第50話
目覚めたユリウスの体に特に異変はなく、無責任なマクシミリアンお抱えの医師にあと二、三日は安静にしているように言われ、大人しく寝台の上で過ごしていた。
オデットは意識のあるユリウスとすごすのは久しぶりで、落ち着かない。
夜になり、そろそろ休む時間になると余計だ。オデットがいつまでも窓際で本を読んでいると、ユリウスが手招きをする。
「オデット、こちらへ」
呼ばれたので、しかたなく寝台に向かうと、ユリウスは銀の短剣をオデットに差し出した。
「これをあなたにお返しします。申し訳ありません……大切なものだったでしょうに、はまっていた宝石の色がくすんでしまいました」
「力を使い果たしたのだろう。役に立ってよかった。まさかずっと持っていたとは」
短剣を受け取り、引き出しにしまうと、オデットは静かに寝台へあがり、ユリウスの隣に寄り添った。
「まだ、声が聞こえるんだ。でもとても小さい。そのうち消えてなくなってしまいそう」
「よそ見をしないでください。他の男の声を聞かないでください。オデットの夫は私ですよ」
「そうだな……」
自分達が長らく神と呼んでいた存在を「他の男」呼ばわりするユリウスは、なかなかたいしたものだとオデットは思う。
「名前を呼んでくださいましたね、あの時」
「きっと、聞き間違えだ」
「オデット……」
急に真剣な顔をしたユリウスが、オデットを引き寄せた。
二つの唇はあっさり重なり、オデットは甘い吐息をもらした。初めてのやわらかな触れ合いに頬をそめたオデットを、ユリウスは優しく見つめる。
「私は、たとえ呪われたままでも貴方のそばにいます、この先もずっと」
「わたくしがお前のそばにいたら、一生苦しむことになるのではなかったのか?」
この気持ちをうまく言葉にできない。愛しているなんてとても言えない。簡単にすべてを許せるほど過去は優しくはないはずだ。それでも、何かに縋りたくて、今度は自分からユリウスに唇を寄せた。
さきほどの優しいだけの触れ合いとは違い、激情をぶつけ合うように、互いの唇を貪る。
苦しい。……息もできなくなるほどの苦しさで、満たされていく。
「本当に、呪われたままのわたくしでいいのか?」
「もちろんです」
安心したようにユリウスの胸に顔を埋めたオデットだったが、実はその胸中は複雑だった。
まだユリウスが眠っていた時、アニトア王は言った。魔力の根源が破壊されてしまったから、やがて魔術はこの大地から消えていくだろうと。
オデットも自分の体でそれを感じていた。この短剣の色が変わったように、オデットの身体に刻まれた紋様も、わずかに薄くなってきている。
すっかり力が失われた短剣を見ても、ユリウスはどうやらそのことに一切気付いていないらしい。
うかうかと眠っているからいけないのだ。いい気味だと思った。オデットはおかしくてクスクスと笑った。
「何を笑っているのですか?」
「秘密だ」
この世界から魔術が完全に消え失せるのは、いつなのか誰にもわからない。オデットの身体に刻まれたまじないも同様。明日かもしれないし、一年後かもしれない……オデットが年老いても、まだ残っているかもしれない。
ユリウスが知ったら、一体どんな顔をするのだろう。「もう呪いは解けた」、そう伝えられる日が待ち遠しく、そしてなぜだか少しだけ怖い。
オデットはユリウスの手を握りしめた。今確かに心は希望で満たされている。
――新しい世界へ、二人で
〈終〉
裏切りの騎士と呪われた皇女 【完】 戸瀬つぐみ @hitotose_es
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