負け犬 2

 教室の扉を開けると、既に授業が始まっていて一斉にクラスメイトの視線を集めてしまった。居心地が悪く足早に自分の椅子へと向かう。

 その途中……


「カネイトってさ、なんだろ?何か知らないかな」


 誰かが小さな声でそう呟いた。


(なんの話だ……)


 気にはなったものの授業中という事もあり大人しく自分の席に着く。それから前の席の彼が「仕事おつかれ」と軽く話しかけてきたくらいでその日は何も起こらずに学校が終わった。休み時間のたびにどこからか視線を感じたけれど結局、俺に話しかけにくるクラスメイトは彼以外誰一人としていなかった。


(寂しいような仕方ないような)


 誰だってクラスで浮いている人には話しかけずらいものだろう。


「どうしたんですか? そんな暗い顔をして」


 隣を歩くアマツカが俺を見上げて聞いてくる。

 俺は「してた?」と首を傾げた。


「はい。体調悪いんですか? それなら」


 首を横に振る。体調は特に悪くない。背を後ろに反って伸ばしこれ以上アマツカに心配かけないよう気合を入れ直す。


「あっ本当にデート期待してました?」


「まぁね」


 一応、近場で良さげなお店は探しておいたけれど……見渡すと電柱や壁などが崩れたり倒れたりしている。それを治すための業者さんが行き交い普段なら閑静な住宅街なのだろうが今は少し騒がしい。

 おそらくここがネズミの新たな被害現場なのだろう。行くにしてもどうしてここなんだ、とため息を吐く。


「仕方ないじゃないですか。私たちが遊んでいる間にまだ誰か襲われたら……嫌ですから」


(……犯人は現場に戻るっていうけど)


 あれはネズミであって人じゃない。一回目の被害現場にネズミが戻ってきたという報告も無かったので今回も戻ってくる事は無いような気がする。

 それでも何かしないと気が済まないのが天使琴音アマツカコトネという人物だ。それは昔から変わっていない。


「昨日ももしかしてこんな感じの事してたの?」


「はい。先輩が暇ならと思ったんですけど」


「そっか。ごめん。今日は付き合うよ。何すれば良いの?」


「今ここにいる業者さんに聞き込みましょうか。教会も警察も色々と調べた後だとは思うんですけど」


 頷いて、俺もアマツカに続き、仕事をしている人たちに聞き込みを始める。

 結局、一時間ほど聞き込みをして聞けた話はどれも既存の物と変わりなく、証言の信憑性を高める以上の成果はなかった。


「やっぱりそうですよね」


 鋭い爪に裂かれた傷やぶつかった跡から獣型の神性体、今巷を騒がれているネズミの化け物だろう、という何度目かの証言を聞いたアマツカはお礼を言って立ち去り肩を落としていた。

 これといって捜査が進展しそうな話は出ていない。


「もっと聞き込みの範囲を広げてみましょうか」


「どこいくの?」


「近くの商店街の方は警察の方が防犯カメラのチェックをして、近辺の住宅街は教会の方達が聞き込みをしているので私たちはそれ以外になりますね」


 そう言ってアマツカはスマホで地図を開く。商店街と近くの住宅街を除いた場所……


「川か」


「ランニングをしている人とかに聞き込みですかね?」


「いや。聞き込むのにちょうど良い人がいる」


 アマツカは「そんな人居ました?」と首を傾げていた。

 その後、河川敷を歩いて進み橋の下へと辿り着く。

 そこはホームレスの溜まり場になっていた。普通に暮らしていたら近寄らない場所。

 この町の主流宗派、光翼教会じゃない人たちの行く着く先、異端者たちの集まりだ。

 ドラム缶で作られた焚き火が橋の下の暗がりを照らし、その周りで薄汚れた服を何重にも着込んだ人達が暖を取るように立っている。時折、木の破裂する音と共にドラム缶から火の粉が舞った。


「どうも」


 俺が軽く挨拶をすると虚な目をした人たちがゆっくりとこちらを見た。何も言わず無遠慮に向けてくる視線はどこか不気味だ。


(……おかしい)


