第21話 壊れたビスクドール
しばらくすると安都真が帰ってきた。デイバッグを背負っている。伊月を見て柔和な笑顔を浮かべた。
「大変だったね」
「面倒を掛けたようだな」
「まあね」
あっさりした言い方が、いかにも彼らしかった。迂闊さを誹られないのは煩わしくなくてよいが、一抹の寂しさも感じた。
安都真はテーブルの空いている床に腰を下ろした。三人が向き合う形となる。
「玲佳に礼は?」
「言ったよ」
「ならいい。こっちの仕事を途中で切り上げて、東京に戻ったのは彼女だからね。僕はきみがここに運ばれた後に帰ってきたんだ」
「そうなのか……」
伊月が玲佳に視線を向けると、居心地悪そうに眉根をひそめた。
「あんた一人じゃ覚束ないと思ってさ。虫の知らせってやつ」
「おかげで助かった。改めて礼を言う」
伊月が頭を下げると、玲佳は犬を追い払うように手を振った。
「だからやめろってば」
どうやら、人から感謝されるのに慣れていないらしい。普段の素っ気ない態度も、照れ隠しなのかも知れない。
「僕たちが帰ってくるのを待っててほしかったな」
さすがになにかしらの言及があるだろうと思っていたが、安都真の口調は予想よりやんわりとしていた。しかしそれゆえに、言葉が胸の深い部分にまで落ちて食い込む。
「時間がないと踏んだんだ。実際、依頼者の娘は危険な状態だった」
「それで、きみが危ない目に遭っちゃ世話ないよ」
「けどなぁ」
伊月の反論を、安都真は掌を向けて遮った。
「五百城母娘を救ったことは評価するよ。きみの成長が伺えると思う。その上で、きみに言わなくちゃならないことがある」
「……わかってる。呪われたんだろ」
「……そうだ」
安都真の返事は重たかった。玲佳も、光沢のある天板を睨んで不機嫌そうに黙っている。
あの時、なにか得体の知れない汚物が体内に入り込んでくる感覚があった。思い出すだけでも、うなじに電気を流されるような不快感が走る。萌乃樺にかけられた呪いは解除できたものの、今度は伊月に呪いが感染してしまった。笑えないくらい間抜けな話だ。
「俺が呪いを解こうとしたからか」
「そうだと思う。強い怨念は敵と見做した者にも呪いの触手を伸ばす。きみはそれに触れてしまったんだ。このまま放置しておくと、非常にまずいことになる」
「……はっきり言ってくれ。どうなる?」
「死ぬ。とり殺されてしまう」
安都真が伊月を睨んだ。彼にしては珍しく、怒っているような厳しい目だ。覚悟はしていたが、第三者から、しかも能力面では信頼している安都真から断言されると、さすがに震えてくる。
安都真がデイバッグからビニール袋を取り出し、中身を天板にぶち撒けた。カラカラと音を立てた欠片が、円状に広がる。
「おいっ、それっ!?」
「安心しなよ。これはもう、ただの壊れたビスクドールだよ」
ばらばらに砕けている陶磁器は、伊月を苦しめたビスクドールの残がいだった。頭部の損傷がとくに激しい。片目だけが残った頭部から生えている髪が生々しく、グロテスクだった。害がないと聞かされても、けっして気持ちのよいものではなかった。
「伊月を呪った呪主についてなんだけど…」
「うん…?」
「結論から言うと、この人形に宿っていたものは怨念の正体ではない」
「そんな馬鹿なっ」
伊月は思わず反論した。
「あれだけ強い念で、一人の人間を支配していたんだぞ。俺だって危なかった。それなのに、そいつじゃなかったってのか?」
「正確に言うと、この人形は媒体にされていただけだよ。つまり、呪いの伝達手段に過ぎないってことさ」
「あれだけ強力だったのに?」
「伊月が対峙したのは、それだけ危険な怨念だったんだ」
目の前が暗くなる。そんな化物みたいなやつに呪われてしまった。大地震やハリケーンに陵辱され、抵抗などなに一つできずに絶望する人々の心境だった。
「
「……誰だって?」
「阿比留紫星。五百城さんの元夫にして、この人形の製作者だ。ビスクドールの世界では有名らしい。彼が制作したビスクドールは人気が高く、安いものでも十万以上、モノによっては百万円を越えるものもあるらしい」
安都真が口にした値段は、伊月には驚愕ものだった。たかが人形に百万円とは。だが、と思い直す。カードゲームのカード一枚が何百万円で取引されたり、何十年も前のブリキの玩具にも信じがたい値がつくケースもある。需要があればどんなものにも高価にするのが人間だ。そして、自分が理解できないからといって嘲笑するのは、危険な行為でもある。それに執着している者にとっては、他人に馬鹿にされる謂れなどないからだ。もっとも、人の執着を利用する痴れ者も横行している。転売ヤーと呼ばれるゴミクズだ。
「今回の事件が特異なものだったんで、方々に連絡してみたら、彼が制作した人形の持ち主は、いずれも不幸に見舞われているとわかった」
「ちょっと待ってくれ。その阿比留紫星とやらは故人なのか?」
「玲佳に訊いてもらったんだけど、死亡したという報せは受けていないとのことだ。五百城母娘は、だけどね」
「まだ生きているとして、人形に呪いを込めるなんて芸当、可能なのか?」
「可能だよ。むしろ、そっちの方が大量に存在している。きみが使う破魔札や神社で配っている御守りなんかも、広義の意味では人の念を込めた呪物だ」
呪物とは超自然的な呪力をもち、人間に禍福をもたらされる物を指す。今回の人形は、怨念が込められたものなので、災難が降りかかったのだ。
「けど、萌乃樺は娘だぜ? 別れた女房にならともかく、自分の子供に呪いを込めた人形なんか残すか?」
「それはわたしから説明させて」
玲佳は、手にしていたカップをテーブルに置いた。
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