第3話 到着

 部屋へ一度戻り、出かける為の支度を始める彼女の傍でいつものように準備を手伝う奏楽はタンスの中からまず戦闘用の正装を取り出して彼女に渡し、受け取った事を確認すれば次は細長いヒノキの小箱の中から折り畳まれた紅い扇を取り出す。

 紅い紐が柄の先から二本垂れ、その先には水晶玉と鈴が1つずつ付けられている。

 奏楽はチラリと彼女を見た後にゆっくりと扇を広げて傷や錆がないか念入りに確認する。もしも僅かな傷でも在ろうものなら、この扇の力が巧く発揮できない上、持ち主や式神に悪影響を及ぼす原因と成り得るのだから、その目付きは自然と険しくもなるが、奏楽は目を閉じて軽く自らの霊気を流してみた。

 流れ込んできた奏楽の霊気を扇はすんなりと受け入れてその身に宿すと、すぐに紅い紐を伝った先にある鈴と水晶玉に吸い込んだ。

 淀みなく正しい流れを感じ取った奏楽は口の端を上げて、着替えを終えた彼女へ振り向いて扇をそっと手渡した。

「はい、今日はこの扇にしてね」

「あれ? 短刀とかお札じゃないの?」

「それは俺か砕架氏の時だけ。今回の隼人と火群君の二人なら扇が一番安定するし、何より俺が安心だよ」

 ニコリと有無を言わさない強気な笑みに気付かず、彼女は不思議そうに頭を傾げながらも頷いた。

「うん、解った。奏楽君の判断だから信用してるよ」

「ん、信じて間違いないから大丈夫」

 言いながら彼女の頭をゆっくりと慈しむように優しく撫でる奏楽の表情はいつの間にか柔らかくなっていた。

 彼女が扇を持った事を確認してスッと持っていた手を離してゆっくりと離れる。

「じゃあ気を付けてね。いってらっしゃい」

「うん、行ってきまーす!」

 見送る奏楽に手を振って部屋から出る彼女はいつの間に来たのか? 廊下で待っていた隼人と火群を連れて目的地へ向かった。


 隣の町に着いたのは夕方頃で、乎岐が前もって話を通していた宿で夜中まで待つことになった。

 部屋に着いて早々、布団の上で寝転がる火群と町を見に行く隼人の真逆な行動に思わず笑ってしまった。

「私は汗掻いたからお風呂行こうっと」

「じゃあ、俺も一緒に……『縛ッ』エッ……!」

 着いて行こうとした火群を見えない縄が布団に縛り付けた。

「あれ? これはもしかして……」

 彼女が術を使う素振りは全くなかった。しかも式神の中でもこういった相手を束縛する術には長けている自分があっさりとかけられてしまった事を考えればこの術士の正体は……。