 前に立ち寄った時よりもどこか警戒されているような、気がする。前はもう少し気さくというか、明るい雰囲気だったような。

 アマツカもどこか不安を感じたのか、俺の背後へ隠れるように引っ付いてくる。


「沈め」


 焚き火の周りの誰かがそう呟いた声が聞こえた。顔のほとんどを覆うように被ったフードのせいで誰が言ったかまでは分からない。

 ふと、顔のほとんどが髭で覆われ、分厚い灰色のダウンジャケットを身につけた一人の男性が立ち上がり俺の方へと近づいてくる。男性から香るツンッとした汗の不快な匂いに顔を顰めつつ、わざわざ俺の横を通り過ぎて行こうとする男性を眺めた。


「ッ!」


 突然、二の腕に鋭い痛みが走る。見るとコートの袖が裂けていて、腕に線のような切り傷があった。浅く切られたらしい。

 さっきの男性を捕まえようと急いで振り返る。


(いない!?)


 そこには明るい草花が生えた春の穏やかな河川敷が広がっていた。


「「沈め」」


 ボソリと呟くような声が背後から聞こえる。


「先輩」


 アマツカの不安の滲んだ声が聞こえて、俺は焚き火の方へと振り返る。

 先ほどまで焚き火の周りにいた人たちが一歩こちらに距離を詰めていた。相変わらず虚な目はこちらをずっと見てくる。

 自然と体に力が入った。十名以上の大人が相手。刃物を隠している可能性もあり、背後にはアマツカがいる。油断は出来ない。


「やめとけ、お前ら。俺の客だ」


 ここにきて初めてハッキリと響く声が聞こえた。


「ジャック。久しぶり」


 周りと同じようにフードを深く被った男性が手を上げていた。声からして俺の探していた知り合いだろう。

 一歩距離を詰めてきていたホームレスたちはいつの間にか何事も無かったかのように焚き火の方へ戻っていた。


「久しぶり。助かったよ、おっさん」


 それから俺たちは少し焚き火から離れた所で立ち話を始めた。


「すっかり変わって誰だか分かんなかったよ」


「まぁな。ジャックも……変わったな。そっち側に着いて」


 このコートの事だろう。異端審問官の制服だ。

 俺は苦笑いを浮かべて「まぁね」と返す。


「変わらざるを得ない。そんな状況になった。危うく俺もそっち側だったよ」


 あのまま、あの部屋から飛び出していたら……きっと俺はここにいた。

 肩をすくめる俺におっさんは「それは危なかったな」と小さく頷きながら言う。


「ジャックはまだ若い。変われるなら変わった方がいい」


 卑屈な笑みを浮かべながらそう言ったおっさんの口調は昔と変わっていない。


「まぁ生活とか色々変わったけど、心が昔のままだ。ここ……光翼教会の人間として生きるっていう覚悟が足りない」


 異端審問官として続けていくのか、もっと安全な所で働くのか。俺はまだ決めかねている。


「……何もしてこなかった過去を見ず、何もなし得なかった今の自分すら忘れ、馬鹿になってこれからの自分を信じろ。きっと神は見てる」


 そう言っておっさんは服から最早懐かしさあるペンダントを引っ張り出す。もう既に灰になって朽ちた教会のシンボルだ。


「取り残されたけど今に満足してるよ」


 それがおっさんの覚悟らしい。

 俺は頷く。


「それより、こんな所に世間話なんてしに来たんじゃ無いだろ?」


 それからおっさんは俺の後ろに引っ付いているアマツカの方を見てニヤリと笑った。


「あぁ、なんだ?人目のつかない場所でも探してたのか?ベタだな、今どき橋の下って」


 おっさんの視線が俺から外れ、背後のアマツカを下卑た目で下から上へ舐め回すように見ていた。

 俺は違う、とはっきり答えつつ視線を遮るように一歩前へと進む。


「最近巷を騒がしてるネズミの化け物について何か知らないか、を聞いて回ってるんだ」


 おっさんは首を横に振って「なんだ。それは何も知らんな」と答えた。それからドラム缶の方を指差して


「あいつらにも聞いてこようか?」


 と尋ねてくる。


