第5話
朝から降り始めた雨は放課後になっても粘り強く地面を叩いていた。
雨でグラウンドが使えなくなって嬉しそうな顔で教室を後にする坊主頭たちを見ながら、逆行するように階段を上がり今日も屋上に続く十二段を上がる。
訪れる者の出入りを拒むような回りにくい鍵を開けて屋上に出ると、いくつもの大きな水たまりが出来ていてそこにぽつぽつと波紋が出来ては消えるを繰り返していた。
さすがの紙飛行機娘も今日は来ないだろうと油断したのその時。
視線の端に傘の花が咲いてるのが見えた。
「あ、どうも♡」
教師と生徒にしてはフランク過ぎる挨拶。
傘の角度を少し変えて顔を覗かせたのはショートカットのおもしれえ女こと日花里。
器用にみずたまりをぴょんぴょんと避けながら雨よけの下にいる俺のとこまでやって来た。
「屋上は生徒立ち入り禁止だ」
俺の言葉に日花里は眉を八の字にして。
「先生それ、毎回言わないとダメですか?」
「これを言っておかないと俺の気がすまないんだよ」
「やっぱり先生って頑固ですね。がんこなのはお寿司だけにしてほしいものです」
全く面白くもないことを言う日花里に冷たい視線を送るも意に介さずといった様子でビニール傘を畳みながら憎らしそうに灰色の空を見上げる。
「いやぁ、あいにくの雨ですね。空が泣いてるぜっ」
「なんだよそれ。中二病か。ちなみに天気予報では夜までずっと降るらしいぞ」
「みたいですね。あたし雨は嫌いです」
「俺は雨嫌いじゃないけどな」
職員室で残ってテストの採点するときとか無音よりも雨の音があるくらいが却って集中できたりするし、休日なら家でゴロゴロするのに罪悪感を感じないで済むし。
最近は雨の音のBGMなんてのもあるけど、なんかそれは違うんだよなぁ。
「なんですかそれ、雨が嫌いじゃない俺かっけーですか。異端児で麒麟児な俺ですかー」
小さい肘でおれを小突いてくる日花里。
「お前さ」
「おまえ?」
「……日花里って、俺のこと舐めてるよな」
「舐めてませんよ、ちゃんと生徒と教師の一線を引いて接してますよ。もし舐められてると感じてるなら、それは先生が自意識過剰なのか先生の前世がキャンディかのどちらかですね」
「次から次へとよくしゃべる奴だ」
「ありがとうございます」
「褒めてねぇよ。で、どうする今日は帰るか」
「止むかもしれないですし少し粘ってみます」
「さっき言っただろ天気予報では午後の降水確率は80%らしいぞ」
「大丈夫です。わたしには秘密兵器がありますからっ」
言ってカバンから取り出されたのは。
「じゃーん、てるてる坊主の晴男くんですっ」
ティッシュで作られたと思われるそれは、ご丁寧に黒い目と赤い頬が描かれていた。
さらに晴男くんの頭の先辺りに輪ゴムが付けられていて、どこにでもひっかけられるようになっている。
「これで完璧です。降水確率に大きなデバフ入りまーす」
晴男くんはドアノブに配置された。
「がっつり降ってる状態で吊るされてもてるてる坊主も荷が重いだろ。死にかけのテトリス渡されるみたいな」
「先生、七夕の短冊もサンタクロースも信じてない口ですね?」
「まぁな大人だし」
ジトーっとした目で俺を見つめるてるてる坊主の製作者。
「な、なんだよ」
「自覚がないみたいですから教えてあげますけど、そういうところですよ」
「どういうところだよ」
「ナチュラルに他人を小馬鹿にしてる感じです」
まぁ、小馬鹿にはしてるけど。
「どうせ、あたしのことも紙飛行機娘だとか心の中で思ってるんでしょ」
はい、思ってます。
「変な奴とかおもしれぇ女とか」
全部当たってやがる。
「じゃあ先生、賭けをしましょう」
「あ?」
「このあと30分で雨が止むかどうかをです」
「あと30分もここにいるの嫌すぎるんだが。で、何を賭けるつもりだよ」
「うーん、そうですねぇ」
口元に手を当てて考える日花里。
「いいの思いつきました!!」
絶対しょうもないやつだろ。
「負けた人が勝った人の言うことを何でも聞く」
「トンデモないな。自分が勝てそうな勝負ならまだしも。こんな賭けカイジでも降りるだろ」
「先生知ってますか?」
「あ?」
「テルテル坊主のルーツです」
「ルーツ? 知らないな」
