第6話

 読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋、行楽の秋。


 ほどよい気温と時期のせいかとにかく秋は行事が多い。


 それに加えて文化祭も控えるイベント盛りだくさんの隙間を縫うように毎年行われるのが秋の消防訓練だ。


 なんでも二十年くらい前に大きな火事があったとかで、うちの学校では防災訓練に加えて消防訓練にも力を入れていて、近くの消防署から消防隊員が四名ほど派遣されて火災を発見した時の初期対応や実際に消火器を使った消化訓練などが行われる。


 去年と一昨年は体育担当の先生が率先して訓練活動に参加していたのだが、その人は今年の春に転勤になり白羽の矢が立ったのがシンプルに身体のデカイ俺。


 消火器を持って走らされたり、消火栓にホースをつないで放水したり、その後の片づけや諸々手伝わされた。


 そんなこんなで疲労困憊の俺は今日も今日とて屋上で風に当たりながらたばこをくわえる。


「ぜったい明日は筋肉痛だ」


 固くなった肩を押さえながら次の日の心配をしている背後でドアがコンコンとノックされた。


 いつもはノックもなしに雑に入ってくるけど、この時間に屋上に来るのはあいつしかいない。


「生徒は立ち入り禁止だぞ」


 俺の言葉にドアは途中で一度開くのが止まり、恐る恐るといった感じで姿を現したのは。


「お疲れ様です」


 いつもの紙飛行機娘ではなく、養護教諭の鳴海先生だ。


 俺は慌てて咥えてたたばこを手に持ち背後に隠す。


「隠さなくていいですよ。べつに責めたりしませんよ」


 白のシャツに薄手のカーディガンを羽織った鳴海先生は手を口元に当てて笑う。


「でも学校の敷地内は禁煙ですし、鳴海先生は養護教諭ですよね。そういうルールに一番厳しいというか、なんというか」


「ルールを守るのはもちろん大事ですけど、そのルールが出来た背景を理解して、問題にならない範囲なら破って良いと思いますよ。学校内での喫煙は主に未成年の受動喫煙を誘発することを避けるためですし。放課後の屋上はその限りではないと私は思います。もちろん絶対に破ってはいけないルールはありますけどね」


 鳴海先生はスクールカウンセラーとして働いていた経験もあり、年齢は俺の一つ上。


 落ち着いた茶色のミディアムヘアはゆるく巻かれており、たれ目気味のくりっとした目とその大人かわいさから生徒はもちろん教師からも人気は高く、ちょっと前まで面食いの中山が狙っていたほどの美女だ。


「それじゃ、お言葉に甘えて――」


 俺は煙が鳴海先生の方に行かないように風を読みながら息を吐くも、なんだか気まずくなってタバコを消して携帯灰皿にしまう。


「最近、橋本先生が放課後に職員室に居ないから、どこに行ってるんだろうと思ったら屋上で一服していたんですね」


 たばこを吸ってるところ生徒に写真を撮られて、それをネタにゆすられて屋上で紙飛行機を投げまくることを黙認していますとは口が裂けても言えない。


「まぁ、そんなとこです。鳴海先生はどうして屋上に?」


「今日の消防訓練で孤軍奮闘していた橋本先生を労おうかと」


 鳴海先生は後手に隠していたペットボトルを差し出してきた。


 ラベルには経口補水液と書かれている。


「熱中症って夏はみんな警戒して意識的にたくさんお水飲んだり、日陰に入ったりするんですけど、意外に秋口でも発症する人が多いんですよ」


 人差し指を立てて注意する姿も可愛い。


 健康な男子生徒が体調不良を装って保健室にやって来るというのも頷ける。


 俺が高校の時なら今ので間違いなく惚れてた。


「ですから少し涼しくなったこの季節でも身体を動かした後は水分補給忘れないでくださいね」


「気にかけていただいてありがとうございます」


「どういたしまして」


 お上品な笑顔で軽く頭を下げる鳴海先生。


 きっと、スカートの裾を摘まんでお辞儀とかしても様になるなこの人は。


「あ、これなんですか?」


 お嬢様の気を引いたのはドアノブに引っ掛けられていた屋上のジェントルマンもとい晴男。


 あ、回収するの忘れてた。


「これ、橋本先生が作ったんですか?」


「いや、それを作ったのは俺じゃな――」


 言いかけて言葉を飲み込む。


 屋上にてるてる坊主がつけられていたとして、それが俺じゃないとして、他の誰かだとすれば、誰になるというのだ。


「お、俺です。製作者は俺です」


「へぇ、橋本先生可愛いとこあるんですね。雨が降ってたら屋上でタバコ吸えませんもんね。ポイント高いですよ、そういうところ」


「そうなんですよ、可愛いとこあるんですよ意外に。あはは」


 とりあえず笑っておきながら今日は絶対に回収するぞと肝に銘じておく。


 変なところから俺と日花里の関係が漏れて欲しくもないし。


「最近、橋本先生の顔色よくなりましたよね」


「え、そうですか」


「夏休みにお会いした時は色々と思い詰めてる表情をしてらしたので。大丈夫かなって心配してたんですよ。いつも大きなため息をついてましたし、ぼーっと遠くを眺めてる時間も長かったように思います」


