第5話

「あ。如月先輩」

 季節はもう冬になっていたある日。

 3年生は殆ど学校に出てこなくなっていたある日。

 1年の教室から如月凛子の姿を捉えた。



「なぁ」

 夏樹は教室の窓から顔を出しながら、校内を歩いて昇降口へ向かう如月凛子を見ていた。

「お前、如月先輩とどうなってんだよ」

 オレと如月凛子は本当に付き合っているんだろうかと、誰もが思うくらいの関係だった。

 秋になる頃にはオレと如月凛子は、普通に笑い合うことはしていたけど、ギクシャクとした関係だった。

 そんなオレと如月凛子をいつも傍で見ていた夏樹。

 そして冬樹さん。

 でも何も言わなかった。


「夏樹」

 オレはこのままじゃいけないってことを分かっていた。

 だから夏樹には言っておこうと思った。




「オレ、凛子と別れようと思う」




 その言葉に夏樹は驚きもしなかった。

 このまま一緒にいても、如月凛子はオレを見てはくれない。

 遠くに逝ってしまった彼氏を見ている。

 如月凛子から聞いたわけじゃないけど、オレは如月凛子のことを想ってるからすぐに分かる。

 ちょっとした表情を見逃すわけない──……。





「凛子」

 職員室の前で如月凛子を呼び止める。

 振り返った如月凛子は、いつもと変わらない笑顔をオレに向けてくれた。

「担任に用事だったの?」

 オレと如月凛子は誰もいない3年の教室に来ていた。

 オレの質問に笑った如月凛子は、髪を掻き上げた。

「授業は?いいの?」

「いいんだ。どうせフケるのはいつものことだし」

「ダメじゃないの」

 姉貴ぶって言うこの感じも、もう終わる。



「凛子」

 オレは凛子の手を握った。

 初めて手を握るその温かさが、胸を締め付ける。



「オレのこと、好き?」



 それは聞いたことのないことだった。オレは凛子にそれを聞いたことがなかった。




 




