第28話 墓参り
朝比奈インターチェンジから降りると、都内とは異なる空気が入り込んできた。生まれ育った土地を意識したわけではないが、伊月は深く息を吸い込み、盛大に吐き出した。
「……あんまり変わってねえな」
景色がめまぐるしく変わる東京と違って、映り込む景色は網膜に焼きついたあの頃のままだった。伊月は今、実家を目指してホンダのフィットを走らせていた。出る時に借りてきたばかりのレンタカーだ。
尾行は明日だが、何年も運転から遠ざかっていたので練習がてらのドライブだった。料金が二日分になるのは痛いが、本番で上手く操れずにアンジュの車を見失ったら目も当てられない。命を思えば、数万の出費など比べるのも馬鹿らしいというものだ。
実家に帰ろうと決めたのは、安都真の勧めがあったからだ。流れる景色をぼんやり見つめながら、昨日の会話を反芻する。
「明日はどうするんだ?」
「さっき言っただろ。あとは待つしかない。明日は稀李弥がやりたいことをやればいいよ」
「そんなこと言ったって、こんな状況でやりたいことなんて……」
「会いたい人はいないのかい?」
なにを言い出すんだと思いながらも、頭の中に対象となる人物を探した。
「……そんなの、とくにいないな」
「ご両親は? ご健在ではない?」
「いるよ。まだご健在だよ。けど、もう何年も会ってない」
「どうして?」
「色々とあるんだよ。家庭の事情ってやつだ」
「会ってきた方がいい。これが最期になるのかも知れないんだから」
「おい、脅すのか」
言ってから、アンジュの店主と同じ台詞を言ってしまったと、恥ずかしくなった。
「どんなに強がっても、今際の際には後悔が波のように押し寄せる。わだかまりがあっても、会えるうちに会っておいた方がいい」
安都真の忠告は、胸を刺す針だった。穏やかな態度ではあるが、けっして事態を軽んじてはいない。しかも感情が乏しいわりには、真理を含んだ重みがあった。
ハンドルを左に切った。実家に寄る前に行くところがあった。祖父母が眠っている墓だ。伊月は幼少の頃には親よりも祖父に懐いていた。伊月の霊能力は祖父譲りだった。父にはその資質は受け継がれなかったらしい。それが基になっているのか、父は祖父には素っ気なかった。
他人には見えない物の怪を目撃し、両親に報告する度に、外では絶対に話すなと戒められた。
なぜ自分は人と違うのだろう。なぜ両親は自分を遠巻きにするのだろう。
窮屈な日常を送っていた伊月にとって、理解を示す祖父の接し方は甘やかだった。
「父さんと母さんは、おまえが心配なんだよ。おまえの力は神様が与えてくれたものだ。どう使うかはおまえ次第だが、なにより自分の幸せを第一に考えろ」
子供の頃にはわからなかったが、今ならわかる。人は自分と違う者を排除する。能力。思想。地位。些細な区別はやがて大きな差別に成長する。祖父は、霊能力などという希少な力は、崇拝か攻撃かの二極にしかならないと知っていたのだ。それでも祖父は否応なく死ぬまで人助けを続けた。伊月の人生の道標は、両親ではなく祖父が示してくれた。
祖父母の墓は、小高い丘を拓いた墓地のほぼ中央にある。管理人が常駐するほどの規模ではないので、所々に雑草が生い茂り、鬱蒼とした区画もある。そんな中で、祖父母の墓は綺麗に保たれていた。父が足繁く通い、墓を掃除しているのだ。祖父母の墓は石碑だけではなく、根石で囲まれ墓誌や灯籠なども備えた立派なものだ。それらが綺麗に磨かれている形跡がある。父は祖父を遠巻きにしていたが、いがみ合っていたわけではない。案外、ろくに交流しなかったのを後悔しているのではないだろうか。父の複雑な思いは、自分に重なる映写機だった。
途中で買った線香と仏花を備えた。怨み以外の思念がこの世に留まっているとは思っていないが、こういった行為をすると神妙な気持ちになるのだから、人の心というのは不思議だ。
「じいちゃん…。俺を護ってくれよ…」
手を合わせながら、自分でも意外と思うほど深く祈った。
墓参りを済ませて実家に戻った。鎌倉市内といっても駅から離れているため、観光客の喧騒に悩まされることはない。落ち着きのある住宅街の一角だった。車を近くのパーキングに停めて、徒歩に切り替えた。土産に買ってきた最中が入った紙袋を忘れずに手に取る。
伊月の実家は、今では少なくなった瓦屋根の古びた家屋だ。狭いながらも庭があり、一本だけ植えられている桜は、春になれば近所の迷惑も顧みずに花びらを舞い散らす。
当然のことだが、伊月が出た頃よりさらに老朽化が進んでいた。それなのにやけに周囲に溶け込んでおり、鎌倉にはこういった家屋が似合っているんだと主張しているように、その威風を健気に留めている。
少し躊躇ってから、インターフォンを押した。通話ボタンが押された気配が伝わってきたが、声がしない。しばらく立っていると、玄関のドアが開かれた。
「稀李弥……」
出てきたのは母の
「ただいま」
母に促されるのを待たず、伊月は靴を脱いだ。
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