エピローグ
いつも勝ち気な玲佳がいきなり泣き出したので、伊月の心臓は大きく跳ね上がった。見てはいけないものを見てしまったような気になり、わけもわからず狼狽した。
「稀李弥。あなた、あの時すごく怒ったでしょ。よくも俺の友達をって…」
「…そんなこと言ったかな……」
とぼけたのはとっさの照れ隠しだった。あの家での出来事は、細事まで覚えている。友達ではなくダチと言ったことも覚えている。我ながら青臭いことを言ってしまったと、耳が熱くなった。
「それから、怨念が破裂したときも、身を挺してわたしたちを守ろうとした」
「あれは体が勝手に動いたんだ……。それに、俺の呪いを解くためにつきあってもらったんだから、当然っちゃ当然の……」
玲佳が泣き止まない。涙が止めどもなく溢れ出し頬を濡らすので、伊月はしどろもどろになって話さなければならなかった。
「そんなことより、安都真は……」
玲佳は鼻を啜ると、ゆっくりと深呼吸をして伊月を見つめた。
「わたしね、五歳のときに両親に殺されそうになったの」
衝撃的な告白だが、いきなりの身の上話に伊月は怪訝な面持ちを作った。
「書店を経営してたんだけど、ネットの進出でどんどんお客さんが減ってったって時代ね。商売が上手くいかなくなって、だんだんお金にも困るようになって、お父さんとお母さんは毎日のようにケンカするし、家庭はボロボロになっちゃった。そのせいなのか、なにかよくない念に隙を見せちゃったのね。なんか変だなと気づいたときには、もう助けられないくらいに取り憑かれちゃってた。その影響か知らないけど、わたしにも霊感みたいなものが身についてて、念や霊の類いが視えるようになった」
「……それで?」
「そのとき助けてくれたのが安都真なの。彼らしくなく同情しちゃったんだろうね。よほどわたしが惨めに見えたのかな。助けたからには放っておけないからって、それ以来、彼はわたしを連れて各地を回っている。彼がわたしを育ててくれたんだ」
そうだったのか……と口にしようとしたが、内容がおかしいことに気づいた。安都真は伊月や玲佳とそれほど年齢差はない。玲佳の話には明らかな矛盾がある。
玲佳は伊月が察したのがわかったのだろう。すっと息を吸い込むと、罪を告発するように言葉に重みを上乗せした。
「安都真は、わたしを助けた頃から二十代の姿をしていた。彼は歳を取らないの」
「そんな馬鹿な……」
「そういう呪いもあるんだよ。ずっと、ず~っと死ぬことも許さないで相手を苦しめてやろうって、おぞましい呪いが。安都真は、その呪いを解く方法を見つけるために旅を続けているんだ」
「そんな……馬鹿な……」
死すら遠ざける呪いと、その呪いの対象となった安都真。それでは、彼はすでに人知を超えた怪異の域ではないか。
「お、俺が…」
それ以上は言えなかった。対象を殺す呪いならともかく、死なせない呪いなんてどう対処すればよいのだ? どれだけの怨みを抱けば、そこまで根深い呪いをかけられるというのだ。
「はっきりと聞いたことないけど、もう何十年も何百年も旅を続けてるんだと思う。わたしもいつかついて行けなくなる。置いていかれちゃう」
玲佳は肩を震わせながら、必死に嗚咽を堪えていた。伊月は安都真から出された妙な提案の意味を知った。彼は玲佳と男女の交際をしてくれないかと言った。それは玲佳を孤独にさせないための切なる願いだ。どれだけ親しまれようと、寿命に膨大な差があれば、いつかは別離の時が来る。一方は老いさらばえ、もう一方は若々しいままの残酷な別れだ。彼は玲佳には普通の人生を歩んでほしいのだ。
「……安都真がここに来ないのは、稀李弥と会うのがつらいからだよ」
「つらいって…、なんで…」
「あなたが叫んだ言葉、安都真にも聞こえてたんだよ。わたしに言ったんだ。僕にも友達ができたって。あんな嬉しそうな安都真、初めて見た」
「………………」
「だから、ね? 会っちゃうとお別れがつらくなるから、このまま行くんだって」
目頭が熱くなる。恋愛もできない。結婚もできない。家族も作れない。歳を取らない以上、一所に留まることもできない。何十年、何百年も独りで旅を続けるとは、どれだけの孤独感が覆い被さってくるのか想像もつかない。そんな残酷な仕打ちに安都真は耐えてきたのか。そして、これから先も、旅を続けなければならない。呪いを解かない限りは……。
「じゃあ、わたし行くから。わたしがいなかったら、安都真本当に独りだもん」
「玲佳っ」
出ていこうとする玲佳を呼び止めた。まだ発する言葉が完成していないが、頭を絞って自分の思いを伝えた。
「…何年後か…何十年後かに、まだ呪いを解いてなかったら、またこの町に寄れって伝えてくれ。もしかしたら、俺がその方法を見つけてるかもしれないからな」
玲佳が涙を一杯浮かべた目で微笑んだ。
「…わかった。伝えておく」
引き留めるべきか。胸中で葛藤が渦巻いた。安都真が願う、彼女が普通の人間として生きられる道を、自分が用意するのが正解なのだろうか。
覚悟と逡巡が頭の中で混ざり合う。追うべきだと考えるが、玲佳の決意の深さを見せつけられ、どうしても立ち上がることができなかった。
玲佳が静かに出て行った後、残されたのは痛む体と静寂だけだった。伊月は玲佳が持ってきてくれたサンドイッチを袋から取り出した。なにが起ころうと、この世にどれだけの不条理があろうと、生きるためには食わなければならない。包みを開けようと爪を立てるが、涙で霞んで上手く剥がせなかった。みっともないと思いながらも視界はますます歪んでいく。
「うっうっ…」
堪えきれなかった。伊月の頬を伝った涙が、包まれたままのサンドイッチの上にぽたりぽたりと零れた。
〈了〉
セツナトクオント 雪方麻耶 @yukikata
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