拾弐ノ肴:幽霊
「年甲斐もなく、わくわくしちまうね」
普段より僅かに喧騒が穏やかな大衆酒場で、蝋燭に照らされた二人のサラリーマンが、揺蕩う灯を眺めながら話していた。
二人の間には常温の徳利と、透き通った液体に満たされたお猪口が2つ。
肴は缶詰された鰻のかば焼きと塩辛である。
「同感だよ」
首から懐中電灯をぶら下げた給仕が、躓かないよういつもより幾ばくか慎重に机の間を縫っていた。
先刻。
突然に夜が明けたのかと見まがうほどの光と、空を引き裂くような轟音の刹那、店が暗闇に包まれた。
どこぞ近所に雷でも落ちたのだろう。
店どころか、周囲一帯の灯という灯が消えていた。
そんな中、帰るでもなく変わらずにやり続けるのが、酒呑みという輩である。
「子供の時分は暗闇が怖かったもんだが、いつの間にか妙に落ち着く様になったもんだ」
「幽霊でも出やしないかと、灯を消さないよう親にねだった記憶があるよ」
「お前さんでも、幽霊に怯えたりしたのか」
「そりゃ、昔は十二分に怖かったさ」
「想像もつかんな」
男は笑うと、ぬるい日本酒をちゅっと啜った。
「しかし、実際のところいるもんかね」
「いるって、まさか幽霊かい?」
「そうさ。テレビじゃ心霊写真だの動く掛け軸だの、しょっちゅうやっているから気になった次第さ」
「到底、いるとは思えないね」
塩辛をつまみながらあっさりと返す男に、負けじと反論する。
「しかし、死んだ後のことなんかわかったもんじゃないだろう。強い怨みを抱きながら逝った奴が、化けて出ないとも限らない」
「気持ちのいい話ではないんだが」
揺らめく火に照らされた顔に、茶化すような様子は一切なかった。
「戦時中、ここら一帯は空襲でほとんど焼け野原になった。もっと昔には合戦で大勢が殺し合ったし、飢饉で食えずに死んだ人も数知れないはずだ。恨んだら化けて出る、っていうなら、もっとあちこちでしょっちゅう目撃されているさ」
「それは......確かに」
一旦は納得しかけたものの、一献傾けるとすぐに何やら思いついたようだった。
「『似た境遇を持ったやつの前にしか出られない』なんてのはどうだ。現代じゃ空襲や飢饉を経験したものもいない」
「面白い発想だけれどね。それだと、他人に殺された幽霊は化けて出られないよ」
「難しいな」
「無理に、幽霊を肯定する条件を探すこともないだろうに」
「しかし、これだけ話題になるんだ。何某か、実例があるんじゃないかと思ってね」
それを聞き、男はお猪口の酒を一息に舐めた。
「僕は、幽霊は存在しない方がいいと思っているよ」
「珍しく、主観的な意見じゃないか」
「死んでもどこかに縛られるなんて、随分と気の毒じゃないか。どこかはわからんが、それなりの場所に漏れなく行けたほうが、自然だと僕は思うね」
「幽霊の存在がどうのというより、死者に対してそうあるべきだという話か」
「そうあるべきというか、そうあってほしいという願いかもしれない。死後が苦しくっちゃ、目も当てられないだろう」
面白半分に話題を振った男は、少し反省した様子で口を開いた。
「軽率だったよ」
「いや、そこまでじゃないさ。単に僕がそう思っているだけで、幽霊の存在について議論することを悪いと思ったり咎める気はないよ」
気を取り直すように鰻を口に運ぶと、次いで酒を喉へと流し込んだ。
「それに、やっぱり幽霊は考えにくい。心霊写真だのに写り込む幽霊は、精々が着物姿くらいまでだろう?原始時代にマンモスの牙で死んだ、皮の腰巻をした幽霊が出ないのはおかしな話だ」
「ふ」
その様子を想像したのか、聞いていた男は笑ってしまっていた。
酔っぱらい達はその先もしばらく話を続けたが、内容はころころと移り変わっていった。
意味のある話をしたいのではない。
こうした会話が、いい肴のひとつなのだ。
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