涙と時間のクロスロード 私はあなたを想う
「え…ーー」
一瞬。ほんの一瞬間。
臨とした青年ー冬森健二が現実の父親と重なった気がしたのは気の所為だろうか。
「父さん・・・」
その一言を発するとたちまち涙が溢れてたまらなかった。
「父さん、わたし…わたし…」
急にせき切ったように泣き始めるので目の前にいた青年こと冬森健二は
わけがわからないと莉々華こと井久田菜実を見つめては慌てたように慰めようと
彼女の背中をさすっていた。
✧
時を遡るほど数時間前。
転入生こと井久田菜実が泣き始めたのは。
俺、冬森健二は朝の出席簿で「井久田菜実!」と呼ばれた時、彼女の表情は今にも泣きそうなそんな顔をしていたのを見た。なんだか妙な気配がしたから授業後、大丈夫かと彼女に尋ねたところ、彼女は俺をじっと見つめて首を横に振った。
そして俺に一言、
「ごめんなさい」
と言ってきた。
「え?」
普通の人だったら急にごめんなさいとでも言われたらどう思うのだろうか。俺は混乱したのち、彼女が心配だったから放課後、少し休もうと提案した。俺にはそれしか手段が無いと思っていたのだった。
ーーーそして今に至る。
「ーわたし、父さんのこと、何にもわかっていなかったんだ」
冒頭はこれだった。彼女は屋上の倉庫にもたれかかり、風に髪をなびかせていた。ときどき、ちらちら見せる顔は何滴もの涙でいっぱいだった。
「だから受験勉強も全然やる気無くってさーきっと神さまに罰が当たったんだよ。
ちゃんともっと父さんを見習いなさいって。」
ー父さん。
先ほどから何度も出てくる言葉だ。そして彼女は父さんという度に俺ばかり見てくる。もしや、俺と似た父親がいたのだろうか。
俺がそんなことでずっと考えを巡らせる最中に彼女がこちらを向いて問いかけてきたようだった。
「ねえ。健二さん。」
俺はびくっとして彼女を見る。
「そう、びっくりしないでよ。わたしさ、健二さんと会えて良かった。
あのね、わたし健二さんから学んだんだよ。わたしってさ、昔からひとばっか
みて、ほんと、ずっと人と比べてたの。」
「人ばっかり見ていたんだ」
思わず俺が呟くと彼女はうんと悲しげに答えた。
「そうーーそれがいけなかった。周りばっかり見てさ、正直大学なんてとか
思っていたし。自然ともう受験なんて何なんだろうとか思い始めてた。こんな
わたしに比べて健二さんってほんとうにいい人だね。」
いい人と言われると照れくさい。自分なんか人から褒められることなんて全く無かった。そう思うと否定したくなる自分がいて気づけば、俺は口に出していた。
「普通だよ。俺は長男だし。それにここの高校だと大学行く人なんて
少ないけど他校だったらもっといると思うし。金が無くたって勉学は
頑張っていきたい。それは将来仕事が増えるきっかけにもなると思うからさ。」
「そうだねーー…わたしも自分ごととして捉えていきたい。
逆に不自由なく暮らせているのにわたしは気づかなかったんだ。」
「そんな子がなんで波平に来たんだか、意味わかんないけどなあ。」
俺がぼやくと彼女はははっと涙を弾くように笑った。
「そうだよねえ。てかさ、健二さんだってさ、わたしがなんか他の人と
変だとか違うとか思わなかったの?」
「変?全く思わなかったけど。普通に可愛いー…ああ。えっと…」
「ふふ」
菜実さんが笑ったが俺は誤魔化せなかった。自分の顔が急に真っ赤になるのを感じて
そっぽを向いた。でもなんだか悔しくて俺は反対側を向きながら言った。
「でもな、比較することも良いことだと思うよ。
俺だってたまたま家庭状況がそういう感じだったけどの時代もそれぞれ時代の 流れってもんがあると思うからさ。」
「そうね。
でもわたしはとにかく帰って一度自分を見直してみようと思う。
もともと勉強嫌いじゃないんだよね。なんか、本心が言えなかっただけ。
ガミガミ言ってくる親にイライラしてただけだったんだ。あれは警鐘だったんだ
よ、きっと。」
「警鐘って。親がそんなに言ってくるのは羨ましいなあ。」
彼女は目を細めて何か遠くを見るように言う。
「うんうん。わたしはもう言われなくてもやれる子になりたいから。
大学受かるために勉強するんじゃない。いい大学、とかじゃなくて将来の可能性を広げるために、だよ。」
ー将来の可能性。
もしかしたら、俺も菜実さんと同じことを考えていたのかもしれない。
たしかに見ず知らずにこの家庭環境に置かれていたからわかっていなかったが、
将来仕事に就きたいって思って勉強していたのだ。長男としてのプレッシャーがあって視野が狭かったようだ。
「ありがとう、菜実さん。俺もこれから頑張る。いや、これから一緒に受験
頑張ろう」
「ごめん、健二さん。わたしーー…戻らないと。」
「戻る?」
「うんーー…健二さんがいる場所に」
意味が分からない。するとにっこり微笑んで立っていた彼女はなぜかうっすらと
先ほどよりも薄れている気がした。
「ど、どういうことなんだ!」
「ーー…父さんの場所に戻らなーーきゃ…」
と、彼女はふらりと倒れてしまった。俺はすかさず彼女を支えるがもう時間が
無いようだ。彼女の手や足はだんだんと無くなっているように見える。
「菜実さんはどこから来たんだ!?」
俺が焦って聞くと菜実は少し黙ってしまった。気づけば菜実の目からはまた一筋の涙が伝っていた。
違う、これは自分の涙だったかもしれない。俺はどうやら泣いていたようだ。
「ごー…ごめん。」
「いいーー…ただ、健二さんーー…応援してる」
「ーーー…えー…菜実ーー」
「ーーーー…うんーーーー…だいすきだよーーー…さん」
ーーーさああっと音を経てて静かに彼女の顔は消えていく。
健二が口を開く間も無く彼の手のひらから空にかけて井久田菜実は徐々に小さな破片と化してーー…姿を消した。残されたのはポタポタと垂れた自分の涙だけだった。
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