第2話

 深夜三時半。

 七原峠の麓で待っていると、一台の軽自動車がやってきた。

 少し遠くに停まった車から降りたのは相沢だった。

 相沢は手を振って俺のことを呼ぶ。


「黒藤さーん」


「ふざけんな。三十分遅刻だぞ」


「まあまあ、私の美貌に免じて許してください」


「ぶっ飛ばすぞ」


 文句を言いつつ、俺は車の後部座席に乗り込んだ。

 相沢は運転席に座ってエンジンをかける。

 彼女は大きなため息の後に愚痴を洩らした。


「夜勤って嫌なんですよね。生活リズムが乱れるんで」


「俺達は霊媒師だ。夜間の活動がメインだろう」


「そりゃそうですけども」


 相沢は口を尖らせて不満げな顔をしている。

 彼女はこんな風に言うのは恒例行事だ。

 だからいちいち気にすることはない。

 なんだかんだでしっかりと仕事をこなせる人物であるのはよく知っている。

 個性的な派手な風貌とは裏腹に根は真面目なのだ。


 愚痴を止めた相沢が車を発進させた。

 車は深夜の七原峠を進み始める。


 全長十キロにも及ぶ峠道は、ほとんどが山沿いを伝っている。

 カーブが多いため、ライトで前方を照らしても先はあまり見通せない。

 等間隔で設置された外灯は明滅気味で、あまり役に立っているとは言えなかった。


 呑気にハンドルを握る相沢は、バックミラーで俺を見ながら微笑する。


「美女とドライブデートなんて役得ですねぇ」


「すまんな、目が悪くて美女が見えない」


「もう! そういう悪口はよくないですよっ!」


 大げさに怒っているが、これもいつものやり取りだ。

 互いにそれを分かっており、ただの雑談に過ぎなかった。


 運転する相沢は、周囲の地形を観察しながら呟く。


「本当にこの辺りで出没するんですかねぇ」


「死亡事故が多く、ネットでの目撃情報も多い。信憑性はそれなりに高いだろう」


 七原峠は心霊スポットとして有名だった。

 曰く、霊を目撃したり、ブレーキが利かなくなる瞬間があるらしい。

 あまりにもトラブルが重なったため、俺達に依頼が舞い込んだのである。

 この峠に巣食う霊を全滅させるのが此度の役目だ。


「夜明けまでに終わらせる。さっさと片付けて依頼人に報告するぞ」


「了解でーす」


 相沢は軽い調子で返事をする。

 その時、車内の空気が少し変わった。

 張り詰めたような、しかし粘質なものになった気がする。

 俺の霊感が反応しているのだ。

 ほぼ同時に、相沢がサイドミラーに視線を移した。


「おや、さっそく来ましたね」


 俺は窓越しに後方に注目する。

 車に追い縋るようにして、ゴムボールのような物体が飛行していた。

 表面を青白い炎が覆っている。


「低級霊ですね。どうしますか?」


「もちろん捕える」


 俺は車のドアを開くと、接近してきた低級霊を鷲掴みにした。

 そのまま車内に引きずり込んで顔の前に掲げる。


 低級霊は激しく抵抗するが、俺の力には敵わず逃げられない。

 根本的に弱く、霊能力者を害するだけの力を持っていないのだった。


 俺は低級霊を凝視しながら、始まりの言葉を述べる。


「いただきます」


 口を大きく開けて、低級霊にかぶりついた。

 歯を立てて噛み千切り、ゆっくりと咀嚼する。

 次第に広がる風味を感じながら嚥下した。

 俺は二口目を同様に味わってから感想を口にする。


「うまい」


 全体的にはんぺんを彷彿とさせる感じだ。

 そこにクリームのようなまろやかさがある。

 青白い炎はスパイスのような刺激となっていた。

 喉越しも滑らかで後に引かない味わいである。


 手の中の低級霊は悶えていた。

 食われることに苦痛を感じるのかは知らない。

 少なくとも異常事態であるのは認識しているらしい。


 俺は構わずゴムボールのような低級霊を食べ進めていく。

 一方で相沢は気味が悪そうな顔をしていた。


「うえっ、霊の躍り喰いなんてキモすぎますよ」


「個人の嗜好に口を挟むな。俺の勝手だろ」


 俺は相沢を睨みながら低級霊を完食する。

 体内の霊力が僅かに増えて、倦怠感が薄れていった。

 喰った分の影響が既に表れつつあるようだ。


 とは言え、満腹には到底届かない。

 こいつを何百匹と食べたところで、苦しくなることはまずないだろう。


 相沢は俺の姿を一瞥して肩をすくめる。


「いつも思いますけど、霊能力にしても異端ですよね」

「そうだな」


 俺の能力は霊の捕食だ。

 昔から病弱だった俺は、この力で霊を喰うことで延命している。


 おかげで体調は劇的に改善された。

 余命半年と宣告されてから、果たして何年が経ったのやら。

 とにかく俺が生きていられるのは、この捕食で力を高めているのが要因であった。


(もし霊を喰うのをやめたら、俺はすぐに死ぬんだろうな)