「江戸時代の中期くらいには記述が残ってるみたいなんです。つまり1700年頃? 300年以上前ですよ? 先生が見てる天気アプリなんてリリースされて十年も経ってないですよね」
「まぁ、そうだろうな」
「十一代、いや十二代続く老舗のうなぎ屋と開店間もないうなぎ屋、先生ならどっちのうな重を食べたいですか」
傘の柄をマイクみたいに向けてくる日花里に答える。
「そりゃ、老舗の」
「ですよねぇ。そういうことでーす」
ウナギならな。
なんか論破したみたいに満足気な表情で日花里は壁にもたれかかるように座ると、カバンからマヨコーンパンを取り出して一口かじる。
「それじゃゲームスタートですっ♡」
ただひたすらに待つという謎のゲームの口火が切られると、日花里はスマホをいじるでもなく、イヤホンで音楽を聴くでもなく、咀嚼だけをして、ぼーっと空を見上げた。
頬に張り付いた黒髪、重力に逆らう長いまつげ、透明感のある白い肌、主張の少ない小さな鼻。
はかなげな美少女とはかくありといった容姿。
そうなのだ、日花里は黙っていればかなりの美少女なのだ。
まぁ、だからといって横領したりどうこうしようって気はないが。
さすがに生徒の横でたばこを吸うわけにはいかないので、缶コーヒーのプルタブを引いて、カフェインを流し込む。
小雨が屋上の地面を叩く音と遠くから聞こえる吹奏楽部の音。
先に沈黙に耐え切れなくなったのは俺の方だった。
「そういえば日花里って、何年か聞いてなかったよな」
俺が話しかけると思ってなかったのか、一拍遅れてから答える。
「言ってなかったでしたっけ? 三年ですよ。LJKです」
「え、えるでぃーけ?」
「部屋の間取りの話じゃないです。LJKはラストJKの略語ですよ。先生そういうの蛙化案件ですよ」
ラスト女子高生がLJKなら高三男子はLDKになるんじゃ。などという屁理屈をぐっと飲みこんで。
「で、そのLJKさんが受験を控えたこの時期に屋上で紙飛行機に夢中になってていいのか。勉強は大丈夫なのか」
「やれやれです。紙ヒコーキを屋上で投げてる生徒が勉強してないって偏見ですか? あたしこう見えて結構成績良いんですよ」
うちの学校は二年から文理に分かれて三年では文系は国立と私立にクラス分けされる。日花里が私立クラスか国立クラスかはわからないけど成績上位となるとなかなかに優秀と言える。
日花里が本当のことを言ってるなら。
「なんか疑ってます? ちょっとパン持っててください」
食べかけのパンを俺に渡すと日花里はカバンを漁り、取り出されたのはA3の一枚の紙。
紙の上部には予備校の名前と全国模試という言葉が並んでいる。
実施された日時は8月21日となっている。
なんか模試の結果用紙ってなんか懐かしいな。
当時の俺の模試の判定欄にはEとかFという結果が並んでて、お前の志望校は巨乳揃いだなとか言ってたくだらない思春期の思い出がよみがえる。
結果、俺は浪人することになったのだが。
それはまた別の話。
さてさて、日花里の判定はいかに――
「え」
希望校の欄には有名国公立や滑り止めと思われる有名私立の名前が並んでおりどれも判定はAカップ、じゃなくてA判定。
「どこも大貧乳じゃねぇか」
「だ、だいひ?」
「あ、こっちの話だ気にするな」
一瞬眉をひそめた日花里だったが。
「どうです? なかなかやるでしょ」
「まぁな」
「え、凄すぎてぐうのねも出ない感じですか」
確かに結果に驚いたけど、それよりこの模試の左上に――
「……あ、返してもらいますね。これ以上は閲覧禁止っ」
日花里は俺の手から模試の結果を奪い取って、雑にカバンに詰め込む。
「あのさ、さっきの模試だけど」
「もう模試の話は終わりです。しつこい男は嫌われますよ?」
「いや、だってさ――」
「ちなみに、先生は勝ったらどんなこと命令するつもりですか」
強引に会話のペースを持って行かれる。
頑固であることと紙飛行機が好きなことがアイデンティティみたいなこいつに何を言っても無駄か。
「俺は特に考えてないけど、そっちは勝った場合なにをさせるつもりだ?」
「先生がどうして先生になったのかを質問します」
「何を今更」
「今更もポテサラもないですよ。単純に興味があるんです」
