第15話 憑いてるクレーマー
その日は、エリカを気にしての営業となった。パーティションには防音効果があるので、会話が筒抜けになる心配はない。それでも人の出入りくらいはわかるので、隣室に客が入る度に気を引き締めた。
「大丈夫。息子さんだってちゃんと考えてますよ」
「それなら、いいんですけど…」
一人息子がいつまでも独身でいるのを気に病んでいる女性客の占い、といってもほとんど相談みたいなものを終わらせ、一人きりになったとき、左腕に鳥肌が立った。左側はエリカのブースだ。うなじが逆立つのを自覚する間もなく、パーティションがノックされた。
椅子をずらし耳をパーティションにくっつけ、意識を集中させた。エリカと客のやりとりがボソボソと聞こえる。
「先生が赤いものを身に着ければ運気が上昇するって言ったから、こんなにきっちゃった」
? 話に脈絡がない。きっちゃった? 着ちゃったか?
「お客様、そういった意味では……」
エリカの声が聞こえた。口調から、かなり焦っているのがわかる。
「なによ。あなた言ったじゃない。まさか青って言った? それとも黄色? わたしが間違えたなんて言い出すんじゃないだろうなあっ」
「ですからっ、そういうことではっ」
パーティションのノックが激しくなる。伊月は体裁など構っていられなくなり、大胆にエリカのブースを覗き込んだ。
異常な光景だった。見た目四十代後半、もしかしたら五十代と思われる女性が、凄まじい剣幕でエリカに詰め寄っていた。形相にも圧倒されたが、それ以上に女性のいでたちにただならぬものを感じた。頭のてっぺんから足の先までゴスロリ調で統一させ、ビスクドールを抱いている。袖を捲ってエリカに突き出しているが、その腕にはカッターで切った傷跡が何本も走っていた。
「嘘つきぃっ!!」
中年女がエリカに飛び掛かった。
「きゃあっ!」
エリカが押し倒された。周囲がどよめくが、近づいてくる者は皆無だ。エリカも他の者も気付かないだろうが、伊月にははっきり視えた。女の全身を漆黒のモヤが包んでいる。あまりにも濃い黒で、女の向こう側の景色が隠れてしまうくらいだ。
伊月は急いで隣のブースに飛び込み、女を羽交い締めにした。
「なにすんだぁっ!」
女は伊月を強引に振り解いた。とても中年の女の力とは思えない。伊月が尻もちをついた隙に、女は再びエリカに襲い掛かった。エリカはブースの奥に追いやられて、外に逃げ出すことができない。
「ぅおっ!」
伊月は足を突き出し女を転ばせた。女は派手に転んでパキッと嫌な音がした。支えようとして手首を骨折したかと思ったが、床には肌色の陶磁器が砕けていた。抱いていたビスクドールの頭部が女に押し潰されて割れたのだ。
「死ねっ! 死んで詫びろっ! 嘘つきは死んじまえっ!」
伊月は懐から破魔札を取り出し、倒れてもなお喚き散らす女に向けて振りかざした。女は飽くまでエリカに執着し、接近するのは容易だった。
「失せろっ」
破魔札を押し当てている箇所から、邪気が薄れていく。食い込んでくるような殺気はたちどころに四散し、女はうつ伏せに倒れたまま、ぐったりと動かなくなった。
「こいつ、憑かれてやがった」
「なに? なんなの?」
エリカはすっかり混乱していたが、素早く伊月の背中に隠れた。体を密着させてきたので、荒い息が肩に吹きかかる。
「どうしましたぁっ」
警備員が慌てた様子で駆けつけた。五十代半ばの中年で、頭髪には年齢相応の白髪が交ざっていたが、体躯は制服の上からでもわかるほど屈強だ。客の誰かが呼びに行ったのか、防犯カメラに映ったのを見つけたのか。何れにしても遅ればせながらの援軍だった。エリカに代わって、伊月が騒ぎの内容を説明した。
騒然となった占いコーナーから、女は警備員に連れられていった。前後の記憶が曖昧になっているらしく、辺りを不安げに見渡し、抵抗はしなかった。顔は青ざめ、立ちくらみを起こしたみたいにふらふらと覚束ない足取りだった。
エリカも促されて同行していった。警察に連絡するかはエリカ次第になるだろうが、後で事情聴取くらいは付き合わされるかも知れないと、少し鬱陶しくなった。気が付いたら、星野が傍らに立っていた。女が暴れた際にパーティションが乱れてしまい、彼女のブースも歪んでしまっていた。
「びっくりしたぁ。なにがあったの?」
星野は本当に驚いたらしい。好奇心など置き去りにして、不安を隠そうともしない細い声を出した。占い師は誰でも泰然自若なイメージを保つことに努めているが、この時ばかりは素が出てしまっていた。
念や霊の存在など知らない星野に説明しても無駄だ。警備員に説明したのと同様に、占いの結果に満足できずに、逆恨みした頭がイカれた女に襲われたことにするしかない。
「占いが外れたってクレームつけに来た客が暴れたんだよ」
「こっわ~。くわばらくわばら」
西洋占星術を使う占い師なのに、年寄りみたいな厄除けの呪いを口にする。そのちぐはぐさを笑おうとしたが、破魔札を握りしめている今の自分も似たようなものだと思い直した。
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