第29話 母と子、父と子

 響子はいきなり帰省した伊月を責めることなく、茶を淹れてくれた。その動作は忙しなく、彼女の動揺が滲み出ているのが可笑しかった。

 向かい合って座り、茶を啜った。響子が淹れる緑茶は湯の温度が熱すぎず丁度いい。母は倹約家だが、茶葉だけは絶対に上級茶を購入し、香りが際立つ上手な淹れ方をする。伊月がコーヒー豆にこだわるのは、母の影響かもしれない。

 響子は近況をあれこれ尋ねてきた。健康のこと。経済的なこと。仕事のこと。そして結婚相手の有無。ありきたりな質問が続いたが、伊月は面倒臭がらずに一つ一つ答えた。少し鬱陶しくはあったが、母親から愛情を注がれるのが沁みる。

 そもそも伊月は、両親と仲違いして家を出たわけではない。他人には説明しづらいのだが、両親と伊月の間にはどうしても埋められない溝が横たわっている感覚が拭えなかったのだ。それは霊能力を持つ者と持たざる者の差であり、嫌悪されているのではないとわかってはいるのだが、理解できないものを見る目というのは、相手に伝わるものだ。祖父という理解者がいただけに、伊月の親子間の距離は一定の間隔を保ち続けた。祖父の墓を綺麗に保っているくらいなのだから、伊月に対しても引け目を感じているのだろうが、接遇が侭ならないのは自分でもどうすることもできないことだ。もしかしたら、伊月自身、近づけさせない雰囲気を滲ませているとも考えられる。

 会ったところでギクシャクするだろうなとは思っていたが、それでも安都真のアドバイスに従ってよかったと思った。けっして両親を憎んでいるわけではないのだ。取り留めのない会話に付き合っていたら、あっという間に夕方になっていた。


「じゃあ、そろそろ行くよ」


 立ち上がろうとする伊月を、響子は引き止めた。


「晩御飯食べていきなさい。もうすぐ父さんも帰ってくるから……」

「母さんに会えただけで十分だよ。明日は早起きしなくちゃならないんだ。帰って仕事の準備をしなきゃ」

「でも…」


 呪われた話なんか絶対にできない。後ろ髪を引かれる思いを持て余していると、玄関が開けられる気配がした。続いて疲労感を漂わせた声が飛んできた。


「ただいま」

「あっ、帰ってきた」


 響子は小走りで部屋を出た。稀李弥が帰ってきてると話してるのが聞こえたが、伊月は構わず玄関に向かった。式台に立っているため、響子と同じ高さに頭を並べた父の姿があった。

 父の良蔵りょうぞうも皺が増えていた。五十代の男性なら平均的なのだろうが、数年ぶりに見る父親は殊更に老けて見えた。

 良蔵は響子のように驚きはしなかったが、心が揺れ動いているのは伝わった。


「来てたのか」

「うん。もう帰るけどね」

「そうか。元気でやってるのか?」


 引き留めようともしない。子供の頃からこんな調子だった。いかにも父らしく、反感も生じなかった。父親にも息子にも同じような接し方しかできない男の人生に、微かな憐憫が過る。

 思い返してみれば、良蔵は伊月を祖父から遠ざけていた。日常的に霊力を使う祖父から影響を受けさせたくなかったのだろう。それなのに、霊力の資質を一番色濃く受け継いだのが伊月であったのは、皮肉としか言いようがない。


「とりあえず息災ってとこ。父さんは老けたな」

「なに言ってる。定年までまだ十年以上ある。老け込むのはそれからだ」


 さっきも思ったことだが、けっして仲が悪いわけではない。少し、ほんの少しだけ特殊な事情があるだけだ。


「じゃあ、行くよ」

「くれぐれも体調には気をつけろよ」

「わかってるよ。父さんも母さんも、無理はしないでくれよ」


 自分でも思ってなかった言葉が自然に出た。もしかしたら、これが最後の対面になるかも知れないのだと悟られないようにしていたのに、一気に込み上げてくる熱い感情に鼻の奥がツンと痛くなる。


「それじゃ」

「また来なさいよ。今度はちゃんと連絡しなさい」


 響子が早口で喋る。三時間は会話を交わしたのに、まだまだ話したりない様子だ。伊月は頷いてから玄関を出た。

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