第10話 占い師の報労
「今、オーケーって言ったんだな? 俺の提案を受け入れたんだな?」
安都真は首肯した。伊月は破顔したものの、玲佳が黙っていなかった。
「ちょっとちょっと、こんなのにかまけていいの? ギブアンドテイクとか言っときながら、わたしたちを利用したいだけだと思うよ」
用があるのはおめーじゃねーよ。と脳内で罵ったが、声に出すほど短気ではない。伊月は言い返そうと口を開いたが、声を出す前に安都真が諌めた。
「伊月はそんな人じゃないと思う。それに、素質はあるよ。その使い方を理解していないだけだ。生兵法は大怪我の基って言うしね」
安都真の言い方には抵抗を覚えたが、反論できるだけの実力がないのも事実だ。
「いずれ大きな失敗をしでかすってのか?」
「失敗というより、災厄だね。憑かれた本人はもちろん、家族や友人、周囲の人にも悪影響を及ぼすケースに発展する。そして、中途半端に祓おうとしたきみにも」
「………………」
安都真は先ほどまでの遠慮などなかったかのように、大胆に封筒を鷲掴みにした。
「このお金は、きみへのレクチャー代として頂くよ。きみが受けた依頼に同行しよう」
「それでかまわない」
「ただし」
「?」
「僕たちは一所に長居するつもりはないから、滞在している間だけってことで」
「長居するつもりはないって? 旅行の途中なのか?」
「…まあ、そんなところだ」
「……いつまでだ? それに、どこに泊まってるんだよ?」
「心配しなくても、二、三回つきあっておしまいってことはしないよ。それに住んでる場所は……。伊月の住所はどこなんだ?」
「質問してるのは俺だぜ?」
「いいから。こっちにも事情がある」
「東西線木場駅の近くだけど……」
「富岡八幡宮の近く?」
「ちょっと離れてるかな」
「あそこら辺はいい町だよね。まだ下町臭さが残っててさ。時間の流れがゆったりしてる気がする……。よし。連絡先も交換しておこう」
「あ、ああ」
伊月と安都真は、互いのスマートフォンを向き合わせた。玲佳はそんな二人の様子を見ながら紅茶を啜っている。声には出さないが、物好きなやっちゃなあ…と目が語っていた。
「僕たちはこれでお暇するよ。同行してほしい件が来たら、今教えた番号に架けてくれればいいから」
「SNSでもいいか?」
「いいよ。SNSは便利だよね。時間を気にしなくて済む。昔じゃ考えられなかった」
「なんだよそれ。ジジィみたいなこと言うな」
伊月は笑ったが、安都真はバツが悪そうに口元を歪めた。
「…………?」
「……それじゃ、これで」
なんとなく歯切れ悪く、安都真たちは店から出ていった。伊月も出てもよかったのだが、一緒に退出するというのも少し馴れ馴れしいと思い、もう一杯コーヒーを飲んでから帰宅することにした。
十二月に入ると、いよいよ世間は年末特有の慌ただしさの様相を呈してきた。ショッピングモールはツリーを装飾し、電飾で光を演出する。最近では青白い光の方がウケがよいようで、LEDのイルミネーションライトが、凜々しい光を通り過ぎる人々に降り注いでいる。人工の光でもそれなりの美しさはあり、立ち止まってツリーを背景にしてスマートフォンで撮影をする人もちらほら見掛ける。
伊月は自分に宛がわれている占い師用のスペースに座り、ひたすら来客を待っていた。
屋内のあちらこちらにもクリスマスの装飾が設けられており、神秘性が重要な占いコーナーは雰囲気が台無しになっていた。一番端で商売をしている星野アイ子という占い師は、この彩られた状況を逆手にとって店頭ボードに『来る年を独りで過ごさないために!』と可愛らしいPOP調の文字でアピールし、期間限定で恋愛占いに特化を図っている。彼女の専門は西洋占星術だ。せこいマネをするなと呆れる一方で、なるほど商売とはああやるのかと感心もしている。
客足が少ないと、あれこれと余計な思考が飛び交ってしまう。今年もそろそろ終わりだなと考えながらも、ちょっとした焦りも抱いていた。
あの二人と出会ってから、除霊の仕事がぱったり途絶えてしまったのだ。除霊の仕事が入ったら、伊月に同行してもらう約束にしているから、なにもないのに連絡するのは躊躇われる。だが、安都真の一所に長居しないという言葉も気になる。このまま彼からなにも得られないままいなくなられるのが心配なのだ。
「今日はあんまりお客さん来ないね」
