第6話
「おーい、ルーシェ」
誰かが自分の名前を呼んでいる。せっかく気持ちよく寝ていたのにその眠りを邪魔するのは一体誰だ?
まだ起きたくないと自分の中の怠惰な部分が囁いてくる。
「むっ、まだ起きないのか。私はまだ君に聞きたいことが君にあるんだけどな……少し強めに行こうか」
ルーシェの名前を呼んだ何者かはルーシェが起きないと見ると今度は彼女の体をゆすり始めた。
(なに……せっかく気持ちよく寝ていたのに……)
「一体なに……? せっかく気持ちよく寝ていたのに……」
心地よい眠りを邪魔されたことに少し腹を立てながらルーシェは目を覚ます。
「ああ、やっと起きたね」
目を開けた時に飛び込んできたのは美しい銀髪に人形のように整った目鼻立ちを持つ美人――セレスの顔だった。
「う、うわ! セレス!!」
びっくりしたルーシェは驚いた声をあげて後ずさる。セレスはじっとルーシェのほうを見ていた。
「そんなに驚かなくても。君がなかなか起きないから声をかけただけじゃないか」
セレスはちょっと悲しそうな表情をしていた。そんな表情まで絵になるのだから反則だろう。
(寝て起きたらあんな完璧な顔が自分の側にあるのは心臓に悪い……!)
いきなりあんな美人が枕元にいたら誰だってびっくりするだろう。
「ご、ごめん! 嫌だったとかではなくて……ちょっとびっくりしちゃっただけだから」
「ならよかった。君が嫌がることをなにかしてしまったかと思ったよ」
嫌がることはしていないけどびっくりすることはしたよと内心で突っ込みながらルーシェは気持ちを落ちつかせる。
「えっと……起こしてくれてありがとう」
「いいや、気にすることはないよ。それよりも大分疲れていたみたいだね。随分深く眠っていたようだったから」
セレスに指摘を受けてルーシェは戦闘に巻き込まれていたのを踏まえても確かに昨日は異様に疲れていたなと思い返す。
「そうね。昨日はあのルーマスとの戦いの後はとても疲れていたわね」
「うーん、おそらく私と契約したことが原因なのだろうか。やはり私が力を使う時は君の魔力を消費しているからそれで疲れが酷かったのかもしれない……」
「ああ、なるほど……」
それは昨日の夜にセレスがルーシェに説明した通りだ。女神とやらはセレスが今の時代に存在するためには現世の人間と契約しないと消えてしまうようにしていた。彼女を生かす魔力はルーシェが供給しており、彼女へなんらかの影響が出ることはおかしなことではなかった。
「だとしたらあまり無理は出来ないかもしれないな。私が本気で戦い続けると君にも悪影響が出るかもしれないから」
「本当にまずい時は無理っていいますからあまり気を使わなくていいわよ」
「いや、そういうわけにはいかないだろう。一応君は巻き込まれた側なのだから私には君をこの試練から生きて返す責任がある」
巻き込んだことを気にしているのかセレスは強い口調で言い切った。
「ありがとう、でも私は納得してあなたと一緒にこの試練に望むことを決めたんだからあまり気にしなくていいわ」
「……君は本当に落ちつき払っているな、普通はこういう状況に陥れば嫌だと思うものだろうけど」
「巻き込まれてしまったものは仕方ないわよ。昨日も確認したけど私が契約者だと分かったらあいつらはどのみち私を狙ってくる。だったら一緒に戦ったほうがいいわ」
「それはそうだが……まあ、いい。それが君の性格だと思うことにしよう。それでルーシェ、一つ頼みたいことがある」
「なに?」
「今の世界がどうなっているか私に案内してくれないだろうか。自分が築き上げた国がどんなふうになっているか見てみたい」
セレスはその綺麗な青色の瞳でじっとこちらを見つめてくる。帝国を築き上げたのは彼女だ。自分で築きあげた国が未来でどうなっているのか知りたいというのは自然な感情だろう。
「いいよ。セレスの境遇を考えればその気持ちは当然だと思うし。朝食を食べて着替えたら王都の様子を見て回ろうか」
ルーシェの言葉にセレスは顔を輝かせる。どうやらとても嬉しかったらしい。
「ありがとう。それじゃ私は君から借りた服に着替えて来るよ」
そう言ってセレスは踵を返し、寝間着を着替え始める。ルーシェも身支度を整えるために着替えを始めた。ちなみに朝食はルーシェが作った、簡単な料理だったがセレスは美味しいといってあっという間に出されたものを平らげてしまった。
「それじゃいこう」
ルーシェは準備を整えてセレスに呼びかける。
「ああ、すまない。待たせてしまったようだね」
セレスは今、ルーシェの貸した服を来ている。なんというか見慣れた服なのにセレスが着ると別物に見えた。そして彼女にばっちり似合っている、なにを着ても似合う人間というのは彼女のことを言うのだろう。凄く羨ましい、卑怯だなとルーシェは思った。
「ん? どうしたんだい? 私のことをじっと見て」
