第9話 強引に結ぶ縁

 伊月は電柱の陰に隠れて、二人の様子を窺った。喋っているのはさっきとは逆で青年が主だった。女は青年から一歩下がって所在なさげにしている。インターフォン越しのやり取りの後、武雄がドアを開けて顔を出した。突然の来訪者に、怪訝な表情を隠そうともしていない。

 伊月からでは会話の内容が聞こえなかったが、武雄の焦った素振りから二人の目的が拓哉であることは明白だった。

 二人は半ば強引に上がり込んだ。武雄が首を突き出して周囲を覗ったので、伊月は慌てて首を引っ込めた。ドアが閉められると、何事もなかったように落ち着きが戻ってきた。

 どうするつもりだ? 俺も戻った方がいいのか? 焦るな。俺が行ったところで、なにができる。それでも……ああ、くそっ。焦るなって。

 伊月が破魔札を手に逡巡していると、香田家から獣の咆哮のような凄まじい悲鳴が聞こえた。今のは拓哉の声だ。


「ちくしょうっ。なにが起こってるっ」


 伊月は香田家に飛び込んだ。武雄はかなり狼狽していたのか、玄関のドアは施錠されていなかった。靴を脱ぎ捨て階段を駆け上がった。


「大丈夫かぁっ?」


 拓哉の部屋は満杯だった。大声を上げて突入してきた伊月を、武雄夫妻と謎の二人組がきょとんと見つめた。そして、ベッドの上には拓哉が穏やかな顔をして眠っていた。その時はじめて、伊月は香田家を囲んでいた邪気が綺麗さっぱりと消失していることに気がついた。



 伊月は、やよいという喫茶店でテーブルを挟んで二人と対峙していた。伊月はそれなりに気を張っているが、二人からは緊張はまったく感じられなかった。


「先にこれを渡しておく」


 伊月は二十万円が入った封筒を、二人の前に差し出した。香田夫妻が、二人を伊月の仲間、あるいは弟子と勘違いして、二人はもちろんのこと伊月にも礼を言ってきた。ぜひとも謝礼金を払いたいというので、霊の強大さを鑑みて二十万円を要求した。武雄は躊躇することなく、即座に銀行から二十万円を下ろしてきて、なぜか伊月に押し付けるように渡したのだ。

 青年は無頓着な態度を示したが、女の方が黙っていなかった。大声でどういうことだ。おまえは誰だと喚き散らした。香田家で騒ぎ立てる女を宥め、急いで辞去した。外に出てからも女は鎮まらなかったが、伊月にしても二人に支払うべき金と考えて要求したので、自分の懐に入れるつもりは毛頭なかった。とりあえず腰を落ち着けようと提案して入ったのがこの喫茶店だ。あの怨霊をどのように祓ったのか訊きたいという下心もあった。


「うひょー。これだけあれば当分は食いっぱぐれなしだよ」


 女が手を伸ばしたが、青年がやんわりと押し留めた。


「そのお金はこの人に支払われたものだ。僕たちにじゃないよ」

「伊月。伊月稀李弥だ。二人の名前を聞いてもいいか?」


 青年は目を細めた。どうやら微笑んだようだ。


「僕は南砺安都真なんとあづま。こっちは崇道玲佳すどうれいか

「こっちって言うな」


 以前に会ったときにも感じたことだが、安都真は感情の起伏が乏しいように見受けられる。この青年を見ていると、透き通った湖面が頭に浮かぶ。対照的に玲佳と呼ばれた女は常に波が行き来する海面だ。生命力や活力に満ちている。賑やかだがそれが騒がしいとは感じず、周囲にも元気を与えるような好印象になっている。

 ショートボブがよく似合っており、元気さと相まってボーイッシュな女の子といった印象を受けるが、さり気なく観察すると整った顔立ちだった。美人といってもよい。オレンジ色のニットにデニムショートパンツ。足下はグレーのスニーカーだ。女性の服装には疎いが、おしゃれよりも動きやすさを重視しているように思えた。