「そうでしたね。なんとなく疲れてた自覚あります」


「養護教諭をしていると体調が悪い人や精神的に落ち込んでいる人と関わることがほとんどなんで、そういう人を見る目は養われてるんです」


 なるほど、俺が授業中にスマホをいじってる生徒を見つける目が肥えてるのと同じか。


「何度か声掛けしたんですけど、橋本先生は大丈夫ですってすぐに逃げられちゃったので」


 あぁ、そんなこともあったような、なかったような。


 成績の付け方に納得がいかないとかいう生徒の両親を前に延々と理由を説明したあの頃のことを思い出す。


 相対評価じゃなくて絶対評価なら何人に10をつけても問題ないだろとか、生徒の進学に有利に働くように甘く成績をつけるべきだとか。違うクラスの誰々はこうなのにうちの息子はなぜみたいな。


 今、思い出しただけでも虫唾が走る。


「その節はどうもすいません」


「いやいや、謝らないでください。でも本当に良かったです。最近は身体や心を壊して休職する教師も増えてますし。スクールカウンセラーが必要なのは生徒だけじゃないんですよね」


 鳴海先生は俺の隣に並んで遠くに臨む山々を見る。


 正面から見てもきれいな顔立ちだが、横顔もまたお美しい。


 屋上に絶え間なく吹く風が紙飛行機娘とは違う大人の香りを運んでくる。


 それは決して強い香水の香りではなく、おそらく女性もののハンドクリームとかボディクリームの少し甘い落ち着いたものだ。


「橋本先生、この後お時間ありますか」


「3クラス分のノート提出があったんで、それの確認が残ってまして」


「……」


 え、何?