 そう言われてるのを分かりながら付き合っていた。だけどもしかしたら……って思いがあった。

 幼馴染みの彼氏よりも、オレを好きになってくれるんじゃないかって。

 それまでオレは如月凛子に、触れないって決めてた。



 だけど、それも限界に来ている。

 何がって。

 オレ自身の理性というもんがさ。



 だからっと言って、無理やり如月凛子をモノにしてもオレが虚しくなるだけだ。

「凛子」

 真っ直ぐオレは如月凛子を見た。

 如月凛子もオレから目を逸らすことなく見ていた。

 お互い見つめ合ったままだった。




 そして……。




 ふっと触れた感触に驚いた。

 目の前には如月凛子。

 オレの目線の少し下。

 照れる様子もなく笑っている。

 それがどんな意味を齎すのか皆目検討も付かず、オレは頭を悩ませた。



「凛子……」

 オレの腕を掴んだままの凛子が、上目遣いに見つめてくる。

 その目からは微かに涙が光っていた。



「匠は……、こんなあたしを愛してくれたから」

 それだけ言うと如月凛子は、オレから離れて教室の入り口へ向かった。

 そして振り返り「ちゃんと授業出なきゃダメよ」と言った。



 ひとり取り残されたオレは、今の言葉とキスの意味を考えていた。

 オレの質問には答えないままの如月凛子の行動。

「どういう意味だよ……」

 机に腰掛けて真っ直ぐ窓の外を見る。空の色は暗くなっていっていた。雨雲が襲い掛かっていた。



 今のオレの心のように──……。





 ………───







 仰げば尊しがいつの間にか聞こえなくなっていた。

 ふと屋上から下を見ると、卒業生たちがガヤガヤと出てきていた。

「あの中に如月先輩もいるんだな」

 夏樹が下を見下ろしながら言った。

 卒業生たちは、それぞれ写真を撮ったり話したりしていた。

 後輩らしき人が、花束を渡している姿も見える。




「いいのかよ、このままで」

 夏樹にはこの前のことは話してある。

 別れるつもりで如月凛子に会いに行ったのに、あんな行動起されてオレは混乱していた。

 それ以来、オレは如月凛子と連絡を取っていなかった。



「あ。如月先輩だ」

 夏樹が指差した先には、冬樹さんと話す如月凛子の姿があった。

「なぁ、匠」

 隣で夏樹が言う。

「オレ、兄貴から聞いたんだけどさ。如月先輩の元カレって、病気で死んだんだってな」

「知ってる。本人からちゃんと聞いた」

「そっか。じゃ、これは知ってるか?」

「なに」

「如月先輩、東京の医大に行くって」

 その言葉にオレは、思わず夏樹の顔を見た。



「聞かされてないんだな」

 そう言うと夏樹は煙草を取り出した。

「医者になる為に東京に行く。もう、会えないんだぞ」

「──……もう、会えない」

 ポツリと呟いたオレは、踵を返して屋上を飛び出た。


 このままでいいワケないッ!

 オレはこのを、こんな中途半端なままで終わらせるわけにはいかないんだっ!





「凛子!」

 卒業生たちが集まる中、オレは大声を出していた。

 その声に勿論、注目が集まる。

 人ごみを掻き分けて如月凛子を探す。

 昇降口付近で、友人の数人と話す如月凛子を見つけると再び叫んだ。



「凛子!」

 そう呼びかけると如月凛子が振り返る。

 いつものように凛とした姿で。

「話、ある」

 そう言うと頷いて「じゃ」と友達に言ってオレに近寄る。

「教室、行こうか」

 そう言って数週間前に来た教室に入る。



「凛子」

 後ろから如月凛子に問いかけた。

「この前の質問に答えてなかったろ」

 オレはこの時、もう決めていた。

 それが如月凛子の為だって思うから。




「なぁ、別れようぜ」




 その言葉に流石に驚いてこっちを見る。

「なんで?」

「オレのこと好きかって聞いても答えないってことは、そういうことだろ?凛子はまだ亡くなった彼のことが好きなんだよ。そんな状態で付き合われたって嬉しくもねぇし。それに……」

 オレはそこで一息ついた。



「行くんだろ。東京」

 オレがという言葉を口にした途端、如月凛子は申し訳なさそうに頷いた。

「それは彼の為だよな?助けられなかった彼の為。同じ病気の人を助けたいっていう」

「……そうかもしれない。自分でも本当によく分かってないのよ」

 如月凛子はそういう人だ。

 それは分かってる。



 凛と真っ直ぐ、遠くの何かを見つめていた。

 いつでもどこでも。



 それが亡くなった元カレ。

 その人をとても好きだったってことを俺は知ってる。



「凛子。今日が最後だ。ちゃんと笑って別れたい」

 そう言うと如月凛子は笑ってこっちを見てくれた。

「匠にはあたしの本当の姿が見えてるみたいね。私自身が気付いていない姿を」

 少し俯いた如月凛子は、ギュッと唇を噛んだ。




 オレは知ってる。

 本当は弱い女だってこと。

 顔を上げていつもの顔を作る。

 そして手を差し出した。



「匠。あたし、匠といる時間本当に楽しかったんだよ。それだけは信じて。あたしの態度が匠を傷つけてることもちゃんと分かってた。だけどどうすることも出来なかったの」

「知ってる。オレがどんなに如月凛子という女に惚れていたか」

「ふふっ。知ってるよ。だから苦しかった。いると楽しいけど苦しかった」

 お互い、苦しんでいた。

 お互い、楽しんでいた。

 だけど、それは未来へと続くことはなかった。



 如月凛子の手を握り返した。

「凛子。東京で頑張って」

「ありがとう。匠も早く新しい女の子、見つけなさいよ」

「余計なお世話だ」

 笑いながらオレと如月凛子は別れた。

 二度と会うことはないだろう。

 夏樹にそのことを話したら、何も言わずにただ煙草を吸っていた。

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