選択 3

 落ちながら思う。


(仕事だからって……そう簡単に……殺せないよな)


 それを俺は気持ちで誤魔化そうとして……

 その瞬間、背中から着水し、深く沈む。川の水は恐ろしいほどに冷たく体が一瞬で強張っていく。流れも早い。幸い沈むことは分かっていたで予め吸っていた空気を頼りに水面へと上がる。


「っぷはぁ!」


 水面に上がり大きく息を吸う。髪を振って水を飛ばし上を見るとてるてる坊主が下の部分を広げて閉じてを繰り返し器用に滞空時間を伸ばしながら進んでいる。


「大丈夫か!」


 そんなキドウさんの声が頭上から聞こえて、目の前に水柱が立った。飛沫が顔を打つ。キドウさんが上から降って来たのだ。


「大丈夫です」


「良かった。はよ岸上ろう。体冷えんで」


 俺はそれに頷いて、夕空にてるてる坊主の姿を探す。

 見るとだいぶ降りてきていた。もう河原へ着いてしまう。

 俺も後を追って流されながらも岸へと泳いで進む。水を跳ね上げながら岸へと上がり、濡れて重くなった服を絞った。乾いた灰色の地面に大きな黒いシミを作っていく。


「リーダーそっち行ったよ!」


 そんな声がしてハッと顔を上げる。てるてる坊主は行き先を変えたらしくこちらの方へ向かって来ていた。てるてる坊主の後ろから先輩たちが武器を構え追っている。

 突然に体が動かなかった。見てるだけで良いってキドウさんに言われただろ。そんな甘い囁きが聞こえてくる。


「役立たずの無駄飯食いをここまで育ててやったんだからさぁ!」


 脳裏にまた親父の声が響く。

 それと同時に、食堂の天井を見上げて感じたあの高揚を思い出す。


「悪いな」


 独り言を呟いて、真正面からやって来ているてるてる坊主へ駆け寄る。


(まだ何もしてないらしいけど、でも、あんたを殺さないと次は俺が捨てられるんだ)


 橋の時より体が冷えていて服も重たくなっていた。僅かにだが体も緊張で震えだした。

 でも……


(次は……やれる)


 踏み込み、軽く足で薙ぐ。つま先がてるてる坊主の布のような端に触れたものの芯は捉えていない。後ろへ引いて躱されていた。やはり、上手いこと緩急をつけてタイミングをずらしているようだ。


(だけど……二度目はない)


 振り抜いた足で踏み込み軸足に変える。今度は確かな殺意を乗せ体を反転。二段構えの回し蹴り。確かにかかとがてるてる坊主の頭部をとらえていた。


「おおっ凄」


 背後からそんな声が聞こえてくる。


「へ?」


 踵に伝わる風船でも蹴ったような感触。体重を乗せた全力の一撃が不発に終わり、そのまま俺は体勢を大きく崩す。それでも咄嗟に地面へ転ける前に手をつき跳ねるように起き上がる。


「そういうタイプか」


「よく頑張った」


 そこに先輩たちがやってくる。再びてるてる坊主が背中を見せて逃げ出した。俺が橋の上で追った時より倍は早い。


(全然、役に立ってない……このままじゃ)


「核や、核を狙え!頭はちゃいそうやから、多分、結ばれて細くなった所やろ」


 川から上がってきたキドウさんが叫ぶ。

 弾かれたように俺は先輩たちを置いて思わず飛び出していた。


(やらなきゃ……やらなきゃ!!)


 てるてる坊主は後ろに目があるように振り返りもせず頭を下げて俺の蹴りをいなす。一瞬視界を外す回し蹴りでピンポイントに核を蹴り抜く自信は無い。もう一度、蹴り直そうと足を戻した時だった。

 躱す為に縮んだてるてる坊主がそのまま体を捻ってさらに縮んだ後、一気に伸ばして飛び上がった。


「え」


 胸に叩き込まれた頭突きが俺の呼吸を一瞬、止める。

 息も出来ず口を開けたまま後ろに飛んで……


「「うわっ!」」


 先輩たちに突っ込んだ。


「大丈夫!?」


 巻き込まれなかった先輩が近くで叫ぶ。

 慌てて手をついて起きあがろうとするけれど不安定な人の上。何やってるんだ、と自責の念に押しつぶされそうになりながら、転がるようにそこから抜け出し、なんとか立ち上がった。


(てるてる坊主は!?)