 だからこの仕事を続けなくてはならない。

 普通の人間と同じ食生活を営もうとすれば、たちまち病状が悪化して息絶える。

 それどころか、これまで喰った分の霊によって地獄の苦しみを味わうはずだ。

 ある意味、呪いだろう。


 霊の養分を摂取することで生き永らえる俺は、とても健常だとは言えない。

 それでも死にたくないので喰い続けている。

 最近では味覚面でも虜になっているので末期だろう。


 ちなみに相沢は霊を呼び寄せる体質だ。

 本人は大した力を持っていないが、とにかく霊を集めやすい。

 専門家に調べてもらったところ、魂の質が良いらしい。

 だから極端に狙われやすいのだ。


 相沢自身は毛嫌いする体質だが、俺からすれば理想そのものである。

 食糧となる霊が向こうから寄ってきてくれるのだ。

 これほど望ましいことはあるまい。

 他にもこういった仕事をこなす時、相沢の体質は囮役として重宝するのだ。

 車を走らせているだけで勝手に霊が集まってくるのである。


 ただ、幼い頃はこの体質に困っていたらしい。

 除霊の力が無いのに霊が集まるのだから当然だろう。

 周囲の人々にも悪影響を及ぼすため、どこへ行っても孤立していたそうだ。

 現在は集まった霊を俺が喰うので、大した問題にはなっていない。

 俺と相沢は、互いに必要な関係なのだった。


「どんどん湧いてきますねぇ。大漁ですよ」


「よしよし、昼飯を抜いた甲斐があった」


 峠を走る俺達の車に次々と低級霊が貼り付いてくる。

 半端に霊感がある者は、この光景に驚いて事故を起こすのだろう。

 ともすればフロントガラスを埋め尽くしかねない密度で、パニックになるのも仕方のない話である。


 無論、俺達がそんな失敗をすることはない。

 こうなることは予想済みだった。

 運転に邪魔な分をスムーズに捕獲すると、そいつらを順に捕食していく。


 俺は持参した調味料をかけて低級霊を味見する。


「醤油じゃなかったな。こいつはマヨネーズがベストか」


「せめて加熱しましょうよ。お腹を壊しますよ」


「大丈夫だ。この程度じゃどうにもならんさ」


 しかし、加熱も悪くない。

 少し炙るだけでも風味が変化する。

 飽きないための工夫は重要だ。


 俺の場合は戦闘時の攻撃能力に直結してくる。

 食欲が刺激されるほど、鋭い一撃を放てるようになるのだ。

 だから今のうちに適切な料理や味付けは把握しておきたかった。


 俺は低級霊の破片をライターで炙ってから口に放り込む。

 濃縮された霊力が味覚を刺激して、思わず頬が緩んだ。


 それを見ていた相沢が怪訝そうに尋ねてくる。


「霊ってそんなに美味しいんです?」


「ああ、相当な。霊ごとに味も食感も違うのがいい」


 俺は腹を撫でて微笑する。

 低級霊の割には味が良いものが揃っている。

 それだけここが心霊スポットとして完成しているのだろう。

 高純度の恐怖が蔓延しており、それが養分となって霊の味を熟成させているのだ。


 相沢は振り返ってニヤニヤした顔を見せてきた。


「もう満腹ですか」


「いや、腹一分目にも満たない」


「大食いすぎるでしょうよ。この心霊スポットを枯渇させるつもりですか」


「ああ、残らず平らげてやる」


 宣言した直後、背後に強烈な霊気を覚える。

 振り返ると、道路を走る人影が見えた。

 外灯に照らされるのは、赤黒いドレスを着た女だ。

