第22話 傀儡師

「まず、このビスクドールは残していったのものじゃなくて、一週間前に送られてきたんだって。阿比留が家を出て行った日に届いたって。まるで狙ったみたいにね」


 花紗音は、萌乃樺がおかしくなったのは離婚した日から丁度一年経ってからだと言っていたのを思い出した。ビスクドールを受け取ったのは萌乃樺で、花紗音には隠していたのか。母親に気遣ってのことなのか。それとも、手にした瞬間に術中に嵌まったのか。受け取ったのが花紗音だったら、違う方向で物事が進行していたかもしれなかった。


「一年も経ってから人形を送ってきた理由はなんだ?」

「焦らないで。奥さんに聞いたんだけど、離婚っていっても、五百城母娘の方が一方的に捨てたって感じだったらしいよ。人形制作に対する情熱が常軌を逸してたんで、怖くなったんだって」

「そういえば、そんなこと言ってたな……」

「マンションだって阿比留が購入したものなんだけど、慰謝料代わりに五百城母娘が譲り受けたって話してた。実質、母娘で揃って阿比留を追い出したようなもんよ」

「……よくおとなしく離婚を受け入れたな。度を過ぎていたとはいえ、仕事に傾注していただけじゃ、理由としては弱かったんじゃ……」

「だから言ったでしょ。怖くなったんだって。異様な空気をまとっている人とじゃ、落ち着いた生活なんか送れるもんか」

「いや、そうじゃなくて、阿比留の方があっさりし過ぎじゃないのかってことだ。顔を合わせるのも嫌だってくらい反発していなければ、普通は抵抗するだろう。しかも、家長の方が出ていくってのは……」


 どうも釈然としない話だった。いくら人形作りが至上の生活を送っていたとしても、そんな簡単に妻や娘と別れられるものだろうか。呪物を送ってくるくらい怨んでいたのなら、もっとしぶとく、みっともないくらい抗うものだと思うのだが……。

 ちぐはぐな印象が強くて、阿比留の心理が上手く描写できない。安都真のいうところの、理が透けてこない。


「う〜ん……。奥さんによれば、人形以外の興味は失せていたってことだったけど、もしかして少しくらいは修羅場があったのかもね。怨みを抱いたからこそ、娘に人形を送ったんだろうから」

「二人に呪いをかけるためにか?」

「そう考えるのが妥当ではあると思うんだけど、別れてから一年も経ってるのにってところが引っ掛かるんだよね」


 花紗音から人形について言及があれば、もっと上手く対処できた可能性がある。だが、今さらたらればの話をしても詮ないことだ。


「……人形の持ち主は不幸に見舞われていると言ったが、まさか、全員死んでるのか?」

「ケースは色々だけど……」


 安都真はスマートフォンを取り出した。


「火事により焼死したり、医者いらずだった人が病床に伏せって、そのまま戻らぬ人となったり、交通事故で家長を失い、それが原因で一家心中したりと、悲惨な内容が多いね。先日、占いコーナーで女性に襲われたろ? きみがビスクドールを壊さなかったら、彼女もヤバかったんだ。命拾いしたのは美人の占い師じゃなくて、ゴスロリおばさんの方さ」

「あのことを知ってるのか? なんで?」

「ビスクドールを追っているうちに、ね」


 胃の辺りがムカムカしてきた。さっきたいらげた弁当のせいではない。安都真の調査内容に酔ったからだ。


「ビスクドールの持ち主には、もれなく不幸が訪れる。なんだそれは。まるで呪いの拡散じゃないか。阿比留ってやつは五百城母娘を恨んでいただけじゃないのか」

「それなんだけどね。五百城母娘に対する恨みが滲み出て、製作過程で人形に注入されてしまったと考えられないかな。愛情が濃いほど、ひっくり返ったときの恨みは深くなる。別れたときは希薄な態度だったらしいけど、表面上はいくらでも装えるからね」

「罵倒されたりきつく当たられるより、拒絶される方が傷つくもんよ。相手から無視されたら、怒りをぶつけることもできないから、鬱憤が溜まる一方だし」


 玲佳が引き継いだのは、似たような経験があるからだろうか。神経が昂ぶっているのか、変な方向に想像力を働かせてしまう。


「人形を使って呪いをばら撒く、か。阿比留紫星? そんな洒落臭い名前じゃなくて、こいつのことは傀儡師と呼ぼう」


 伊月の軽く口に反応することなく、安都真がふいに無口になった。すべてを伝え終わったのではない。言いづらい話だから躊躇している沈默だと、すぐにわかった。


「ここまで聞いたら、もう驚きゃしない。知り得たことをすべて教えてくれ」

「……人形を購入した者は、みんな数日から数週間で亡くなっている」

「数日から数週間……」


 ならば、萌乃樺は間一髪だったのか。本来ならば胸を撫で下ろすところだが、そんな心境にはなれなかった。伊月だけそのルールから外れているとは考えられない。最下層まで落とされたのに、さらにその下まで繋がっている落とし穴に突き落とされたようだ。限られた期間で、この無慈悲な呪いから脱出できるのか。いや、できるのかではない。なにがなんでも成し遂げなくてはならない。


「……おまえの力で、解くことはできないのか」

「解くにはかけた本人を探さなくてはならないし、呪いの原動力となる理を追わなければならない。今この場では無理だ。阿比留を探さなくてはならない。阿比留から呪いの理を紐解き呪縛を解くしかない」


 人探しなんて、探偵の真似事までしなくてはならないのか。一秒たりとも無駄にはできないのに、呪いを受けてから丸一日が経過してしまった。刻一刻と死神が鎌を振り下ろそうと構えて迫っている。焦燥が吐き気を帯びて伊月に覆い被さった。

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