第8話 それぞれの生き方

 噴水広場を少し西に行くと、宿屋街が現れる。

 ほとんどの宿屋には酒場が併設されているため、基本的に子供だけで入ることはできない。

 しかし、アイザックだけは特別だった。

 彼は宿屋の息子として生まれ、幼い頃から街の人々に可愛がられて育った。

 生まれた時から口がきけなかったが、いつも美味しそうにご飯を食べるので、皆から試作メニューをよく食べさせてもらっていた。

 アイザック自身も料理人を志しており、宿屋の経営は将来の妻に任せ、自らはシェフとして裏方に回ろうと考えているそうだ。


 アイザックに案内され、カレンたちは「座して待つ天空亭」へとやってきた。

 扉を開くと、来客を知らせるベルが鳴る。

 奥からはじゅうじゅうと肉を焼く音が聞こえ、焼き立ての小麦の香ばしい香りが店内を漂っていた。

 店内は未だに多くの客で賑わっていたが、ピークは過ぎたためか、いくつのか席は空いていた。

 

 子供が入ってきたことに気付いた大人たちがこちらを見るが、アイザックだと分かるとすぐに会話に戻った。


「おお、アイザックじゃないか!」


 カウンターの奥から陽気な声が響く。

 タンクトップにビール腹の目立つ、ふくよかな男――彼がきっとこの店の店主なのだろう。


「今日は友達を連れてきたんだな」


 アイザックは親指を立て、満面の笑みで頷く。


「待ってな、新しいメニューを試作中でな。特別にそれ出してやるよ!」


 そう言うと、店主は厨房へと姿を消した。


 カレンたちは適当なテーブルを見つけ、席に着く。

 アイザックとフィオナは奥の席へ、カレンとルカは手前の席に座った。

 

「アイザックって、色々なお店を知ってて素敵!」


 フィオナがアイザックに勢い良く抱きついた。

 アイザックは照れつつも、そっとフィオナを抱きしめ返した。


「確かに、こういう面白そうなお店を知っているのは、同じ男としてちょっと憧れるかも」


 ルカは二人の様子を苦笑交じりに眺める。


「『座して待つ天空亭』って、すごい名前だものね」


 カレンがふと呟いた。


「確かに。どんな意味を込めたんだろう」


 ルカも興味深そうに首を傾けた。


「アイザックが前に教えてくれたんだけど、どんなに遠い場所でも皆が食べに来るお店を目指して、そう名付けたんだって」


 フィオナはアイザックの肩にもたれ、甘えるように腕に抱きつきながら答えた。

 その言葉を聞いて、カレンはなるほどと、納得する。


 そんな話をしていると、店主が料理を運んできた。

 大皿の上に、カリカリに焼かれた肉と新鮮なトマトやレタスにタレをかけ、薄く焼いた小麦の生地で包んだ食べ物が人数分乗っている。


 「お待ちどうさま! これが試作メニュー『天女の抱擁』だ!」


 店主は皿をテーブルに並べ終えると、自信満々に胸を張る。


「うわっ、すっごく美味しそうな香り!」


 カレンは思わず身を乗り出し、ゴクリとツバを飲み込む。


「僕も待ちきれないよ。さあ、手を合わせようか」


 ルカが音頭を取ると、皆が一斉に手を合わせる。


「「「いただきます!」」」


 合図とともに、カレンは手に取ったそれを大きく口を開けて頬張った。

 噛んだ瞬間、ジュワッと肉の旨味が口の中いっぱいに広がり、スパイスの効いたタレが舌をピリッと刺激する。

 みずみずしさ野菜の風味が、肉の油と絡み合い、程良く調和していた。


「これ、最高!」

 

 カレンは頬張りながら、うんうんと頷いた。

 空腹なのも相まって、カレンは食べる勢いが止まらない。


「気に入ってくれたかい、お嬢ちゃん」


 店主は満足げに腕を組んで笑った。


「このタレはキョウアンの都でよく食べられている食べ物を参考に作ったんだ」


「へぇー。都会の人はこういうものを食べてるんだ」


 カレンは見たことのないキョウアンの都を思い浮かべながら、料理をじっくりと味わう。

 赤い空に活気づく大通り。

 色鮮やかな料理が屋台に並び、香辛料の匂いが混ざり合う……。

 そんな情景に心を躍らせていた。


「流石に、上流階級の人たちは庶民の料理だから食べないけどね」


「えぇ、どうしてですか? こんなに美味しいのに」


ルカが驚き、尋ねる。


「貴族は上品な味や珍しい食材を好むからな。それに、安い料理を食べると仲間から品位が無いと思われるらしい」


「ふぅん……」


 カレンは呆れるように眉を寄せた。

 こんなに美味しい食べ物をだなんて、なんだかもったいない気がした。


「美味しいものに貴族も庶民も関係ないのにね」


 フィオナがぽつりと呟くと、アイザックがニコッと笑う。

 それを見て、カレンやルカも笑顔になった。

 店主は膝を叩き、大きく頷く。


「そうそう、美味いもんは美味い。それが一番大事だ!」


 食べ終えた後も、カレンたちは講習の時間まで、しばらく談笑しながらくつろいだ。

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