「南砺安都真に崇道玲佳か。この金は怨霊を祓った対価だ。お前たちに受け取る権利がある」

「でも、聞けばあの両親はきみの依頼者だったんだろ? 僕たちは横から割り込んだわけだから、このお金は……」

「まてまてまてまて」


 玲佳が安都真の発言を断ち切った。


「こいつの言う通りだよ」

「こいつ?」

「……名前なんてったっけ?」

「伊月稀李弥だよ。名乗ったばかりだろ」


 玲佳は伊月の文句を無視して続けた。


「この金は霊を祓ったからこそ支払われた金だ。となれば、受け取る権利があるのはわたしたちってことじゃん」


 自分で言ったことだが、他人に言われるとなぜか腹が立つ。


「伊月さんは、まだ除霊の途中だったんだろ? だったら、やっぱり割り込んでしまったことになるよ」

「さんは付けなくていいよ。その代わり、俺も付けない。いいだろ?」

「まあ……、伊月……がそれでいいのなら」

「安都真。伊月の除霊は途中だったんじゃないよ。あの怨霊にビビって逃げ出しただけなんだから」

「ちげーよっ。準備不足だったから、明日改めて来るつもりだったんだ」


 ビビったのは事実だったので、つい口調が強くなってしまった。妙案が浮かばず途方に暮れていたことは黙っていた。


「僕たちは金儲けが目的じゃないし……」

「金目当てじゃなくても、生きていくには絶対に必要でしょうがっ。聖人ぶってんじゃないよ」


 舌鋒鋭い玲佳に対して、安都真は飽くまで穏やかだ。こんな女と組んでいたんじゃ、心が休まらないのではないか。他人事ながら同情してしまう。


「とにかくっ」


 伊月は意地になって封筒を前に突き出した。


「祓ったのが俺じゃない以上、この金は受け取れない。俺にもプライドがあるんでな」

「う〜ん……」

「割り切らんやっちゃなあ」


 玲佳はあからさまに苛ついている。伊月にしても同様だった。安都真がこの金を受け取らない限り、話を次に進めることができない。

 なんとか安都真の除霊方法を知りたいんだが……。


「あ」


 我ながらグッドアイデアと思える方法が浮かんだため、思わず声が出た。二人は言い合いをやめて、同時に伊月を見た。


「南砺が……。南砺って呼びづらいな。安都真って呼ぶぞ」

「お好きなように。こいつも玲佳でいいよ」

「お前が勝手に決めるな」

「……安都真が納得できないなら、この金は一度俺が受け取る」

「なんでっ」


 伊月の提案に、玲佳が噛みついた。


「聞けよ。そして、この金でお前らに仕事を依頼したい」

「仕事ってお祓いのこと?」

「そうだ」

「でも、きみ……伊月にはなにも取り憑いてないよ」

「わかってる。だからさ、俺が受けた除霊に一緒に来てもらいたいんだ」


 一転して、玲佳が呆れた顔になった。


「な〜んだ。仕事を代われってことかよ」

「違う。俺から改めて依頼するんだ」

「そういうのを屁理屈ってーのよ。わざわざ間に割り込んで売りつけるなんて、転売ヤーじゃん」


 伊月は少しむっとした。


「俺は依頼を独占なんかしないし、代金を上乗せするなんてマネもいない。あんな社会のダニと一緒にするな」

「ものは言いようだね」

「なあ、いいだろ。さっきのやり取りからして、お前らは商売のやり方ってもんをわかっていない。坊主じゃないんだ。お気持ちでいいなんて曖昧なやり方じゃ、いつまでもやっていけないぞ。俺が稼ぎ方を教えてやる。真っ当な金の稼ぎ方だ」


 喋りながら思いついた提案だったが、咄嗟の考えにしては悪くないと思った。


「伊月には、僕たちと行動を共にしたい理由があるようだね」


 安都真に図星を突かれたので、回っていた舌が止まった。心を見透かしていると言われても信じてしまいそうなくらい、安都真の瞳は深かった。


「……まあ、その……、なんだ。俺が商売のノウハウを教える見返りとして、安都真の除霊のやり方を見学させてもらいたいっつーか……。持ちつ持たれつ。相互扶助。ギブ・アンド・テイクってやつだ」

「伊月、おまえはもう除霊師を生業にしてるだろ。それとも、これまでインチキで稼いでたのかよ」


 玲佳の指摘はもっともだったが、インチキと言われるのは心外だった。


「インチキじゃねー。お祓いはしなくとも、依頼者の心を救済してきた。結局のところ、依頼してくるやつってのは安心が欲しいわけだからな。その期待には応えてきた…つもりだ。……ただ、独学で身につけたやり方だから、手に負えないケースもあるんだ」

「さっきみたいのとか?」

「……そうだ。けど、見捨てようなんて考えてなかったのは本当だぜ。なんとかしようと策を練るために、一時撤退しただけだ」


 言い訳がましくなってしまっていると自覚はあったが、なんとか二人との縁を繋ぎとめたかった。安都真から得られたものを除霊に活かそうと考えているのに嘘偽りはない。自分の力で困っている人を助けられればいいと思っているのも本心だ。


「いいよ」


 安都真が言った。あまりにもあっさりとしていたので、了承を得られたのだと理解するのに時間が掛かったくらいだ。

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