拾壱ノ肴:時間

「先日読んだSFについて、お前さんの意見を聞きたくてね」


賑やかな大衆酒場で、止めどなく呑み続ける二人のサラリーマンが、時間も忘れて話していた。

二人の間には汗をかいた茶色いビンと、金色の液体に満たされたグラスが2つ。

肴は鰆の西京焼きとらっきょうである。


「SFは君の方が得意だろうに、可能な限り考えてはみるが」

「銀行強盗で一攫千金を狙う、って話なんだが、方法が面白くってね」

「普通に押し入ったんじゃ、まず逃げおおせるのは無理だろう。どんな方法だったんだい?」

「時間を止めたのさ」


それを聞いた男は、鰆に伸ばした箸を一時止めて、怪訝な目を向けた。


「それはまた随分と......大胆な犯行に思えるよ」

「時間を止められるようになった経緯も楽しめるんだが、まぁ細かいのはこの際いいさ。俺が気になったのは、実際に時間を止めたら強盗は成功するか、という事だ」

「ちなみにだけど、その小説では成功したのかい?」

「言っちまっていいのか?種明しになっちまうが」

「恐らくだけどその小説、僕は読まないだろうからね」

「そいつは残念だ。しかしなら言わせてもらうが、五分、ってところだな」

「随分半端じゃないか。金は手に入らなかったが、逃げ切ったとかそんな落としどころかい」


物語の帰結について、らっきょうをじゃくじゃく噛みながら答えた。


「逆だよ。金は手に入った。でも時間を止める装置が壊れたんだ。強盗犯たちは止まった時間の中に取り残されて、手に入れた金も使えず終わりさ」

「展開も展開なら、終わり方も大胆だったんだね......。随分と話をそらしてしまったが、時間を止めての強盗が成功するか、という話だったかな」

「そうさ。小説じゃいいところで失敗したが、あの災難がなければどうなっていたかと思ってね」


そこまで聞くと、男は目を細めながらグラスを傾ける。


「まず、『時間が止まる』ってのはどんな塩梅なんだい」

「人も物も、ぴたりと動かなくなるのさ。バッターが打ったホームランも、落ちずに空中で静止しているって具合さ」

「それ、金も止まっているんだろう?持ち運べるのかい」

「止まった時間の中で動ける連中が触ったものは、触っている間だけ移動できるんだ。さっきの野球ボールも、もし触れるのなら軌道を変えたりできる。その代わり、手を離すとまた止まるがね」


さらなる条件を聞き、男はらっきょうを輪切りの唐辛子とともに口に入れ、丁寧に咀嚼しながら思案に耽る。

それを邪魔しないよう、対面の男はビールを呑みながら静かに待っていた。


「この問題だが」


口を開いた男を見て、待ってましたとばかりに向かいのグラスに瓶を傾ける。

注がれたビールを軽く口に含みつつ、男は確認した。


「どこまで真面目に考えるか、によって大きく変わりそうだよ」

「真面目っていうと、どういった部分だい」

「科学的というか、物理的な部分だね。ありていに言えば、『夢のない話』をするかどうかだ」

「なるほど。正直、夢のない話も聞きたいが、あまりにもばっさりやられると寂しい。まずは手心を加えてもらって、最終的には現実的な見解を聞こうじゃないか」

「いいだろう」


再びビールで唇を湿らすと、男は話し出す。


「まずはいつものだが、僕は専門家じゃない」

「わかってるとも、科学的にそうなるかは、確かじゃないっていうんだろう」

「さすがに余計な注釈だったかな」

「構わんよ。お前さんがそう言って語りだすのは、嫌いじゃない」

「なら始めよう。まずはそのSFに寄り添った話だ。災難に見舞われず、時間の停止を最後まで理想通り操作できた場合」

「いいね」

「これは警察側がどれだけ『犯行に時間の停止が使われた』ということに対して柔軟に対応できるかにもよるだろうけど、成功は運しだいだと思う」


その結論を聞いた男は、意外そうな顔をしてビールを半分ほど呑んだ。


「失敗の可能性が随分高いってことかい?てっきり、十中八九は成功すると踏んでいたんだがね」

「問題は、監視カメラだと考えたんだ」

「止まっているんだから、何も映らないだろう」

「いや、そうとも限らない。動画っていうのは、極端に言うと連続で写真を撮っているようなものだ。もし時間を止めたのが、シャッターを切ったのと同じ瞬間だったらどうなると思う?」

「悪いが、想像もつかないよ。一体どうなるっていうんだ」

「写真を撮る時、露出時間を延ばすっていう手法がある」

「あの、光が線になるあれかい」

「その通り。あれに近い状態になると思うんだ」


そこまで言うと、ビールを呑んで一息入れた。


「実際には動画の中の、ほんの一瞬だけどね。その一瞬に、犯行のすべてが線になって記録されるわけさ」

「それで特定されるってことかい!?」

「さっきも言ったが、警察次第だよ。『時間が止まる』というのが当たり前に考えられる世界なら、そうした捜査もするかと思ってね。ただ、もし現実の警察ならそんなことは考えないから、仮に一瞬犯人の線が見えたとしても、機材の故障かなんかだと思って特定には至らないだろうね」