ふいに話し掛けられた。いつも伊月の隣に座っている女性の占い師だ。パーティションから首だけを覗かせていた。エリカと名乗っており、最初は本名だと思っていたが、会話を重ねていくうちにツツジ科の花のエリカから拝借したのだと知った。エリカの花言葉は、「博愛」とか「よい言葉」で、悩んでいる人によい言葉を伝えて幸せを掴んでほしいという願いから付けたのだと話していた。常に落ち着いた物腰であるため、年齢は伊月より二つ三つ上かと思っているが、もしかしたらその逆もあり得る。どちらにせよ、整った容姿も手伝って神秘的な雰囲気を纏うのには成功している。自分はどうだろうか。
「もう年の瀬だからな。悩みなんかにかまけてる暇もないんじゃないか?」
エリカはくすりと微笑んだ。そんなちょっとした仕草も妖艶だ。
「でも、そんなんじゃわたしたち干上がっちゃう」
「よく言うよ。エリカさんところは俺の倍は入るじゃないか」
実際、エリカの占いは人気があった。彼女の占う方法は手相を見るスタイルだ。学生であろう若い娘も来れば、孫がいそうな老人も来る。男性の客は伊月よりも圧倒的に多く、エリカに触れてもらうのが目的ではないかと勘ぐってしまうほどだ。
「でも、感謝されてるのは伊月さんの方だと思う」
「え? そうか?」
「そうよ」
「なんでわかる?」
「占い師の勘よ」
エリカは首を傾げて瀟洒なピアスを揺らした。伊月は興醒めした。占い師の勘ほどいい加減なものはない。エリカは暇つぶしに適当なことを言っているだけだ。伊月の仕草から内心を読み取ったらしいエリカは、眉根を寄せた。
「馬鹿にしないで。わたしの勘って当たるんだから」
「自分から当たらないなんて言う占い師はいないよ」
「じゃあ、こんなのはどう? 伊月さんは今、悩みを抱えている」
「悩みを抱えていない人なんていない」
占い師相手にバーナム効果を狙うとは、浅はかにも程がある。エリカの占いの実力など興味もなかったが、この分では艶麗をウリにしているだけで商売が成り立っている可能性が高い。彼女に対する評価を改めなければならないと思った。
「会いたい人がいるけど、うまい理由が見つからないとか」
言葉に詰まりエリカを見返してしまった。まさに安都真に当てはまる内容だ。エリカは相変わらず静かな笑みを湛えている。伊月はいやいやと思い直した。今のだって、誰にでも当てはまることだ。会いたいのになかなか会えない人なんて、多かれ少なかれ誰にだっているものだ。
「それから……」
「おい待て。勝手に占うな。そもそも、あんたは手相を見る占い師だろ」
「あの……」
二人の間に控えめな声が割って入った。神秘性を出さなければならない占い師がおしゃべりに興じているところなんて見せられない。伊月もエリカも一瞬で商売に戻り、澄まし顔を作った。
「こんばんは。どうぞお座りください。なにを占いましょうか」
「いえ…。今日はお礼を言いに…」
「お礼?」
「はい。あの…先生の占いのおかげで、よい縁に巡り会えたんで…」
訪問者をよく見て思い出した。先日、積極的にアプローチしろとアドバイスした女性だ。
「それはそれは。よかったですね」
「あの後、他部署の人たちと飲み会があって、ちょっといいなって感じの人がいて…。それで、わたしから話し掛けたんです。それがきっかけで」
「おつきあいが始まった?」
女性はほんのりと頬を赤らめ頷いた。
「先生のおかげです。今日は一言お礼が言いたくて……」
「それは」
あなたが勇気を出したからだと言うのを思い留まった。伊月の分析では、容姿は悪くないのに自信なさげな態度が恋愛から遠ざけていただけなのだが、自分から占いの効果を否定することはしなくてよいだろう。信頼と好感度を上げる積み重ねが、商売繁盛に繋がるのだ。
「よかったです。わたしも嬉しく思います」
「本当にありがとうございました」
「そう言っていただけると、占い師冥利に尽きるというものです」
女性は何度も頭を下げながら去って行った。この分だと、クリスマスにはデートを楽しむのだろう。自信は成功を呼び、成功は更なる自信に繋がる。自分の細やかな助言が、あの女性を幸せに導く一助になったのなら、この商売を続けている甲斐があるというものだ。味気ない一日で終わると思っていたが、急に心が浮き立った。
我に返ってエリカを見ると、彼女は「ほらね」と言いたげに悪戯っぽく微笑んだ。
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