セレスが不思議そうにルーシェのことを見つめてくる。当人はまったく自分の容姿を誇ったりする気がないようだった。自覚のない美人とはこういうことを言うのだろう。
「単純に服が似合っているなと思っただけよ。それじゃ王都を案内してあげるから着いてきて」
ルーシェはセレスにそう声をかけると彼女に背を向けて歩きだす。セレスは王都の景色を眺めながらルーシェの後について行った。
「……」
セレスは王都を歩いている間、ずっときょろきょろとしていた。まるで落ち着きのない子供のようだ。
(自分が作った国だから気になるのは分かるけど本当に目に入るものすべてに興味があるみたい)
目を輝かせながら王都の街並みを見ているセレスの横をルーシェはゆっくりと歩いている。セレスがいろいろなものを観察しながら進んでいるため、なかなか前には進まなかった。
「凄い、凄いぞ……!」
うわごとのように呟くセレス。目がきらきらしている。
「そんなに驚くようなことなの?」
ルーシェが少し笑うように尋ねるとセレスは彼女のほうを見て首肯する。
「ああ、私がいた時代から見ると驚くべき進歩だ。商業がとても盛んだし、街ゆく人の服装もきちんとしている。私が皇帝の時は道ばたに普通に死体があったりしてそれはもう最悪だった。一番最初に改善に力を入れたところだよ」
道ばたに死体と聞いてルーシェは顔を顰める。やっぱり戦争が当たり前の時代だったから街の発展や民の豊かさにかける余力がなかなかなかったのだろう。言葉は悪いが野垂れ死ぬ人も多かったのが今のセレスの言葉から想像出来た。
「それはまた……私にはそれがどんな状況なのか想像することは難しいわ」
「想像なんてしなくていいさ。そんな光景見ないでいいなら見なくていいからね」
しかめっ面をしながらあっさりと言ってのけたセレスは引き続き王都をきょろきょろと見ながら歩いている。まあ変なことはしないからしばらく彼女の好きなように王都を観察させてもいいかと思いながらルーシェは彼女の後を歩く。
「なんだかいい匂いがする……」
セレスが鼻を動かしながら匂いのするほうへ歩いていく。
(そういえばこの辺りはお菓子屋さんがあったわね)
いつも大勢の客で賑わっている人気の店だ。たまにルーシェも買ったりはしていたが積極的に行くわけではないので忘れていた。
「って、移動するのが早いわね」
ルーシェが少し意識を逸らした隙にセレスはもうお店のところまで行ってしまっていた。ルーシェは慌てて彼女の後を追う。
「ちょっとセレス、勝手に動かないで」
「ん? ああ、すまない、ここからいい匂いがしてきたからついね。ここはなにを売っているお店なんだい?」
「ここはお菓子を売っているお店よ。そんなに珍しくはないと思うけど。セレスの時代にもお菓子くらいはあったでしょう」
「あるにはあったさ。だけどこんなに綺麗なものではなかったよ。見た目の美しさはこの時代のものに遥かに及ばない」
お店に展示されている品物を見ながらセレスが答える。
「なるほど」
セレスの言わんとすることを理解し、ルーシェは少し考えた込んだ後に彼女に提案する。
「ねえ、セレス。せっかくだからここのお菓子を食べてみたくはない?」
「えっ?」
ルーシェの言葉にセレスがきょとんとして首を傾げる。美人が小首を傾げる様はとても可愛かった。
「いやでも私はお金とか持っていないし……君にお金を出してもらうのは悪い気がするが……」
「そんなことは気にしなくていいの。私これでもお金は持ってるほうなんだから」
ルーシェはこれでも騎士の仕事で結構稼いでいるほうだ。魔物との戦いなどで危険が伴うため、騎士には高い給料が支給されている。ルーシェは騎士の中でも一際活躍しているため、かなり支給される給料は多かった。
「だから気にしないで。どのみち私とこれから生活するならお金は私が稼ぐことになるんだし。お菓子一つで気にしてたら生活できなくなるわよ」
「むう……」
セレスは不満そうに黙りこむ、がやがて観念したのか軽く頭を下げてきた。
「分かった。あまり気は進まないけど君の言葉に甘えるとするよ」
渋々といった形でルーシェの提案をセレスは了承した。早く自分でお金を稼げる手段を探さないとななどと呟いている。妙なところで生真面目だ。
「さっ、早く並んでお菓子を買ってしまいましょう」
ルーシェはそう言ってセレスを連れてお菓子屋の中に入っていく。二人はそれぞれ気になるものを選ぶとルーシェが支払を済ませ、店を出た。
店を出た後は手頃に座れる場所を探して腰を下ろす。ようやくお菓子にありつける時が来た。
「はい、これがセレスの分よ」
ルーシェはそう言ってセレスが買いたいと言ったお菓子を手渡す。彼女がルーシェからそれを受け取るとゆっくりとそれを口に運んだ。
「んっ……」
ゆっくりとお菓子を味わうように咀嚼するセレス。