 鳴海先生は黙ったままである。


「あの、どうしても急ぎの用なら時間つくれますけど」


「いえ、急ぎの用っていうほどでもないので、またの機会にします」


「そうですか」


「……橋本先生って鈍感とか、って言われないですか」


 鳴海先生は俺の方を見てジトっとした視線を向けてくる。


「……いや、とくには」


「もし今日の訓練で教頭がこき使われてたとしても、わざわざ屋上まで飲み物を持って捜しに来ませんし、気にもとめません」


「まぁ、教頭って嫌われてますしね。責任転嫁の鬼って感じですし」


「そういうんじゃないんですけどね」


 なんか機嫌損ねたみたいなんだが。謎なんだが。


「じゃ、一服のお邪魔になるので、あたしは失礼しますね」


「べつに邪魔ってわけじゃ――」


「失礼します」


 おしとやかにお辞儀をして去っていく鳴海先生。


 丁寧だとか親切だとかお上品だとかそういう良い言葉の詰め合わせみたいな鳴海先生の爪の垢を煎じて、どこかの紙飛行機娘にでも飲んで欲しいものだ。


 しみじみそんなことを思いながら火のついてないたばこをくわえる。


 けど、なんで急に機嫌を損ねた感じになったのやら。


 山の天気と女心は変わりやすいみたいな話か。


「先生も隅に置けないですねっ」


「う、うわぁ!? いつの間に」


 突然現れた日花里につい大きな声をあげてしまう。


「ずっとそっちの貯水タンクの陰にいましたよ」


「バカ、いるならいるって言えよ」


「いや、あたしが出て行ったらまずいでしょ」


「た、たしかに」


「それになんか良いムードでしたし」


「なにが良いムードだ。社会人同士の社交辞令込みの普通のやり取りだよ。なんでもかんでも運命とか赤い糸とか言うJKと一緒にすんな」


 俺はプルタブを引いてコーヒーに口をつける。


「さっきの保健室の鳴海先生ですよね?」


「そうだけど」


「普通のやり取りには見えなかったですけどね、なんか橋本先生のこと気にしてる感じでしたよ」


 今度は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。


「ちょ、なんだよ。変なこと言うなよ」


「え、もしかして気付いてないんですか」


「何に」


「あれは好きな男の前の女の顔ですよ。好きな男の前の女の顔」


「適当なこと言うな。あと二回言うな」


「わたし洞察力だけには自信あるんです。それによく聞こえなかったですけど、先生を誘ってませんでしたか?」


「誘ってなんかなかった。このあと時間があるか聞かれただけだ」


「えええええ!? で、なんて答えたんですか」


 こいつは何にテンション上がってんだ。


「ノートチェックあるから時間ないって」


「え、引くんですけど」


「勝手に引いてろ。未成年は大人の話に首突っ込まないで、おとなしく紙飛行機でも投げとけ」


「言われなくても投げますよ。ってか未成年扱いしないでください」


「未成年だろ普通に」


「未成年ですけどっ」


 ぷいと顔を逸らして貯水タンクの方に置かれてるカバンを漁って紙飛行機を一機取り出した。


 本日の紙飛行機はいつもよりデカい。縦長のジャンボジェットみたいなカタチで、翼と機体のバランスがいい感じ。


 ゼロファイターほどでないにしろなんだか飛びそうな感じ。


「いけっ、橙色の空はお前のものだっ!!」


 聞きなれない掛け声とともに投げられた紙飛行機はゆるやかな放物線を描きいつもより少し長いフライト時間で地面に着陸。


 投げたというよりしっかりと翼で風を掴んだ飛行だった。


 日花里はそれを拾い上げてこちらを見る。


「いや、ドヤ顔でこっち見るなよ」


「べつに、ドヤ顔なんかしてませんけど」


 めちゃめちゃドヤ顔だ。


 鼻ちょっと膨らんでるし。


「いつも変な紙飛行機ばかり投げてると思わないでくださいね。ちゃんと飛ぶのも作れますよって顔に書いてあるぞ」


「そんな長い文章書けるほど顔大きくないです。先生デリカシーないですね」


 唇を尖らせる日花里。


 減らず口とはこいつのことだな。次に広辞苑が改定されるならぜひ減らず口の例にこいつを載せてほしい。


 それからいつも通り紙飛行機を投げては拾うを繰り返す日花里。


 そのうちの一投が俺の足元に落ちてきた。


 俺はそれを拾って渡すついでに一つ冗談まじりで質問をしてみる。


「そういえば屋上の鍵、どこで手に入れたんだ」


「あぁ、あれですか拾ったんです。学校の駐車場で」


 受け取った紙飛行機に折り目をつけながらあっさりと答える日花里に思わず声が出る。


「え」


「なんですか」


「いや、かまかけて聞いてみたら、存外にあっさり答えてくれたから驚いた」


「そりゃ聞かれたら答えますよ。知ってることは」


「そういうもんか」


「そういうもんですよ」


「じゃあ、もう一つ聞くけどなんで屋上の鍵だってわかったんだ」


 言って日花里はスカートのポケットからカギを取り出した。


 その鍵は俺が持っているものよりも明らかに古く、持ち手部分に少し錆びもついている。


「簡単なことです。この鍵と教室の鍵の違いに気付かないですか」


「あぁ、たしかに。教室のは長細いけど、これは短い」


「学校のドアってほとんどが同じ形ですよね? つまりこの鍵は一般教室のドアのものでない可能性が高いということがわかります」


 なんかこいつ妙に聡い。


 あ、そうかこいつ勉強はそこそこ出来るんだった。


「それにこの鍵、結構錆びてますよね。普段からよく使われる体育館とかの鍵だとこんな風に錆びないし、錆びたとしたら新しいものに交換されたりすると思うんです。でもこれはそうじゃない」


「ということは、一般教室でなくて、特別な場所で且つ普段あまり使われない場所の鍵」


「そういうことです。まぁあとは適当に鍵を差して確認するつもりでしたけど、屋上から始めたのでいきなり大当たりでした」


 なるほど。


 中山のやつが鍵を作り直して学校に帰ってきて古い鍵を一本だけ落として、それを日花里が拾ってどこの鍵かを探し出したということか。


「屋上の鍵の入手経路はわかったけど、どうして屋上で紙飛行機を投げように繋がってくるんだ?」


「……確認したいことがあるからですかね」


「確認したいことって?」


「それ以上は教えません」


「聞いたらなんでも答えるんじゃないのかよ」


「人をSiriみたいに言わないでくださいよ」


「さっきお前が答えるって――」


「それに先生とあたしの関係はまだ子供用のプールの水くらい浅いのでっ」


「ったく、なんだよ」


 あ、でもこの前は潮干狩りできるくらいって言ってたから少しは深まったってことか?


「今日はここまでです」


 逃げるようにその場を去ろうとする日花里の背中に俺は慌てて声をかける。


 これだけは言っておかないと。


「日花里ちょっと待て」


「なんですか」


「屋上は生徒立ち入り禁止だ」


 日花里は振り返るとなんとも言えない顔でこっちを見ている。


「なんだその顔は」


「頑固な男に呆れてる女の顔です。これは頑固な男に呆れてる女の顔です」


 腹立つ顔するな。あと、二回言うなバカ。

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