第20話 空虚な部屋での食事
白い闇が眼球を刺激して鬱陶しい。痛みを伴った眩しさに耐えかね、引き剥がすようにまぶたを開けると、見たことのない天井が飛び込んできた。
ここはどこだ? 俺は助かったのか? 萌乃樺はどうなった?
いくつもの疑問が立て続けに押し寄せる。ポケットを弄ってスマートフォンを取り出し、時刻を確認した。午前十時四十三分。思わず上半身を起こした。あれから丸一日が経過したのか? 驚きの中、聞き覚えのある声が耳に滑り込んだ。
「おー。気づいた気づいた」
玲佳が床に座って、こちらを眺めていた。
「………………」
ゆっくり起き上がり、ベッドに寝かされていたのだと気づいた。どうやら危機的状況からは脱出できたようだが、聞きたいことは山とあった。
「ここはどこだ?」
「わたしたちの家だよ。運んでくるの大変だったんだから」
「玲佳の……」
さりげなく部屋全体を見た。わたしたちの家という以上は、ここで生活しているのだろう。それなのに、すんなりと納得できなかった。室内には、まったくといってもいいほど生活感がなかった。生きていく上での最低限の家具家電は揃っているが、使用されている形跡がない。部屋という空間は、持ち主の性格や嗜好を如実に反映するものだが、この部屋からは二人が営んでいる日常が欠片も想像できなかった。
「ずいぶん…、質素な部屋だな」
「一時的に借りてるだけだからね」
「そうなのか?」
「言ったでしょ。わたしたちは一所に長居できないって。ここはウィークリーマンションの一室なの」
「ウィークリーマンション…」
伊月自身は利用したことはないが、そういったサービスがあるのは知っていた。短期滞在を目的とした賃貸物件だ。その名の通り一週間単位で借りられるのだが、旅館業法の改正および民泊新法施行に伴い、現在では一日のみの利用も可能となっている。そんなサービスを活用するなんて、本当にこの町に長居するつもりがない証左といえた。
「……おまえが助けてくれたのか」
「まぁね。タクシー呼んでここまで運んだだけだけど。運ちゃんに手伝わせたから大変だったってのは運ちゃんのことだけどね」
「文句言われただろ」
「そうでもなかった。わたしがしなだれて頼んだら、鼻の下伸ばしてやってくれたよ。こういうとき、美人は得だね」
本気で言っているのか冗談なのか判断が付かなかった。だから、伊月の方も曖昧な笑みでごまかした。
「すまなかった。ありがとう」
伊月は素直に頭を下げたが、玲佳には意外だったらしく、少し慌てたようだ。
「やめろって。それより腹減ってんでしょ? 弁当買ってきてるけど食べる?」
「ああ。腹ペコだ」
伊月は起き上がって、玲佳の向かい側に座った。用意してくれていたのはメンチカツと豚焼肉の弁当だった。ペットボトルのウーロン茶も添えてある。メジャーなコンビニエンスストアのロゴが印刷された袋に入っていた。とっくに冷めていたが、電子レンジで温めた。
伊月は夢中になってかき込んだ。空腹だったのもあるが、食事という行為は生きていることを実感させてくれた。
「………………」
ちらりと玲佳を見ると、まともに目が合った。眺めていたのではなく、観察する者の鋭い目だった。
「なんだ? おまえも食いたいのか?」
「ぜんぶ食べていいよ」
さも面白くなさそうに言う。伊月にしても、ウケようと思ったわけではない。玲佳がなにを言いたいか、おおよその察しはつく。ただ、ハッキリとするのを先延ばしにしたいだけだ。
「おまえたち、こんなところで暮らしているのか?」
玲佳はむっとして伊月を睨んだ。
「こんところってなに? 綺麗に片付いてるでしょうが」
「ああ、悪い。そういう意味じゃなくて……なんていうか、生活感がまったくないっていうか、空き部屋で目覚めたみたいな感じを受けたからさ」
「………………」
「玲佳?」
「つい最近引っ越してきたからじゃない? 生活感ってのは何年も暮らして出来上がっていくもんだし」
たしかにそうなのだが、玲佳の言い方にはどことなく言い訳しているような感触を受けた。玲佳が安都真とどのように暮らしているのか追求するつもりなどない。これ以上部屋について話すのは野暮だ。伊月は玲佳に悟られない程度に深く息を吸った。
「…五百城さんは」
「ん?」
「五百城さん。今回の依頼人だ。あの母娘はどうなった?」
「うん。無事だよ。あんたが除霊したんでしょ」
「そうだけど、最後には気を失っちまったから」
「心配しないで。あの母娘はもう大丈夫。あんたは、きっちりと仕事をやり遂げたんだよ……」
「そうか……。それでな」
「詳しいことは安都真が話すよ」
「安都真もあそこに来てたのか?」
「食事を済ませちゃって。後片付けはわたしがやるんだから」
「……そうだな」
後片付けといっても、空になったプラスチックの容器とペットボトルと割りばしを分別してまとめるだけだ。玲佳は明らかに苛立っている。
食事を終えて、ようやく人心地ついた。
「お茶飲む? パックだけど」
「もらうよ。パックじゃなくてバッグな」
「なに?」
「お茶のバッグ。B、A、Gでバッグだ」
「マジ? 今までずっとパックって言ってた」
玲佳が淹れてくれた緑茶を飲んだ。バッグならこんなもんだよなという、深みのない味だった。互いに無言で、室内はしんと静まりかえった。二人が茶を啜る音と窓の外から自動車が通過する音が時おり聞こえるだけだ。けれども、それほど息苦しい時間ではなかった。
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