「すると、運というよりかは世界観によるわけか」

「もちろん、運も多分に絡むよ。さっきも言ったが、動画は連続写真のようなものだからね。シャッターとシャッターの間に時間を止めていたら、そもそも線すら映らないだろうさ。だからどちらかと言えば君の言う通り、十中八九は成功するんじゃないかな」


その回答に満足したのか、話題を振った男は鰆をつまみながらビールを煽った。


「これが、手心を貰った場合の話だろう?本気で考えた場合、どうなるっていうんだい」

「恐らくだが、時間を止めた連中は死ぬんじゃないかな」


突然の展開に、男はビールを吹き出しそうになるのをこらえた。


「おいおい、突拍子もないじゃないか」

「そもそも、『時間を止める』っていうのが突拍子もない話なんだ」

「まぁ、それもそうだが......。とりあえず説明してくれよ」

「君が説明してくれた、『力を加えれば動くけど、それ以外は止まったまま』という設定に注目したんだ」

「そこに、どんな問題があるんだ?」

「分子運動だよ」

「科学や物理の話と聞いていたからある程度覚悟はしていたが、難しくなりそうだな」


気合を入れるように、あるいは覚悟を決めたかのように、男はグラスを干した。


「君の話だと、例えば滝の水はその場に留まるわけだよな」

「そういうことになる」

「そうなると、水道水やら飲み水も止まるはずだ」

「しかし、強盗が動かせば水も一緒に動くはずだろう」

「それは、あくまでも力を加えたものに限るんじゃないかな。例えば蛇口は力を加えれば捻ることができる。でも水道管の水は止まっているから、蛇口から水は流れてこない」

「ん......」

「ビールが入ったこのグラスにしたって、口に持ってくることはできる。でも中のビールは止まっているわけだから、口に流れ込んでこないんだ」

「想像すると、なんとも悲しい光景だな」


男はまるでそうなっていないか確かめるように、瓶からグラスに滴るビールを眺めた後、グラスを傾けて液体が流れ込んでくるのを楽しんだ。


「ちなみに、ガスなんかも同じだろうね。コンロのつまみは回せるけど、ガス管のガスは止まっているから火がつかない」

「しかし、それは銀行強盗とはあまり関係ないだろう。事に当たる前に、しっかりと飯を食って水分も摂っておけばいい」

「そうもいかない」


まるで実際に悪だくみをしているかのように、意地悪な笑みを浮かべて男は続けた。


「さっきも言ったが、分子運動も止まるはずなんだ」

「止まると、どうなるんだ?」

「例えば厨房で、鍋に入った水が沸騰していたとする。これは通常お湯と呼ばれる状態だが、時間が止まって分子運動が止まると、氷と同じ状態になるわけだ」

「見た目は熱湯だが、触ると冷たいっていうのか」

「そうなるね。そしてこれは、なにもお湯に限ったことじゃない」

「他に、何が問題になるっていうのさ」

「気温、だよ」


男は状況が呑み込めない、といった様子で、鰆に伸ばしかけた箸を止めた。


「気温も、分子運動なんだ。大気中の窒素やらが太陽なんかの光を受けて震えると、温かくなる」

「おいおい、まさか......」

「そのまさかさ。お湯の時と同じように、時間が止まった瞬間、極寒になるだろうさ。具体的に何度になるとか、詳しい話は流石に想像できないがね」

「聞く限り、雪山だとか雪国だとか、そんな甘っちょろい気温ではなさそうだな」

「そうなるだろうね。似た理由で防寒はほとんど意味ないだろうし、水道やガスと同じく暖房も効かないだろう」

「それで、みんな死んじまうってわけか」

「仮に気温をなんとかできたとしても、酸素なんかの問題もある。吸って吐いた息はその場に留まるから、同じ場所にいるとすぐに酸欠になるだろうね」


それを聞いた男は、あきらめたように伸ばしかけていた箸で鰆を摘まみ、口に放り込んだ。


「確かに夢のない話になったが、面白い見解だったよ。SFってのは、色々と妥協した土台の上に成り立っていたんだな」

「物語を面白おかしく描くには、そうする他ないんだろうさ。あんまり真剣に考えていたんじゃ、現実と変わらなくなっちまうからね」

「サイエンス・フィクション、とはよく言ったものだよ」


そう言ってグラスを干した男は、しばしの間を置いた後、少し前のめりになって口を開いた。


「殺人犯が透明人間だった、ってのがあるんだが......」

「まずは、透明の度合いや条件だろうね......」


酔っぱらい達はその先もしばらく話を続けたが、内容はころころと移り変わっていった。

意味のある話をしたいのではない。

こうした会話が、いい肴のひとつなのだ。

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