第13話 理を見抜く

 傷の手当ては玲佳が行った。やけに慣れた手つきだ。


「お嬢さんは、荒んだのではないと言い切れますか?」


 安都真の冷たいとも言える問い掛けに、斉藤は先ほどの自説を繰り返した。


「ああ。あれはよくないなにかに憑かれているんだ。絶対にそうだ」

「そのよくないモノに取り憑かれる原因に心当たりはありませんか?」

「ないっ。結衣に限って、他人から恨みを買うようなことはしないっ」

「取り憑かれる原因は、必ずしも因果応報とは限りませんがね……。それでは、最近変わった行為をされましたか?」

「変わった行為?」

「つまり、日頃とは違ったことです。どこかに出掛けたとか、今までしたことのない新しいジャンルに手を出したとか……」

「……それならば、一ヶ月前に娘と二人で墓参りに行ったが……」

「墓参り、ですか」

「そうだ。妻の墓参りだ。あれが亡くなったのが、年末だったものでね」

「ああ、奥様でしたか。道理で目元がそっくりだと思いました」

「え?」

「憑かれているのはあなたの方だ」


 安都真は、いつの間にか小刀を握っていた。刀身は十五Cmくらい。刃紋が複雑にうねって妖しくも美しい。小柄は黒くツヤがあり複雑な紋様が刻まれているが、伊月が見たことのないものだった。

 安都真は、なんの躊躇もなく小刀で斉藤を刺した。


「がっ!?」


 いきなりのことだったので、伊月は一歩も動けなかった。刃が斉藤の肉体に滑り込むの光景だけが、瞳に焼き付けられる。


「おいっ!? なにやってんだっ」


 伊月が立ち上がろうとするのを、玲佳が肩を押さえて止めた。彼女に驚く様子はなく、小声で呟いた。


「動かないで。このタイミングで邪魔が入ると、厄介なことになる」


 苦悶している斉藤から、白いモヤが立ち昇ったので、伊月は目を見張った。


「あっ?」


 モヤは瞬く間に人の形となり、天井に吸い込まれるように凄い勢いで消失した。

 モヤから完全に解放された斉藤は、なにが起きたのか理解できない様子で、床にへたり込んだ。驚くべきことに、刺されたはずの腹部には傷一つ付いておらず、出血もしていなかった。


「わ、わたしは……?」

「あなたは奥様の念に取り憑かれていたのですよ。いや、取り憑かれたという言い方は語彙があるな。あれは守護霊に近いものだった」

「守護霊? 美由紀が? なぜ、今になって……」

「奥様が守りたかったのは、あなたではなく結衣さんです。あなたから、結衣を守りたかったのですよ」

「………………」


 伊月にはわけがわからなかったが、斉藤の顔から血の気が引くのを見た。玲佳は、カラスに啄まれてゴミ集積場に散乱した生ゴミを見るような目で、斉藤を見下ろしている。


「奥様を亡くしたあなたは、結衣さんに性的な目を向けるようになった」

「なっ?」

「この数日間、結衣さんを監禁して何度も襲おうとしたでしょう。その度に奥様の霊はあなたを支配して、必死にあなたの暴行を阻止していたんですよ」

「馬鹿を言わないでくれっ。わたしがそんなことをっ……」

「あなたが追い詰めたせいで、結衣さんはすっかり怯えて逃げ出す気力も削がれてしまった。引っ掻いたり噛みついたりの暴力は、人として、女としての本能的な抵抗なのですよ」

「でたらめを言うなっ。除霊の依頼を出したのはわたしだぞっ。取り憑かれていたのなら、そんなことするはずがないっ」

「奥様があなたを支配したのは、あなたが結衣さんに対して邪な劣情を抱いたときだけです。自我を取り戻す度に、部屋は荒れ結衣さんの様子がおかしくなっていく。だから勘違いをした。取り憑かれているのは結衣さんだと」

「そんなこと……。そんなこと、わたしは……」

「お代を」

「え?」

「お代を払ってください。これから先はあなたたち親子の問題だ。僕はよく知らないんですが、家庭内の問題に力添えしてくれる団体なり窓口があるのでしょう? 一度相談されてはいかがですか」


 呆然とする斉藤に対して、代金を要求する安都真の笑みは飽くまで無垢で無邪気だった。



 騒然の後の静けさを残した斎藤家を辞去した。安都真は三十万円が入っている封筒を伊月に渡した。かなりの高額をふっかけたものだが、斉藤は文句を言わずに支払った。娘に欲情した愚劣さをよほど恥じ入ったと見える。


「これで、また僕に依頼料が払えるね」


 伊月は受け取ってよいものか躊躇したが、それほんの一瞬だけだった。押し返しても拒否されるに決まっている。今回は崇道も騒がない。金に関しては口出ししないと決めているようだ。


「なあ、あの親子、あのまま置いてきてよかったのかな」

「僕たちの仕事は、飽くまで霊に関わることだけだ。これ以上は余計なお世話だよ」

「そりゃ、そうだろうけど……」


 斉藤は娘をレイプしようとしていたのだ。それが実行されてしまったら、結衣が負う傷はいかほどのものになるのか。それこそ、父親に対する怨念が渦巻き、新たな悲劇を生み出すことになりはしないか。