 逃げた方向へと目をやる。遠ざかっていく背中が見えた。

 ふいにどこからか風が吹いて俺の前髪を揺らす。その瞬間、てるてる坊主に一本の長い槍が突き刺さった。そのままてるてる坊主は転けて動かなくなる。


「終わり、終わりー」


 キドウさんが手を叩く。先程まで持っていた槍が無くなっていた。恐らく刺さっている物がそうなのだろう。

 次第にてるてる坊主の体が風に吹かれた灰のように細かな粒になって崩れていく。

 粒の山がどんどんと空へ吹き消されていき、最後に残ったのは三十センチほどのてるてる坊主と黒い槍だけだった。

 これがどうやら神様の最後らしい。


「すいませんでした!」


 それを見届けた後、俺は振り返って先輩たちに深く頭を下げた。

 勝手に暴走した挙句、足を引っ張り、危うく取り逃すところだった。キドウさんからは「先輩達の動きを見とけばいい」と言われていたにも関わらず……だ。命がかかった現場での命令違反。俺は何をやっているのだろうか。


「大丈夫、大丈夫ー! 初めてだし仕方ないよ」


「元々研修させて無いリーダーが悪いんだし」


「怪我無い? 早く帰って大浴場で暖めないとね」


 みんな笑顔を貼り付け口々に言う。でも、起き上がる時、背後で聞こえた「血が出てる」「イテェ」の声も知っている。

 それでも尚、優しくしようとしてくれる気持ちが俺の心に鋭い痛みと共に刺さる。

 何事も冷静に対処する大人の姿。


(俺とは全然違う)


「ほんまにごめんなー。ちょっと流石に今回の件は俺も反省や」


 キドウさんは「ほんまごめん」と俺と同じくらい頭を深く下げて手を合わす。


「いえ、すいませんでした」


「まっ、討伐は出来たんやし実戦経験は踏めたからさ。きっと研修も楽勝よ」


 そう言って槍の回収にキドウさんは向かう。

 そうか。これから帰って研修もあるのか。


「リーダー、流石にそれはちょっと酷じゃないですか」


 そう言って軽く肩を叩かれた拍子に俺の目から涙が落ちた。泣くなよ、と目を見開く。涙が視界を歪ませる。次が落ちていかないように少し上を向いて堪えた。

 キドウさんが「そうか?」と聞く。一度、息を吸ってから


「いえ、出来ます!」


 俺は震える声を抑え、はっきりと答えた。


「おいっ泣くなー! 本当に大丈夫やからな? 確かにこれまで入ったメンバーの中で一番暴走してたけど」


「バカッ! 余計なこと言わなくていいから!」


「こいつは本当に気にしなくていいから!」


 俯いたまま目元を手で覆って抑え「すいません」とまた謝る。


「ほな今日は解散やなー。また明日、研修しような。その根性があればすぐ仕事も慣れると思うから、大丈夫!」


「はい。すいませんでした」


 再び深く頭を下げる。合わす顔がなかった。


「ちょっと遠回りして帰ります」


 寮へと帰る途中、俺はどこか腫れ物に触るような空気感に居た堪れなくなり離れることにした。


「そっか。ほな、あんまり遅くならんうちに帰ってきてな」


 あまりにも行きと帰りの雰囲気が違うのだ。俺のせいであの冗談とツッコミが今はない。そう考えるとより心が深く沈んでいく。


「あの時、走ってなければ」


 何か変わったのだろうか。少なくとも落ち着いて一発目を頭に入れれていれば次のチャンスを物にすることが出来たかもしれない。


(かもしれない、かもしれない……)


 なんて意味の無い言葉だ。


「くっそぉ!」


 拳を近くのブロック塀に叩きつける。強く奥歯を噛み締めギリリと軋んだ音がした。

 俺は初仕事で失敗した。その結果だけが今、残っている。


(ダメだな俺って)


 大きくため息を吐き出す。

 濡れた服が肌に張り付いたまま冷えてきた。昨日より気温は僅かにマシらしいがそれでも寒いものは寒い。


「……この仕事、向いて無いのかもな」


 多分、もっと冷静な人がこの仕事に向いている。俺みたいに熱くなって暴走するようなタイプはいつかもっと酷い事故を引き起こすような気がした。そうなってからでは遅い。


(まぁ、ここをやめると本当にいく当てが無くなるけど)


 そう思っていた翌日の事だった。

 アマツカが朝のホームルーム前に教室を訪ねてきて……


「先輩。異端審問官やめませんか? 住み込みの仕事を見つけたんです」


 一枚の用紙と共に俺を見上げながら言った。

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