第2話 先生と呼ばれるほどの…
水曜日の午前。なかなか涼しくならないと愚痴っていたのが嘘のように空気が冷え込んでいた。秋を通り越して一気に冬が到来したような寒さだ。
秋の定番である栗やさつま芋を使ったスイーツが店頭に並んだり、動画サイトを覗く度に、オータムセール! と無理やりねじ込んでくる鬱陶しい広告に惑わされているのが、どこか間の抜けた感じになってしまっている。この数年、秋をじっくり堪能した記憶がない。日本はこのまま本当に秋をなくしてしまうのかと、寂しさを感じてしまった。
伊月は足立区竹ノ塚に来ていた。東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅から歩いて三十分ほどの住宅街だ。築数十年は経っている家屋や真新しい家屋が混在している場所で、時折庭を有した邸宅も見受けられた。
伊月が目指した家は、すぐに見つかった。とくに敷地が広く、家屋は長年の風雪にさらされた重厚な雰囲気を漂わせていた。スマートフォンで確認すると、時刻は十時ちょっと前だった。 伊月がこれから対峙するのは、依頼者いわく『悪霊に取り憑かれた老人』だった。彼は霊能者を自称しており、霊に関わることなら、悩み事相談や未来へのアドバイス、運気上昇など、便利屋のごとく請け負っている。怨霊調伏も仕事に含まれており、今回受けた依頼は家長に取り憑いた悪霊を祓ってほしいというものだった。
マップサイトを駆使して、自宅にいながら海外旅行気分に浸れ、衛星軌道をたどって遥か彼方の外国を攻撃できるようになっても、霊や念に対する怖れはなくならない。不思議に思う一方で、伊月のように念は実在すると断言できる者にとっては腑に落ちる心理ではある。人は誰でも霊を感じることができる。ただ、それが自覚できないほどの微弱な力なだけだ。
学生時代の友人に頼んでサイトを作り、SNSやブログで地道に宣伝を続けていたら、ぽつりぽつりと依頼が来るようになった。もちろん、すぐに評判になったわけではない。伊月の実力が認められたからこそだ。
最初は、それこそ藁にも縋る思いの依頼人がダメ元で頼んできたケースがほとんどだった。しかし、一件、また一件と仕事をこなしていくうちに、伊月は本物であるとの噂が巷に拡散された。インターネット全盛の時代も、結局のところ一番宣伝になるのは口コミなのだ。もっとも、霊絡みの依頼は月に一~二件で、それだけでは生活できるわけはない。普段は占い師として生計を立てている。考えてみれば綱渡りのような毎日を送っているのだが、今のところは衣食住に不満のない生活が確保されているので、不安になったことはない。まだ二十代だし、転職を考えるのは二進も三進もいかなくなったらでいいと気楽に構えている。
今日の伊月は黒いパーカーに黒いスラックス、そして黒いスニーカーという出で立ちだった。我ながらわざとらしいと思うが、人が得る情報の八割以上が視覚からといわれており、見た目というのは考えている以上に重要になってくる。伊月のように、霊能者などという妖しげな存在であるならば尚のことだ。
家の前に立ち、神経を集中させる。
…今回は、ハズレのケースだな。いや、俺にとってはアタリと言えるか……。
伊月は頭の中でこれからの行動を素早く計算した。ハズレと思ったのは、これだけ近づいても念の類いが一切感じられないからだ。念や霊の類い、とくに依頼者がいうような悪霊が取り憑いているのなら、家の外からでも感じ取れる自信があった。
十時きっかりに門柱に取り付けられたインターフォンを押した。インターフォンの横には黒御影の表札があり、毛筆体で
「はい」
すぐに反応があった。ずっと伊月の来訪を待っていたのだとわかる。まだ老境には入っていない女の声だ。なんとなく癇に障る声音だった。品のなさをゆったりとした口調で隠している。そんな印象を受けた。
「わたし、伊月と申します」
「ああ、お待ちしておりました」
程なくして玄関のドアが開けられた。外で感じたのと変わることなく、屋内に踏み入っても不穏な念は一切感じられなかった。家族で食事をし、風呂に入り、安らかな眠りに就く。互いに笑ったり、泣いたり、時には意見を衝突させたりと、ごく普通の生活を営んでいる家庭としか思えなかった。
迎えてくれたのは、五十代に差し掛かろうという中年女性だった。ドアホン越しに応対したのも、この女性だろう。年齢から鑑みるに、この家の主の娘か。あるいは息子の嫁だろう。たっぷりと脂肪を蓄えた体つきは、日頃からの炊金饌玉と運動不足を物語っていた。
通されたのは応接間だった。会社のオフィスに並べられているようなテーブルとソファが置かれており、七人の人物が一斉に伊月に視線を向けた。興味津々といったものや懐疑的なものが混ざった物言わぬ圧力を感じたが、伊月にしてみれば慣れっこだ。
四人は六十~五十代の壮齢だが、残る三人は伊月と大して変わらなかった。正治の孫であろう青年が窮屈そうに座っている。友松一族勢揃いといったところか。
「これは伊月先生、お待ちしておりました」
この中で、一番年配とおもわれる男性が第一声を発した。彼が正治の長男だろう。それにしても、先生と呼ばれるのは、なんとも面映ゆくていつまで経っても馴染めない。
居心地の悪さを悟られないよう、伊月は敢えて鷹揚に頷いた。霊能者は、神秘的な雰囲気を醸し出して依頼人を圧倒しなくてはならない。
まずは名刺を渡した。社会人の定式である。名前と電話番号、メールアドレス、ホームページが記されているだけの簡素なものだ。白地のみで背景もない。こういうものは、シンプルな方が神秘性を増す。なにか肩書を付けようと思ったが、霊能者とか霊視者とか頂いているのを想像したら、小っ恥ずかしくなったのでやめた。
長男らしき人物も、畏まって名刺を取り出した。伊月の来訪に備えて用意しておいたのだろう。名前は
今回の依頼の内容は、友松家の長である正治が祟られているらしく、日に日に痩せ衰え痴呆も進んでいくので、悪しきものを祓ってほしいというものだった。依頼を受ける際に、単なるアルツハイマーではないかと確認したが、医師からは異常なしと言われたという。泰治が改めて説明を始めた。
内容はメールのやり取りとほぼ一緒だった。伊月は敢えて病気の話は蒸し返さなかった。やっぱりもう一度病院で診察してもらいますなどと言い出したら、伊月の取り分がなくなってしまう。
文章では簡潔さを重視して省略した部分もあるらしい。実際に口上で説明されると、途中には店子とか土地とかの単語がぽろぽろとこぼれ漏れた。どうやら正治の健康の心配よりも、残される遺産の方を気にしているらしいことが透けて見えた。穏やかな表情を貼りつけながら、遺産相続で水面下の争いが展開されているようだ。このまま正治に死なれたり惚けたりされたら困るのだろう。伊月にとってはどうでもよいことだ。
「それでは、ご主人と会わせて頂けますか」
説明に区切りが付いたのを見計らって、伊月が申し出た。
これまで曖昧な笑顔を滲ませていた一同は、それが合図であったかのように一斉に背筋を伸ばした。
一族に不気味なものを感じながら、伊月は和室に案内された。
襖を開けると、十二畳はあろうかという大きな部屋だった。壁際に仏壇があり、その上には穏やかな笑顔を湛えている女性の顔写真が掛けられていた。今さらながら、正治の妻らしき女性がいないことに気がついた。
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