「どう? 美味しい」
「……美味しい!」
自分の質問にはきはきと答えてきたセレスにルーシェは思わずたじろいでしまう。
「うん、やっぱり私の時代から遙かに味がよくなっている! 当時の王宮の料理人達も手を尽くしておいしい料理を作ってくれたがこれはまた格別だな!」
嬉しそうなのを隠そうともせず、笑顔でお菓子の感想を述べるセレス。その姿が妙に子供っぽい可愛さがあってルーシェは思わずくすりと笑ってしまった。
「ふふ……」
「ん? なぜ笑うんだ? も、もしかして私は変なことを言ってしまったかな?」
ルーシェの反応を見て慌て出すセレス。こんな様子を見ても誰も彼女が帝国を作り上げた皇帝と思わないだろう。昨日のルーマスとの戦闘で見せた容赦のなさと今の彼女の様子との差にルーシェも内心戸惑いを感じていた。
「こうやって接しているとセレスってあまり皇帝って感じがしないよね。どこにでもいる普通の少女に見えるよ」
私の言葉にセレスは目を見開く。そして憂いを帯びた表情を浮かべた。
「……そうか、今の私はそんなふうにちゃんと他人から見られることが出来るんだな」
「セレス?」
もしかしてまずいことを言ったかなとルーシェは思いながらもおそるおそるセレスに呼びかける。
「いや、前世で私のことを普通の少女と呼ぶ人間はいなくてね。誰もが私のことを皇族として扱った。あるいは大英雄かな、私の戦ったものは私のことを悪魔と呼んでいたりもしたね」
どこか懐かしむような雰囲気で話すセレス。ついルーシェも彼女の話に聞き入ってしまう。
「そのせいか私もその役割をいつの間にか当然のものとして受け入れてしまっていた。いつしか王族としてや英雄としてしか振る舞えなくなっていったんだ、私は」
微笑みながらルーシェに向かって語りかけてくるセレス。しかしその表情は重く暗い。なんとなくそんな彼女をルーシェは放っておけなかった。
「……なら今から楽しめばいいと思うわ」
「えっ?」
「セレスは普通の人の生活がしたいって言ってたわよね」
「あ、ああ。そうだ。私は前世のように王族や英雄としてではなく、一人の人として生活がしてみたい、それが私の願いだ」
「なら楽しみましょう。こんなふうにお菓子を食べる以外にも今の世には楽しいことがたくさんあるわよ。それを私と一緒に見つけて行くの。きっとそれがあなたが普通の人として生きるための大きな助けになると思うわ。……偉そうに言ってて申し訳ないけど私がそれに答えられるかは未知数だけどね」
ルーシェの言葉にセレスははっとした表情をする。
「そうだな、ルーシェの言う通りだ。普通の生活をしたいと思うならそうやって知っていかないといけない」
ルーシェを見るセレスの瞳にはどこかふっきれたものがあった。
「ありがとう。君の言葉でこれからこの時代で生きていくことに少し自身が持てたよ」
「自信がなかったの?」
「……正直に言ってしまえばそうなるよ。僕は戦乱の世で生きてきた、今日のこの帝都の光景を見ていてもここは私の時代と違って戦いが常にある世の中じゃない。私はそんな世の中を目指して戦ってきたからその世の中になったことを嬉しく思う。ただ……同時に願いを叶えてもしこの時代に本当に生きることになったら戦いの中で過ごしてきた私は本当に生きて行くことが出来るのかと思ってしまったんだ」
昨日見た彼女の戦いぶりを思いだす。相手を倒すために一切の無駄がない合理的な動き、そして圧倒的な魔力の量とその洗練された操作技術。ルーシェはその圧倒的な戦闘技術に魅了された。
(けれどその技術は本人を苦しめてたのね)
考えてみれば当たり前の話だったのかもしれない。自分が生きてきた時代と真逆の時を生きるなんてことになれば誰だって不安になるのは当たり前だ。
「それはあなたがこれからどうしたいかで変わると思うわ。今、この時代であなたがきちんと生きたいと思うかが鍵になると思う」
セレスを元気づけられるかは分からなかったけどルーシェは彼女に申し訳なさから励ますような言葉をかける。
「ありがとう、ルーシェ。君の言う通りだ、今からは前の人生とは違う。もし私が本当に願いを叶えて生きて行きたいと思うなら今に向き合わないとね。それにしても」
じっとこちらを見つめて微笑むセレス。
「なに? こっちをじっと見つめてどうしたの?」
「いやこういうふうに私に率直に意見を言える人はそうそういなかったからね。君は最初から物怖じせずに私に意見を言ってくるから面白いなって。あの女神はろくでもないと思うけれどこういう機会を与えてくれたことには感謝しないとね」
笑いながらいうセレスにつられてルーシェもくすりと笑う。その後は二人で買ったお菓子を食べながら楽しい会話をして過ごした。
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