「はぁ~冗談だから術解いてよ、そらくん」

『次同じ事言ったら甘味一ヵ月抜きじゃ済まないよ?』

「……解ってる」

 姿も見えず、声しか聞こえない相手に対して火群は内心で冷や汗を流しながら頷く。同時にフッと見えない束縛が解かれて自由になり、無意識にため息を吐いた。

「おー、怖い怖い」

「何が?」

「……なんでも~」

 お風呂から戻ってきた何も知らない彼女に火群は先ほどの話をしてやろうかと一瞬考えたが、すぐに諦めた。

 今も見ているだろう彼女の専属兼お世話係の式神のこれ以上ない怒りに触れるのはさすがにご遠慮願いたい。

 未だに不思議そうにこちらを見ている彼女へ苦笑いを浮かべて、俺は隣の布団をポンポンと叩いて見せる。

「はいはい。疲れただろうから、隼人が外に出ている間は俺と寝ような~」

「エ?」

「夜中に起きるから、今のうちに寝ておこう」

「うーん、でも隼人君は外の見回りをしてくれているのに……」

 渋る彼女の理由を聞いた火群は呆れる。

「隼人は単に落ち着きがないだけで、俺はあそこまで体力ないし、そっちは陰陽師とは言え、ただの人間。こういう時は一番体力のある奴に任せていざという時の為に今は休む」

「う、うん。解った」

 有無を言わさない火群のオーラに気圧されて、渋々と布団の中へ潜り込む。

「じゃあ、夜中に起こして~」

「えぇ!」

「おやす~……スゥースゥー」

「本当に寝た……」

 寝つきの良い火群に成り行きで起こすように頼まれ、彼女は自分まで寝ていいのかどうか本気で悩んだ。

 しかし隣で気持ち良く寝ている火群の様子を見ていると、つられて眠くなってしまった。

「隼人君が帰って来たら嫌でも起きるよね」

 考え直すように呟いて彼女も夢の世界へ意識を飛ばした。


 その様子を鏡越しに眺めていた奏楽は苦笑を浮かべながらふぅ、と息を吐いた。

「火群君と隼人も緊張感に欠けているよ。そこが彼らの長所であり、致命的な問題でもあるのだけれどね。……念の為、隼人に伝えておこうかな。二人を起こすようにって」

 楽しそうに笑った奏楽は早速右手を鏡にかざして、フッと横に振った。

 その動きに合わせるかのように、鏡に映された画面が移動してたこやきを美味しそうに頬張る隼人が映る。その手の袋には焼きそば、綿飴にリンゴ飴、駄菓子などが入っており、とても任務中とは思えない荷物の量だ。

「……隼人ぉ~、情報収集の合間に食べ歩きして。実戦で動けなくなったらどうするのさ」

 はぁ~、と重いため息を吐いて鏡の前でがっくりと項垂れる奏楽は早速隼人へ回線を繋ぐ。

「隼人、隼人。そんなに食べちゃ動けなくなるよ」

『あっ、その声は……奏楽君!』

 少しの間が在ったのは敢えてスルーして続ける。

「うん、当たり。隼人、任務前に食べ過ぎは良くないよ」

『えぇー、でもまだ足りないよぉ? これからあっちの苺大福も「隼人?」……あぃ』

 顔は見えないが、不気味なくらいに優しげな声を聴いた隼人は背筋に寒気が走るのを感じながら、渋々頷いて来た道を戻っていく。

 それを確認して奏楽は肩をすくめた。

「まったく……」

 まだ任務も始まったばかりだというのにこの有り様、一抹の不安を拭い切れないでいた奏楽は鏡の風景を一度見て紅い煌びやかな刺繍のされた布を鏡へ被せた。

「やっぱり、隠れてでも一緒に行けば良かったかな~」

 中庭を見ながら呟いた奏楽はゆっくりと後ろに体重を預けて仰向けに寝転がる。

「俺も……ねよぅ~」

 目を閉じればすぐに眠気が襲ってきた。

 その際に被っていた烏帽子が取れて茶色がかかったサラサラの長めの髪が畳の上に広がる。

「すぅ……すぅ……」

 静かな屋敷の一室で奏楽の寝息だけが聞こえていた。


 早足で宿へ戻ってきた隼人は部屋で寝ている二人を見て慌てて起こす。

「ほら二人ともそろそろ起きて! 奏楽君にバレたらきっと説教されるよ!」

「んー……」

「あともう少し……」

 二人の肩を揺すって起こそうと試みる隼人だが、二人ともなかなか起きない。このままでは結局朝まで寝続けるだろう二人に隼人は焦る。奏楽が寝ている事など知る筈もない隼人はもちろん今でも彼がどこからか見張っていると考えている。

「早く起きてってばー! このまま明日の朝まで寝ていたら奏楽君に怒られるの俺なんだからぁ! もぅ……こうなったら」

 スッと右掌を上へ向けて目を閉じる。

『我が意思に応えてここに轟け』

 瞬間、酷い超音波が二人の耳を襲って飛び起きた。

「「……ッ!」」

 あまりの煩さに耳を抑える二人を確認した後に隼人は手をギュっと握りしめて音を止めた。

「おはよっ、爽やかな目覚めだね」

 ニコリと笑いかければすぐさま火群がジロリと睨んでくる。

「何が爽やかなもんか。隼人、またお前は……能力を私用で使う事は禁じられている筈だろ?」

「私用じゃないよ。ちゃんと任務最優先を考えた上での対処法ってことで」

「まだ明るいし、事が起きるのは真夜中。どんだけ落ち着きがないんだよ」

 火群が指差した窓の外はその通り、夕刻。まだまだ時間はありそうだ。

 それを見た隼人は持っていた袋から一口サイズのボーロを取り出してパクッと口に入れる。

「……美味しいよ、火群君も食べる?」

 どうやら時間を勘違いしていたらしい。

 苦笑いを浮かべて差し出されたボーロを溜め息混じりに受け取って口に含む。

「あ、ホントだ。美味い」

「でしょ? はい、君にも」

 ニコニコと差し出してくる隼人の手からボーロを受け取る。

「有難う」

 まだ少し暖かいボーロは口の中に入れると、ほくほくしていて甘さが広がり、齧ったところから湯気が出た。

「甘くて良い香りがする」

「うん。これ、ここからずっと遠い京の都の菓子職人が考えた新しい甘味みたいだよ」

「なるほど、今日はここの祭りだから新商品の宣伝を兼ねて屋台を出しに来た訳か」

 火群くんがボーロを頬張りながら納得した。

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