第31話 殺すわけにはいかないし
こっちかよ。はっきりしろ。悪態を吐きながら付かず離れずの距離を保って運転を続けていたら、駅前を横切った。JR横浜線の片倉駅という駅だった。控えめに掲げられた駅名標がどこか哀愁を誘う。
八王子駅から一駅離れただけなのに、町並みはガラリと変わっていた。八王子駅界隈の活発的な人の往来は鳴りを潜め、一気に長閑な風景となる。片倉駅は都内で利用されているとは思えないほどこぢんまりとした駅で、比例するように駅前も賑わいとは程遠い侘しさが漂い、時の流れがゆっくりと感じた。田舎というほど田舎臭くはないが、喧騒とは無縁な風景だ。品川駅や東京駅や新宿駅を利用している人々に、「なんでそんなにせかせか生きてるんだよ。もっと気楽に人生を楽しもうぜ」と語り掛けているような、そんな景観だった。同じ東京都なのに、自分が住んでいる木場とのあまりの違いに伊月は軽い衝撃を受けた。
「おそらく、もう近いよ」
安都真の呟き通り、駅を通過してから十分もしないで、翔太は車を戸建ての敷地内に停車させた。ここが阿比留紫星の自宅だ。商品を一手に引き受けているアンジュには、勝手に停めてよいと言ってあるのだろう。見失うことなく阿比留の居所を掴むことができて、伊月は胸を撫で下ろした。
車が停められるスペースは確保されているが、雑草が生えるままに放置されており、荒れ果てていた。家屋もひどい有様で、外装や屋根をリフォームするより建て替えた方が早そうなほど傷んでいた。阿比留紫星のビスクドールは高額で売れるらしいから、金がないわけではないはずだ。人形制作以外には無頓着という五百城の証言を裏付ける眺めだ。
周囲に強烈な悪臭をまき散らしている。陰鬱な外観と相まって、呪いの館と呼ぶのに相応しい様相を呈している。
「そのまま通過して」
「わかってる」
伊月は車を走らせて駐車場を探した。少し片倉駅に戻った場所に、二十四時間営業のコインパーキングを見つけたので滑り込ませた。閑静な住宅街にぽつんとあり五台だけ停められる小さな駐車場だ。看板には入庫から二十四時間まで七百円と表記されていた。木場駅周辺では九百円とか、高いところでは千五百円近い料金を見掛けたこともある。
ハンドルから手を離すと、一気に疲労感が押し寄せた。車の運転は神経を使ううえ、失敗できない尾行をしていたので、本人が思っている以上に緊張していたのだ。
「お疲れ様」
安都真の気遣いが、するりと耳に入る。ここから阿比留邸までは徒歩で三分くらいだ。改めて周囲を見渡すと時が停止しいるのではないかと思うほど静かだった。こんな穏やかな町の中で、呪いをばらまくビスクドールを独り作り続けている男を想像すると、胸の辺りがぞわりと落ち着かなくなった。
「これからどうする?」
自分の命が懸かっているのに、安都真の力をあてにしている。情けなく思う一方で、事を確実に成し遂げる為に、その分野で秀でた者に縋るのは恥ではないと開き直る。
「アンジュのにいさんが帰るまではなにもできない。ここで待機だ」
そう言って、安都真はコンビニ袋からおにぎりを取り出した。
「わたしももらお」
玲佳はおにぎりとサンドイッチを買っていた。両方を手に取り、しばらく見つめてからサンドイッチを伊月に差し出した。
「あげる。あんまりおなか空いてないから」
「ああ、もらうよ。ありがとう」
食欲が湧く状態ではなかったが、彼女なりの優しさだとわかるので、素直に受け取った。
「阿比留だけど……」
安都真がおにぎりを頬張りながら喋り始めた。包みを剥がす伊月の手が止まる。
「製作している人形に怨嗟を滲み込ませるくらいだから、五百城母娘に対する怨みは相当なものだと言える」
「自分が人形作りに没頭して家族を蔑ろにしたのが原因なのにね。ホントに男って勝手なんだから」
「……だから、結局のところ母娘への執着を絶ってしまえば、呪いも消滅すると思う」
「……要は五百城母娘のことなんかどうでもいいって思えればいいんだな? 新しい女ができるとか?」
「男の発想って、なんでこうも単純なの」
玲佳が詰るが、構っていられない。それに事実でもある。玲佳が言う通り男は単純だ。金。権力。女。たった三つで有頂天になる。猿山のボスザルと揶揄されようが、所詮は負け犬の遠吠えと嘲罵を切り捨てる。
いっそのこと、玲佳に誘惑させたらどうかなどと考えたが、彼女が怒りだすであろうことは占いに頼らなくても予知できたので、過った案はすぐに却下した。
「……あるいは、呪いが成就して五百城母娘が亡くなったことにするか。怨む対象がいなくなれば、溜飲が下がるだろうからね」
「そんな嘘、信じるかぁ?」
「壊れたビスクドールを渡せば、呪い殺せたと考えるんじゃないか。信じるのは一瞬でいいんだ。きみへの呪いが消えれば成功なんだから」
「嘘ってバレたら、五百城母娘がまた呪われるんじゃないか?」
「もう連絡を取ってないんだし、大丈夫じゃないかな?」
伊月は内心で、出た。と思った。悲劇を他人事に捉える薄情さ。心が風化してしまったかのような淡白な一面は、安都真の同調できない部分だった。
「……生きてる人間は死霊より難しいよな」
「そうかい?」
「だってそうだろ。殺すわけにはいかないし」
「……………………」
安都真は無言で伊月の目を覗き込んだ。海の底を連想させる暗い瞳だ。圧のある眼光に思わず目を逸らしてしまった。伊月は安都真の沈黙の意味を考えないようにしたが、動揺するのを抑えられなかった。
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