 溶接マスクを被り、手には錆びた大バサミを持っている。

 あのサイズなら人間など余裕で輪切りにできるだろう。


 女はハサミを高速で動かしながら全力疾走で近付いてくる。

 悪霊だ。

 ゴムボールのような低級霊ではなく、はっきりとした風貌を保っている。

 それだけ強い力を宿しているのだった。


 相沢は慌てた様子もなく後方を確認する。


「ヤバそうなのが来ましたよ。ここのボスですかね」


「おそらくな。かなりの霊気だ」


「それにしてもコンセプトが迷子なデザインですねぇ。誰が考えたんでしょう」


「霊は人間の恐怖を読み取る。今までの犠牲者のイメージを模倣した結果だ」


 外見に統一感がないのは、恐怖の記号を無作為に選んでいるからに違いない。

 赤ドレスも溶接マスクも巨大ハサミも不安や恐怖を連想するアイテムだ。

 それを霊は見逃さず、本能のままに合成したのである。

 霊のデザインセンスは皆無だが、アレが接近してくる光景は確かに恐怖するだろう。


 俺は車のルーフを開きつつ、相沢に忠告する。


「気圧されるなよ」


「誰に言ってるんですか」


 相沢は平然と言い返して、勢いよくアクセルを踏み込む。

 スピードを上げた車は、峠道を正確に曲がって突き進んでいく。

 見事なハンドル捌きだった。


 悪霊に追われる状況でありながら、相沢は平常心をキープしている。

 強がりではなく、本当に恐怖を感じていないのだ。

 幼い頃より霊視能力を持つ彼女にとって、この程度の事態は常識の範疇であった。

 きっと自分が殺されるその瞬間まで、彼女が恐怖することはない。


 無論、俺も恐怖心を抱いていなかった。

 湧き上がる食欲がすべての感情を凌駕している。

 それこそが霊的存在に対する確固たる対抗策だった。

 恐怖心がなければ、霊の影響力も減退する。


 俺は車の上によじ登ると、膝立ちの姿勢で後方を睨む。

 悪霊は猛然と追跡を続けていた。

 徐々に距離を詰めており、今にも跳びかかってきそうだ。

 ハサミを擦り鳴らす音が山に反響していた。


 俺は舌なめずりをして待ち構える。

 運転席の窓が開いて、相沢が軽口を飛ばしてきた。


「さすがの黒藤さんでも丸呑みは無理ですかね?」


「ああ、そうだな。だからまずは解体する」


 その時、悪霊が急加速した。

 ハサミを大きく開いて、車のタイヤを切ろうとする。


「それは駄目だ」


 俺は霊力を込めた塩を鷲掴みにして投げ付ける。

 塩を浴びた悪霊は悲鳴を上げて転倒した。

 何度かアスファルトをバウンドした後、再び猛スピードで追いかけてくる。

 この程度では負傷しないようだ。


 悪霊のハサミが道路を擦って火花を散らしていた。

 響き渡る咆哮は、攻撃された怒りを主張しているのだろう。


 間を置かずに悪霊が跳躍した。

 ハサミを閉じて掲げて、切っ先を真下に向けて落下してくる。

 俺ごと車を突き刺すつもりらしい。


「大胆なことだ」


 俺は瞬きせずに悪霊を凝視する。

 紙一重でハサミを躱すと、カウンターの蹴りを繰り出した。

 蹴りは悪霊の顔面にめり込み、その細い首が一回転する。


「お、いったか」


 確かな感触に喜んだのも束の間、悪霊が反撃に移る。

 車の屋根を貫くハサミを引き抜くと、豪快に振り回した。

 その一撃を横っ腹に受けた俺は車から転落する。

 ギリギリで窓の縁に掴まり、強風に煽られながら耐える。

