第3話

 次の日。

 オレと夏樹は、誰もいない教室の窓からグラウンドを見ていた。グラウンドでは陸上部が練習をしていた。


 

 ガラッ。

「おう、夏樹!」

 その声と共に入って来たのは、夏樹によく似た男。制服をだらしなく崩して髪を無造作にセットした、見た目は夏樹とは正反対の男。

「兄貴」

「悪ぃな、待たせた」

 そう言いながら夏樹の兄貴は、教室に入って来た。そしてその後ろから面倒くさそうに入って来る女がいた。



 それが如月凛子だった。



「もう、なんなのよ冬樹とうき

 そう聞こえた声に、オレはドキンと心臓が高鳴った。

「いいから来いよ」

 夏樹の兄貴は如月凛子の腕を掴み、教室に入れる。教室に入って来た如月凛子の姿に見惚れているオレに、夏樹が肘で突いてきた。

「ほら。なんか言えよ」

 そう言われても言葉が出てこない。

「兄貴。コイツがダチの匠」

 夏樹がそう言うからオレは会釈をした。

「夏樹の兄の冬樹だ。よろしく」

 ニッと笑った顔が、ますます夏樹にそっくりだった。



「如月」

 後ろを振り返った冬樹さんは、如月凛子に言った。

「お前、今オトコいねぇだろ」

「だからなんなのよ」

「オレの弟のダチと付き合ってみねぇ?」

 冬樹さんの言葉にオレは面食らった。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたんだと思う。冬樹さんがオレを見て笑っていた。

