーシェに語り掛ける。やっぱりこの女神に見つめられるとすべてを見透かされているように感じて嫌だ。


「報酬? 私に?」


「ええ」


 女神は頷き、言葉を続ける。確信に満ちた言葉で彼女は告げた。


「だってあなた餓えているでしょう?」


「!?」


 どくんと心臓が跳ねる音がした。この女神は自分の本質を見抜いている、どこまでも強者との戦いを求める修羅としてのルーシェの本質を。


「……」


 女神の言葉を聞いたセレスは眉をさげ、どこか険しい表情を浮かべていた。そんな二人の様子にも構わず女神は続ける。


「ルーシェ、あなたの成長は見ていて楽しかったわ、セレスティアとの契約の効果もあったとしてもね。だからこれは私を楽しませてくれたご褒美よ。さあなんでも言って頂戴」


 やはりアイラとの戦いで治癒をどうしたら出来るかが分かったのはセレスとの契約が大きかったのか。


「……」


 契約のことはさておき、女神の言葉にルーシェは考え込む。ずっと封じ込めてきた思いをここで吐き出してもいいのだろうか。


「ためらうことはないわ。あなたにはその権利があると私が認める。だから口に出してみなさい。あなたが今思い描いている自分の餓えを満たせる願いを。もしその願いが叶わないのなら私の力でどうにでもなるわ。まあ、あなたの願いに関してはその必要はないでしょうけれどね」


 女神は促すようにルーシェに語り掛ける。まるでルーシェが自分の気持ちを吐き出すのを待っているようだった。


 ああ、もしその願いが叶うなら――私はきっと満足するだろう。


「……セレス」


「……なんだい?」


 ルーシェの言葉にセレスはどこか覚悟を決めた表情で問い返す。


(ああ、そうか。きっとセレスも夢で私のことを見たんだわ)


 ならば今から私が口にすることもきっと彼女は想像がついている。そう考えると自分から迷いが消えていくのを感じた。意を決したルーシェは己の願いを口にする。


「私の願いは……あなたと……なんの邪魔も入らない真剣勝負がしたい」


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