第11話 とりあえずコーヒーを…

 除霊の依頼が入ったのは、年が明けてから三週目の火曜日だった。待ちに待った依頼だ。この頃には正月ムードも収まって、町は日常に戻っていた。つまり、相変わらず、海外ではくだらない戦争で人が殺し合い、特殊詐欺のリクルーターが逮捕されたとか漁船が転覆して三人が亡くなり二人が救助されたなどのニュースが流れ、町中にはスーツ姿のサラリーマンや、ランドセルを背負った小学生や、スマートフォンを弄りながら自転車をこいでいる低能な女子高生が行き交う日々にだ。

 伊月は安都真に電話した。SNSでもよいとの確認は得ていたが、いちいち入力するのがまどろっこしかった。

 安都真はすぐに出た。


「そろそろ連絡が来ると思ってた」

「……そういうのも、霊感でわかるのか?」

「まさか」


 安都真は笑った。


「除霊の仕事が来たんだろ? 何時に行けばいい?」

「あ、ああ、そうだな……」


 伊月はデスクトップパソコンのモニタに表示されている時刻を確認した。伊月の部屋には時計がない。パソコンやスマートフォンで確認できるからだ。時刻は十時十八分だった。


「……何時に出られる?」

「すぐにでも大丈夫だよ」


 今回の依頼者は千葉県松戸市に住んでいる。


「集合場所はどうしようか。安都真はどこに住んでるんだ?」

「伊月のマンションから徒歩で五分くらいの場所だよ」

「え?」

「しばらく一緒に行動するなら、近い方が便利だと思ってね。引っ越したんだ」

「マジかよ……」

「マジだよ」


 伊月の戸惑いに対して、安都真の答えは軽かった。普通なら引っ越しなんてホイホイするような行為ではない。生涯に九十三回も引っ越ししたと伝えられる葛飾北斎じゃあるまいし……。以前に、一所に留まらないと言っていたのを思い出した。あの時は深く受け止めなかったが、今回の引っ越しもそれと関係あるのだろうか。


「どうせなら、これから伊月の部屋に行くよ。ちょっと打ち合わせをして、それから出よう。それでいいかな?」

「それは…、構わないけど……」


 いつの間にか主導権を握られていた。そのこと自体は不快には思わなかったが、安都真に対する不可解さが増した気持ちだった。



 安都真の来訪に備えて、部屋の中を片付けることにした。普段から目を背けたくなるほど汚してはいないが、男の一人暮らしだ。他人に見られては気まずい物もある。

 見られたくない物をクローゼットに押し込んで、粘着式のクリーナーで埃を取った。掃除機を購入するほど広いスペースはない。

 一通り片付いた頃合いに、インターフォンが鳴った。伊月の行動を見計らったようなタイミングだ。ドアを開けると、安都真の後ろに玲佳もいた。


「あけましておめでとう」

「もう一月も終わるって……、玲佳も来たのか」

「ご挨拶ね。わたしは安都真の相方なんだから、同行するのは当然なの」


 伊月は二人を招き入れながら、部屋を片付けておいて正解だったと胸を撫で下ろした。クローゼットにしまった主な物は、異性に見られたらドン引きされるものだったからだ。


「適当に座ってくれ。とりあえずコーヒーでいいだろ?」

「お構いなく」


 伊月は煙草は吸わないし酒も嗜む程度だが、コーヒーにだけは拘っていた。近所にあるコーヒー豆専門店から定期的に購入している。豆をミルで砕いてフィルターに盛る。均等に湯を注ぐと、うっとりする香りが鼻腔を刺激した。今淹れているのはバリアラビカ神山ハニーをフルシティローストしたものだ。苦みの中にも微かな甘みが感じられ、コクが深く、まろやかで酸味が少ない。伊月のお気に入りの一つだ。

 抽出されたコーヒーがドリッパーからポタポタ落ちるのを眺めながら、伊月は不思議なことに気づいた。

 玲佳がいるのは、安都真が連絡したからだ。それにしては、合流してからこの部屋に着くまでの時間が早過ぎた。ひょっとして、玲佳まで近所に越してきたのか。


「なあ、もしかして、玲佳もこの近くに引っ越してきたのか?」

「んあ?」


 玲佳は、床に足を投げ出してだらしなく座っていた。もう自分の部屋にいるようにリラックスをしていて、伊月の問いに間の抜けた返事をした。


「だからさ、二人揃って来たってことは、玲佳も近くに越してきたのかって訊いてるんだよ」

「わたしもっていうか、安都真と一緒に暮らしてるからさ」

「え? そうなのか?」

「そうだよ」


 玲佳は、照れることなくからっと答えた。安都真はあいかわらず穏やかな笑みを湛えている。


「言ったじゃん。わたしは安都真の相方だって」

「……なるほど、そーゆー……」


 二人が男女の関係だと想像しなくもなかったが、なんとなく違うのではないかとの思いもあった。二人の間からは、恋人や想い合っている男女から漂う甘やかな空気が感じられなかったからだ。兄妹と言われた方が納得できる雰囲気だ。なにかを期待していたわけではないが、玲佳が相当な美人なだけに、少しだけ落ち込む苦さを感じた。

 三人分のコーヒーをテーブルに置いた。白く立ち上る湯気が蠱惑的に揺らめいた。


「よい香りだね。インスタントには出せない芳醇さがある」

「これがいいからな」


 伊月は自分の腕をペシペシ叩いた。


「甘いもんが欲しい」


 茶菓子など用意していない。伊月は基本的に甘いものは食べない。玲佳の注文を無視した。


「豆から挽いた本物だぞ。純粋にコーヒーだけを味わえ」

「なーにカッコつけてんの」

「こいつのよさは女子供にはわからんか」

「それって差別だよ。伊月は時代錯誤だねぇ」

「うるせー」


 安都真は一口コーヒーを啜って、ほっと息を吐いた。


「うん。これは旨い」


 飾り気のない褒め方に、伊月は年甲斐もなく浮かれた。


「だろ? おまえ、なかなか見どころあるぞ」

「ぶーだ。それより、仕事の話でしょ。どんな依頼が入ったのよ」

「ああ。それなんだけど……」


 伊月は説明を始めながら、自分で淹れたコーヒーを飲んだ。滅多にない来客に飲ませるために神経を使ったためか、いつもより上手に淹れられたと自惚れられる、満足できる味だった。

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