「たいして面白い話でもないぞ。どこにでもある吹けば飛ぶような」
「今まで先生って面白い話したことありましたっけ?」
コケティッシュな笑みを浮かべる日花里。
完全に舐められている。
俺の前世、キャンディかも。
「それより、先生もうちょっとそっちに詰めてください。濡れちゃいます」
「あ、わるい」
小さい雨よけを分け合う。
「あと20分。今のところは先生の形勢有利ですね。でも一応何を命令するか考えておいた方がいいですよ」
「べつに特にお願いするようなことはないけどなぁ」
言いながら俺は手の中で遊ばしていた鍵に目をやり思い出した。
「あ、そうだ。なぜか屋上の鍵を持ってる生徒に入手経路を尋ねるかな」
「へぇ、ずいぶん小さいお願いですね。なんでもいいって言われたのに」
「別に日花里にしてほしいことなんてないしな」
「なんか失礼なんですけど」
怒りに任せて立ち上がった日花里の脚が俺の目線の高さにくる。思わず視線を逸らす。
「華のJKになんでもしていいって言われたら男の人ってえっちなこととか頭によぎっちゃったりするもんじゃないんですか」
「ちょ、おま――」
「それにあたしに出来ることなんてたかが知れてるみたいな。JKなんて所詮みたいな考えが透けて見えるというか」
「じゃあ、金をくれ」
「それは出来ませんけどもっ」
「だろ?」
「でも、なんかムカつきます」
「じゃあ、さっきの入手経路を訊くでいいだろ」
「じゃあ、それでいいですけど。面白い話なんてないですよ」
「日花里が俺に面白い話をしたことあったか?」
「結構してると思いますけど?」
日花里はパンとともに不満をかみ殺すように残りのパンを口に放り込んだ。
機嫌を損ねた女と軽い突き指はそっとしておいた方が良いと父の教えにならってだんまりを決め込むと、雨音の隙間から救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
少し先の大学病院への搬送だろう。
一日に多いときで十回以上、少なくとも数回は聞く救急車のサイレン。
症状の大小はあれど、どこかの誰かの日常が非日常に変わる瞬間がそこにあって、今回はたまたま自分が選ばれなかっただけ。
当たり前のように起きて、出勤して、授業をして、飯を食って、コーヒーを飲みながら屋上でボーっとする。
おそらく一生のうちにもう二度と思い返されることのない一日。これだけでも幸せなことなのだ。
緊急を知らせる電子音を鳴らしながら走る救急車を見るたびにそんなことを思うのは考えすぎなのだろうか。
腹が痛くなった時、風邪をひいて唾を飲み込むだけで喉が痛い時に日常の有難さに気付くみたいな。
こんなことを考えたり思ったりする時点で俺も若くないな。
残ったコーヒーを一気に流し込んで、視線を隣に向けると。
「こいつ、寝てやがる」
スクールバッグに顔を埋めるようにして小さな寝息を立てる。
一瞬起こそうと伸ばした手を触れる直前で止める。
高三の秋、受験生にとって大切な時期に屋上で紙飛行機を飛ばしたり、わけのわからん提案してみて俺を困らせたり、怒ってたと思ったら寝ていたり。
教師を教師と思わない振る舞いも、こっちの聞きたいことを煙に巻く上手さも、そのくせ容姿が良かったりと本当にスポーツクライミングかよってくらい掴みどころのない奴だ。
「んー」
隣のつかみどころのない女が起床して、伸びを立ち上がる。ふたたび俺の視線に太ももが。
こいつマジで無防備というか、なんというか。
俺もさりげなく立ち上がる。
「先生見てください、ほらっ」
言われて空をみると分厚い雲に小さな切れ目ができており、そこからうっすらと光が差し込んでいる。
「まじか」
俺は雨よけから出て確かめると降ってないのは屋上周辺だけで、グラウンドには雨が降っていた。
「賭けはわたしの勝ちですね」
嬉しそうに晴男を突き出して見せつける日花里。
俺はこの後、教師になったいきさつを日花里に五分ほどかけて話をしてやった。
そのころには雨はまた降り始めていて、聞き終えた日花里は。
「ほんっとうに面白くなかったです」
と、言葉を残して屋上を後にした。
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