「……いや、俺としては聞かなくていいと思うが……どうする?」


 俺は頭だけ後ろへ向け後ろのアマツカに聞いてみる。

 アマツカは首を横に振り「聞かなくていいと思います」と答えた。


「じゃあ邪魔した。おっさんも元気で!」


「おうおう。ジャックも気を付けてなー」


 お互い手を上げ笑顔で川から離れる。

 それから俺はため息を吐き出した。


「……あれは何か隠してるだろうね」


 おっさんが絡んでいるという事は過去の教会がらみという線すら出てきてしまう。知りたくなかった。


「まぁ何も知らないわけ無いですからね」


 俺は「だろうね」と頷く。

 野晒しの家に深夜の徘徊。人を襲うネズミならおっさん達は絶好の狙い目だろう。おまけに社会から離れた所にいるので異端審問官や警察もすぐには対応しづらい。

 俺が異端審問官と気付けばネズミの情報を聞いてくる方が普通。なのにネズミの話を聞いても怖がる素振りすら無かった。


(加えてあの対応)


 俺はコートの袖を捲り腕の傷を眺める。もう瘡蓋かさぶたになっていた。


「あれがおっさんなりの覚悟って事かなー」


「ああいう人ほど大そうなこと言いますよね」


 アマツカは冷めた調子で言う。


「辛辣だな」


 どうやら先ほどのセクハラでアマツカからおっさんの好感度はマイナスらしい。

 まぁもう多分一緒に会いに行く事は無いだろうからいいか、と苦笑いを浮かべる。


「私また夜、ここへ見にきてみます」


 アマツカの言葉に俺はまず自分の耳を疑った。

 その瞬間、突然遠くの方から爆発音のような音が響く。


「なに!?」


 少し行った先にある交差点の方からだ。この街で、この轟音、おそらく……


(……あのネズミだろ)


 俺じゃ絶対、勝てない。


(……怖い、怖い、怖い!)


 あいつを思い出しただけなのに、既に手が震えて呼吸が乱れていた。


(ダセェ所を見せるな、落ち着けよ)


 軽く息を吐き出す。まずは一旦、俺たちも逃げよう、と隣を見た。

 そこにアマツカがいなかった。


「え……アマツカ?」


 顔を上げる。もう既に駆け出したアマツカの背中がこちらの方へ逃げてくる人混みの中に一瞬見えた。


「嘘だろっ頼む!」


 俺は舌打ちをしながら慌ててその背中を追いかけた。ここで止めなくては、アマツカは本当に……

 予想通り近くの交差点にはネズミの邪神がいた。民家で火の手が上がり、近くにはひしゃげた車の黒い残骸が転がっている。


「チュッチュッ」


 ネズミは炎に赤く照らされながら小さく鳴いて鼻を空へ高く上げている。何かを探しているように見えた。

 時間としては前回よりも前々回の方が近い夕方の時間帯。空の端で赤と紺の二色が混ざっている。

 幸い大方の人が逃げ終えたらしく、先ほどまで聞こえていた叫び声がネズミを見つける頃にはうっすらと背後からしか聞こえなくなった。偶然、この辺りには人が少なかったようだ。


(アマツカは……どこだ!?)


 無事でいてくれ、と祈りながら俺は辺りを見渡す。


「先輩……?」


 住宅を囲うブロック塀の影にアマツカが見えた。

 そこへ俺もネズミに気づかれる前に体を滑り込ませる。


「アマツカ、逃げよう」


 と、俺はアマツカの手を取って引く。

 その手が強く振り払われ俺は言葉を失いアマツカを見た。


「先輩だけ、逃げてください」


「……はぁ?」


 アマツカの手は俺と同じように震えていたし声や表情は今にも泣き出しそうだった。縋り付くようにブロック塀に体をつけたその様子からも俺と、いやそれ以上に怖がっているように見えるのに……


「私はもう逃げられないんですよ」


「何を言って……」


 そう俺が言いかけた時、俺の背後のブロック塀が砕け散り……


「チュッチュッ」


 ネズミが瓦礫から顔出し怯む俺たちの方を真っ直ぐ見ていた。

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