 指先だけが引っかかっている状態だった。


 気を抜くと道路にぶつかる。

 最悪の場合、タイヤに巻き込まれて轢き潰されるだろう。


 車の側面にしがみ付く俺は、口端から血をこぼして呻いた。


「痛ぇな、おい」


 ハサミで殴られた部分が鈍痛を訴える。

 骨は折れていないだろうが、痣にはなりそうだ。

 やはり霊は人間離れしたパワーを持っている。

 一瞬の判断ミスで殺されかねない。


 嘆息していると、運転席の相沢と目が合った。

 相沢は涼しい顔でクスクスと笑う。


「ここ死んだら悪霊さんの仲間入りですね」


「黙って前を見ろ。急カーブだぞ」


 車の上では悪霊がハサミを高速で開閉させていた。

 錆びた金属の擦れる音が鳴り響く。

 どうやらハサミで車を切断しようとしているらしかった。

 この車を無理やり止めて、運転する相沢を殺すのが目的のようだ。


 俺は素早く屋根の上に戻ると、懐に隠していた鉈を抜き放つ。

 それを悪霊の左腕に叩き付けて切断した。


 悪霊が悲鳴を上げて後ずさる。

 その隙に宙を舞った腕をひったくり、躊躇なく喰らい付いた。

 骨も肉もまとめて噛み砕いて味わう。


(美味いな)


 最初に投げ付けた塩が利いている。

 低級霊と違って、味のレベルが格段に上がっていた。

 やはり強い霊ほど美味いのだ。


 俺はあっという間に片腕を食べ尽くして鉈を構え直す。

 捕食の影響か、横っ腹の痛みはすっかり引いていた。


(次はどの部位を食ってやろうか)


 食欲に衝き動かされて視線を巡らせる。

 負傷した悪霊は片腕でハサミを持ち上げていた。

 それを横殴りに振るってくる。


 俺は片手で受け止めた。

 かなりの衝撃で吹っ飛ばされそうになるも、なんとか持ち堪える。


 そこから悪霊の両膝を狙って鉈を一閃させた。

 綺麗に切断された左右の足が転がる。


 支えを失った悪霊が倒れた。

 俺はハサミを奪い取り、悪霊の背中に突き立てる。

 そのまま貫通させて車の屋根に縫い止めた。

 簡単には抜けないように深く刺しておく。


「これで自由に動けないな」


 俺は悪霊の両足を抱きかかえる。

 どちらも蠢いて逃れようとしていた。

 切断面から霊力が黒い靄となって漏れ出している。


 俺はそれぞれの足にバーベキューソースとマスタードを付けて捕食した。

 腕と違った食感でこれもまた美味い。

 ただ、呑気に味わっている暇はないので迅速に咀嚼する。

 途中からはほとんど丸呑み近いペースで完食した。


 一部始終を目撃した相沢がドン引きした顔でぼやく。


「戦闘中に味変とかクレイジーですね」


「飽きないための工夫だ。食欲が落ちると攻撃も滞る」


 俺は指に付着したソースを舐めながら言う。

 両足と片腕を失った悪霊はもがき苦しんでいた。

 胴体を貫くハサミのせいで身動きが取れないのだ。

 他に能力もないのか、反撃が飛んでくる気配はなかった。


 観察するうちに腹が鳴る。

 空腹感だ。

 半端に食事をしたせいで刺激されてしまった。


 屈んだ俺は、溶接マスクを着けた悪霊の顔を覗き込む。

 こちらを見上げる眼差しには、色濃い恐怖があった。

 自らが無力な捕食対象であると気付いてしまったのだ。

 俺は微笑みながら口を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る