 伊月はスマートフォンを取り出した。それから少し悩み、警察に通報した。警察の範疇ではないかも知れないが、少なくとも斉藤はケガをしているし、あの部屋には事件性を示すものが山ほどある。結衣が再び父親の毒牙に狙われるのは避けられる環境になるはずだ。

 伊月が電話をしている間、安都真はなにも言わなかった。自身は動かないが、他人がお節介を焼くのは止めない姿勢か。結衣を助けたのは彼だが、それは霊に対処した結果に過ぎない。伊月は確信した。この二人は人助けをするために動いているのではない。他に目的があるのだ。除霊は目的を達成するために必要だから行っているだけだ。その目的を訊いてみたい衝動に駆られたが、軽くいなされるのは火を見るよりも明らかだった。


「………………」

「どうかした?」

「……いや、なんでもない」


 どうも、安都真に対する認識を改める必要がありそうだ。つまり、彼らにはある程度の用心をしていた方がよさそうという意味だ。伊月が除霊をしているのは金儲けをするためだが、その他にも自分の特殊な力で苦しんでいる人を救いたいと願う純粋な正義感もある。対して、安都真たちには人助けの概念が欠けているように感じる。海を綺麗にしたいからゴミを拾うのではなく、目の前の海岸にゴミがあるから拾う。ゴミは拾うが海が綺麗だろうが汚かろうが知ったことではない。そんな感じだ。


「それにしても、どうして憑かれているのが父親の方だとわかったんだ。いつから気づいた?」

「……まあ、部屋に入った時点で違和感はあったんだけどね。結衣さんを見たときに確信した。彼女、小柄で身長が低かったから」

「………………?」

「壁の傷の位置が、彼女の身長よりも明らかに高いところにもあっただろ」

「ああっ……」


 伊月も異様な雰囲気は感じ取っていたものの、物理的な観察にまでは目が届かなかった。そして、物理的でないものにも捉えきれなかったものがある。安都真は「結衣に目元が似ている」と言った。伊月は白いモヤを捉えるのが精一杯だったが、安都真にはそこまではっきりと視えていたということだ。伊月には霊が人の姿で視えた経験がない。いつも湯気のように曖昧模糊とした影のみだ。これが霊力の差だとなると、いくら安都真の下で修行しても無駄な結果に終わってしまう。


「奥さんの霊は、いつから視えてたんだ?」

「それも入室したときからだよ。不思議に思ったのは、結衣さんに憑いているはずの霊が、室内をうろついていたからさ。しかも禍々しさはなく、むしろ僕たちを誘うように立ち回っていたんだ」


 伊月は大きく息を吐いた。安都真には、最初からすべてお見通しだったのだ。


「それにしてもよ」

「ん?」

「母親を祓ってよかったのかな。彼女は結衣さんを守るために、この世に留まっていたんだろ?」

「斉藤氏の影響を受けて、濁り始めていたからね。邪気に染まった霊は、悪霊へと変貌してしまう。もう限界ギリギリだったと思うよ」

「男ってみんなケダモノなのよね〜」


 玲佳が茶化したが、笑う気になれなかった。


「取り憑いた霊が、生きている人間の悪意に負けるなんてあるのか」

「怨念は死人の専売特許じゃない。恨みつらみ、嫉妬、軽蔑、侮辱、害心。それらが強すぎてこの世にしがみついているのが霊だから、生きている人間の方が怖いともいえる。もっとも、美由紀さんのように、我が子を守りたいという強い愛情も霊になるから、ことわりを見抜くのが肝心なのさ」

「理……」

「人には人の、霊には霊の理がある。その意思を汲み取らないで強引に祓ってしまうと、手がつけられない大怨霊になってしまうケースもあるから、憑いた霊、憑かれた人の背景を重視しなくちゃならないんだよ」

「………………」


 理。今までそんなこと考えもしなかった。伊月は力任せに祓ってきただけで、それはつまり、安都真が言った危険を孕んだ行為だったのだ。これまでは運がよかったということか。


「納得いかないかい?」

「そういうわけじゃないけどな……」

「安心しなよ。たしかに美由紀さんを祓ったのは直接的には僕の力によるものだけど、まるで手応えを感じなかった。彼女は半分、自らの意思で昇天したといってもいい」

「そうなのか?」

「ああ。もう安全だと思ったんだろう。きみのおかげでね」

「俺?」

「身を呈して斉藤氏を守ろうとしただろ? きみが信用に足る人物だと判断したんだ。事が終わったら結衣さんが安全に暮らせる境遇を作ってくれる人だってね」

「…………」

 たしかに結衣の今後が気掛かりで通報はしたが、ただそれだけだ。少々過大評価な気がしたが、気分は悪くなかった。


「きみは自分で思っている以上に、人のために動ける人だよ」

「ようするにお人好しってことね」

「うるせー」


 二人が冷めているのではなく、自分が差し出がましいだけなのか? 憎まれ口を叩きながらも、伊月は全身が熱くなるのを抑えられなかった。

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