「冬樹。イキナリ、なによ。そんなこと言ってこの子だって困るじゃないの」

 オレにそう言って来た、如月凛子。

 と言えなかった。



「平気だって。お前、自分の魅力に気付いてねぇのな」

 笑う冬樹さんに膨れる如月凛子。

「いつだってそうなんだから」

 凛としている如月凛子。

 だけど本当は違うと思った。

「ま、顔見知りくらいにはなってあげるわ」

 オレを見て笑う如月凛子にオレは舞い上がっていた。




     ◇◇◇◇◇




「長澤くん」

 正門を通ったところで声をかけられた。振り返るとそこに立っているのは如月凛子だった。

「あ。如月先輩」

 オレがそう言うとニコッと笑い、「おはよう」と言ってくれた。

 それだけでオレは嬉しかった。

「お、おはようございます」

 オレはかなり緊張していたんだと思う。

 そんなオレを見てクスッと笑った。その笑顔はとてもキレイだった。



「眠そうに歩いてるわよ」

 隣に立って歩く如月凛子。その微妙な距離がもどかしかった。

 ぶつかりそうでぶつからない距離。

 心臓が爆発するんじゃないかってくらいに緊張していた。



「じゃ、如月先輩」

 昇降口で別れる時、如月凛子が言った。



「凛子」

 オレを見てそう言う如月凛子。

「先輩ってガラじゃないのよね。だから凛子でいいわ。長澤くん」

 そう言った如月凛子は、自分の下駄箱へと向かって行こうとした。それをオレは大声で引き止めていた。



「じゃあ!オレも!匠って呼んで下さいッ!」

 その声にその場いた生徒が振り返る程、大声だった。



 如月凛子は振り返り、「じゃあね、匠」と言って自分の下駄箱へ向かった。たったそれだけのことなのに、オレは嬉しくて仕方なかった。





「見たぞ、匠」

 教室に入ると夏樹がオレに言って来た。

「何がだよ」

 そのセリフに、オレは顔を真っ赤にさせた。

「お前……ッ!」

「やるもんだねぇ」

「煩せぇ」

 ニヤニヤ笑う夏樹の視線から外すように、教室の窓を見ていた。


 あんな堂々とあんな場所で言うなんて、オレ自身驚いてんだ。

 今になって考えれば、なんて恥ずかしいことをしたんだって。

 けどその日から如月凛子は、オレを見かけると必ず声をかけてくれるようになった。


「匠!」

 廊下で夏樹と話していたりすると、凛子はそう言って手を振ってくる。ただそれだけの関係だけど、それだけで十分過ぎる程だった。

 あの人に少しだけ近付けたことが嬉しかった。まさか付き合えるなんて、思ってもいなかった。



 だって、あの如月凛子だよ。

 付き合えるなんて思えない。



「匠。いいのかよ」

 夏休みに入る前、夏樹はそう言って来た。

「何がだよ」

「如月先輩のことだよ。もうすぐ夏休みだぜ。会えない日が多いんだぜ。しかも相手は3年で、受験勉強で忙しいんだろうし」

 それを言われて、オレはなぜだか焦った。会えないってことが焦った。



 屋上でひとり、授業をサボって考え込んでいた。

 如月凛子を、自分のものに出来るとは考えられなかった。だけどこのままでいいとも思えなかった。

 時間がないように感じていたんだ。



 まだ高校生活は始まったばかりなのに、そう感じていた。それは相手が、高校生活は今年で終わりだからなのかもしれない。



 オレは意を決して、3年の廊下を歩いていた。

 1階の3年生の教室の廊下を歩くのは、初めてだった。そこを歩いているだけで緊張しているのに、これから向かう場所が場所なだけに、緊張がMAXに達していた。



 3年2組。

 そこが如月凛子の教室だ。



「すみません」

 オレは近くにいた先輩にそう言った。

「如月先輩、いますか?」

 そう言うと教室の中から、「あら、匠」と声がかかった。

「どうしたの?」

 オレは如月凛子を見下ろした。如月凛子は、オレよりも少し背が低い。

 だから見下ろすカタチになる。

「少し、時間いいですか?」

 オレはそう言うと、如月凛子を連れ出した。

 昼休みの貴重な時間。

 オレは屋上に連れ出した。

「全く、こんなところに連れ出して何なのよ、匠」

 屋上に入るなりそう言う如月凛子。オレは彼女の顔を見れなかった。



「匠?」

 優しい声がオレの耳を通り過ぎる。

「どうしたの?」

「……──子」

「え?」

 オレは微かに如月凛子の名前を呼んだ。でもそれは、聞こえる筈もないくらい小さな声だった。





「……オレ、凛子が好きだ」







 その言葉はちゃんと言えてたかどうかは分からない。

 だけど如月凛子はニコリと笑った。

「ありがとう」

 オレの耳に聞こえて来た声。

 それはとても優しくとても心地よかった。





「え」

 顔を上げたオレに如月凛子は優しい笑みを浮かべていた。

「だからありがとう。こんなあたしを好きになってくれて」

 如月凛子のその言葉の意味が分からなく、キョトンとするオレ。

 そんなオレをクスッと笑って、如月凛子が近付いて来る。


「あたしね、昔、本当に好きな人がいたの。死ぬ程好きだった。でもそのは報われなかったのね」

 フェンスに背凭せもたれて言う如月凛子の目は、真っ直ぐとオレを見据えていた。

 あの日見た目と同じように、真っ直ぐと見ていた。



「君を好きになれるかどうかなんて分からない。あの日、冬樹に君を紹介された時にって思った。あの前の日に、あたしの好きだった人は死んじゃったから」

 オレは動けなかった。

 あの日、如月凛子と初めて会話した日の前日に、彼女のは死んでいた。

 なのに毅然として学校に来ていたんだ。



「ねぇ、匠」

 空を見上げる如月凛子は、空の住人になった人を思い浮かべているのだろうか。

 凛とした顔が切なかった。



「あたし、本当に君を好きになれるかどうか本当に分からないよ」

 優しく言う言葉は、オレを傷付けないようにしようとしているようだった。

「だけど、あたしは君との時間は楽しいんだ」

 にっこりと笑った如月凛子は、オレの目の前に立って手を差し出した。

「それでもいいなら……、とりあえず、付き合ってみよ」

 時間が止まったかと思った。

 そのセリフに時間が止まったかと思った。

 嬉しさでオレは固まってしまっていた。



 夏が始まった頃に動き出した、オレの恋。

 この恋を手放したりしないってそう思った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る