第16話 焦燥の依頼者 

 淹れたてのコーヒーを傍らに置きながら、メールをチェックしていた。今日のコーヒーは購入店のオリジナルブレンドだ。酸味が微かで苦みが深い。伊月のお気に入りだった。モニターに表示されている時刻は十時四十九分と表示されていた。もちろん、夜の時刻だ。

 除霊を依頼したい旨のメールが一件届いていた。受信時刻を確認すると、つい二時間ほど前に送信されたものだった。

 ここのところ、除霊に関する依頼が増えた。口コミで評判が上がっているのは以前からだが、増え方が右肩上がりだ。グラフにしたら、株価が大きく跳ね上がるのに似ているに違いない。あの二人と出会ったことで、なにかが動き出した。そんな感じだった。

 文章を読むと、娘が日に日に奇行に走るようになり、医師の診断はまったく当てにならないものだと綴っていた。差出人は五百城花紗音いおきかさねとある。被害者の母親のようだ。内容自体は、これまで処理したものと大差はなかったが、言い回しや表現から、困窮している焦燥と、なんとしてでも娘を救いたい必死さが、ひしひしと伝わってきた。


「………………」


 伊月はコーヒーを一口飲んで、スマートフォンに手を伸ばした。安都真に電話をするつもりだった。いつもならメールで打ち合わせをするのだが、緊急性を感じた。一刻も早く解決しなければならない気がする。もう一度時刻を確認した。まだ十一時にはなっていない。電話をするには微妙な時刻だが、安都真なら大丈夫だろうと都合よく考えた。

 繋がらなかったらメールを送ろうと考えながら、スマートフォンを耳に押し当てていたが、安都真はあっさりと出てくれた。


「伊月?」

「ああ。悪いな。いきなり」

「仕事かい?」

「実はそうなんだ。早く処理しなくちゃならない案件が来てる。それで、依頼人と連絡を取って明日にでも現地に行きたいんだが……」

「悪いけど、二〜三日は帰れそうにないんだ」

「……どこか出掛けてるのか?」

「今、宮城県の大崎市にいるんだ」

「なんだってそんなとこに……」

「……………………」

「早めに切り上げて、帰ってこられないのか」

「無茶言わないでくれ。僕にも事情がある」


 安都真の言い分は正しい。だが、彼の感情を欠いた言い方には、分別を壊す効果があった。


「それはわかってるけど、今回のはかなりヤバそうなんだ。必死に助けを求めてるんだよ」

「すまない。こっちの用件が済み次第、きみの部屋に行くよ。それまでは事前調査だけに留めておいてくれ」

「そんな悠長なこと……」

「すまない」


 安都真は、伊月を遮って再度詫びの言葉を口にして電話を切った。むこうにもそれなりの背景があるということか。


「う〜……」


 伊月は低く唸ってから、コーヒーを飲み干した。すっかりぬるくなって酸味が強くなっていた。それから、しばらく考えた後、五百城に明日にでも訪問するので、住所を教えてほしいとメールを送った。


 五百城に送ったメールには、すぐに返信が来た。住所だけではなく電話番号も記載されていた。それだけでも、依頼人の焦慮が手に取るようにわかる。記された住所は葛飾区奥戸とあった。

 マップサイトで調べたところ、JR総武線や京成押上線に挟まれているものの、どちらかも距離があり、徒歩だと二~三十分は掛かりそうだ。新中川に並行する線路があったので期待したが、それは貨物列車が走る線路だった。

タクシーを使うか……。

 目指すべき場所の思い浮かべながら、五百城の返信の早さを慮った。


「………………」


 迷ったが、詳細な打ち合わせはメールではなく電話でしようと決めた。相手の話し方を聞くだけでも、ある程度の背景は窺える。メールに記された電話番号に架けた。

 五百城は八回目のコールの途中で出た。


「もしもし……」


 女性が出た。依頼主の名前は五百城花紗音とあった。当然考えられることなのに、その時は意外に思った。ひどく用心した喋り方だ。知らない番号から架かってきたので無理もないが、それにしても喉の奥から絞り出すような喋り方だ。仕事でミスをして、萎縮しながら上司に経過を説明しているサラリーマンが頭に浮かんだ。


「五百城さんですか? わたし、伊月と申しますが…」

「伊月様…ですか? あっ!?」

「お嬢様のことでお困りのようですね」

「…はい、実は……うっ」


 五百城はいきなり嗚咽を漏らした。限界まで膨らませた風船が、とうとう破裂したような崩れ方だった。


「助けて……助けてください」


 メールの文脈から感じた以上に追い詰められている。電話越しから、苦しみを一人で抱えているのが伝わってくる。夫はどうした? 相談できる相手はいないのか。


「電話ではなんですから、詳しいお話は明日お伺いしたときに聞きます。必ず行きますから、あまり思い詰めないでください」

「…はい。はいっ。よろしくお願い致します」


 それから事の経緯を簡潔に説明できるようまとめておいてほしい旨を伝えたり、訪問時間を決めたりして通話を終了した。相手が混乱している分、伊月の方が冷静にならないといけなかったので、電話を終えたときには妙に感情が凪いだ状態になっていた。

 コーヒーを飲もうとカップを持ち上げたが、中身はすでに空だった。乱暴にカップを置いてから、葛飾区奥戸の謂れや過去に起きた事件などを調べた。

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