両手いっぱいの花をきみに

りつか🌟

忘れ物はリボンをかけて

素直になれないバレンタイン

第1話 一体誰から貰ったの?

「ちょっと! なんなのそれ」


 ドアが開くと同時に怒声が響いた。カツンと甲高いヒールの音が響き渡り、部屋の主と小さな客人がハッと顔色を変えた。

 玄関先にあるのは肩を怒らせ仁王立ちで佇む美女の姿。薄い冬日に縁取られた波打つ髪が、冷たい風に吹かれている。逆光の中でその瞳はらんらんと輝き、ふたりをきつく睨みつけていた。

 青年は口の中のものを飲みこみながら慌てて立ち上がった。


「あー……あんさん、早かったね。もうちょっと時間かかるかと思ってたよ」

「早く来たらまずかった? いくのこと無理言ってお願いしちゃったし、悪いなって急いで仕事終わらせてきたんだけど。迷惑だったってことね」

「そんな、迷惑なんて。杏さんまだかなーって今も話してたところだし。ね、郁くん?」


 精一杯の笑みでもって彼女を出迎えていた青年はそこでくるりと奥を振り返った。話を振られると思っていなかった少年は一瞬目を見張り、両手で口許くちもとを覆ったままこくこく頷く。そのぎこちない仕草からして彼の口内にはまだが入っているようだ。聞かずとも部屋いっぱいに漂うこの甘ったるい香りが答えだとわかっているのだけれど。虫歯の元だからとあまり食べさせてこなかっただ。

 トートバッグを握る手のひらに爪が食いこんでいく。自分のいない間にコソコソやる根性が気に入らない。

 怒りのままに口を開こうとした瞬間、杏の視界が遮られた。郁との間に青年が割りこんでいた。


「ほら、笑顔笑顔」


 長く伸ばした前髪の奥で青年の目元がふっと綻んだ。周りで幾つもの小花が咲いたような錯覚を起こす、彼お得意の笑顔である。こんなふうに微笑まれば、どんな不機嫌な人だってたちまち毒気を抜かれてしまう。

 杏は大輪の花が綻ぶようににっこりと笑み返した。それからやさしく声を投げかけた。


「もう一度聞くね」


 ――そう、声音だけは優しかった。

 問題をすり替えてはいけない。今問い詰めるべきは郁の食べているものではなくて、


「そんなにたくさんのチョコレート、一体誰から貰ったの? ……本当のこと言わないと怒るよ良太りょうた





 * *





 杏が良太と付き合い出してようやくひと月が経った。

 一番最初に彼と出会ったのは甥っ子の郁だった。郁の通う小学校では月二回、体験活動イベントが行われている。隔週土曜日に行われる体験活動は毎回違う内容が企画されているが、折り紙の回のボランティアスタッフのひとりが良太だった。子どもたちが口々に挙げる動物を全て折り紙で作り上げた良太に、郁を始めとする子どもたちは皆すっかり心酔してしまったそうだ。

 後日、杏が郁を連れてショッピングモールに出掛けた際に雑貨店で働く良太と出会った。郁から紹介を受けて杏も顔見知りになり、郁との買い物のたびに件の雑貨店に引っ張られるようになった。

 それ以後良太にはなんの因果か店以外の場所でもたびたび会うことになった。彼のフレンドリーな性格のおかげで親しくなるまでは早かった。けれど付き合っているのかいないのかよくわからない状態はそれから半年近く続いた。クリスマスや正月といった冬イベントは気づけばスルーしていたが、先月良太からの告白を受けてふたりは晴れて恋人関係となった。痺れを切らした杏が判断を迫ってみれば良太当人は既に付き合っているつもりだったというオチだ。


 築年数のいった小さな二階建てアパートの一階。外階段のに玄関がある、あまり陽当たりのよくない一室が青年良太の住み処である。

 1Kで玄関ドアを開ければすぐキッチン――おそらく台所と呼ぶ方がふさわしい――という間取りのここに初めて通されたのは昨秋のこと。そのときの衝撃を杏は今でも鮮明に覚えている。忘れられるわけがない。今のこのご時世にこんな〝アンティーク〟な部屋が存在するのかと、それまで持っていた常識を覆された気分だったから。


 四畳半の和室を占領するように正方形のコタツが置かれている。卓上には紙袋がひとつ、それからたくさんの小ぶりの箱やカラフルな包装紙、光沢のあるリボンなどが広げられていた。未開封のものより既に空箱になっているものの方が多い。それらをひとつひとつ取り上げじっと検分していく杏の姿を、良太と郁のふたりは何も言わずに見守っていた。見守るしかなかった。声を掛けるのも恐ろしくて。

 最後に杏はパステルピンクの巾着包みを手にした。リボンの箇所に一緒に留められた二つ折りのメッセージカードを開いて顔をしかめた。赤とピンク、二色のハートで可愛く縁取られたそこに綴られた文字はお世辞にも美しいとは言い難かった。そのうえ蛍光色。あり得ない。

 もしこれが身内の――例えば郁が書いたものだとしたら「他人に読ませる気があるのか」「これで読んでもらえると思っているのか」と小一時間問い詰めるだろうシロモノだ。

 けれど実際は名前も顔も知らない赤の他人が書いたものだし、ついでに言えば大人からの贈り物でもない。何より肝心なのはここにいるふたり宛のものではない。

 文面をなぞり終えた杏は目頭を押さえ、大きく息をついた。目がチカチカする。


「……言い分は、本当みたいね」

「俺が貰ったんじゃないって信じてくれた? ああよかった」

「ね、言ったでしょ。終わりの会のあとではる兄さんが持ってきたんだよ。……あの、だまって食べちゃったのは、ごめんなさい」


 再びへらっと笑みを浮かべた青年とは対照的に、少年はばつの悪い様子で頭を下げた。

 杏は可愛らしい贈り物を脇によけるとブラックコーヒーの入ったマグカップに手を伸ばした。つられるように良太と郁もマグを口に運ぶ。ふたりが飲んでいるのはインスタントのミルクティーだ。味の好みといいマグを両手で抱えるように持つ姿勢といい、まるで本当の兄弟みたいだなとぼんやり思う。郁と血が繋がっているのはむしろ杏の方なのだけれど。


「郁くんのお兄さんって双子なんだっけ? モテるんだね」

「あの子たちは双子だから目立つだけ。でも、このチョコは全部上の子宛みたいね。ちょっと意外だったわ。愛想は下の方がいいのよ」

「あ……はる兄さんがね、じん兄さんに来た分を良太くんにもらってほしいって。じん兄さんがチョコきらいなの、杏ちゃんも知ってるでしょ? すてるのはもったいないし、放課後に良太くんのお家に行くって言ったらちょうどいいじゃないかって。……あっ、チョコくれた人の名前は全員メモったから、お返しはちゃんとするって言ってた」


 不穏な空気を感じ取ったのか郁が慌ててフォローの語を付け足した。

 くしゃくしゃに丸められた包装紙を丁寧にたたみ直していた杏は眉間のしわを深くする。全く、一分いちぶの隙もない兄たちである。一体誰から教わったのやら、この分だと〝弟が懇意にしている青年は甘党である〟という情報も確実に把握した上での行動に違いない。

 「しっかりしてるんだねぇ」と感心しきりの良太に、少しは見習えとつい念じてしまう杏だ。こういうときテレパシーが使えればいいのにと心底思う。


「小学生でバレンタインかぁ。すごいなぁ。郁くんは幾つもらったの?」

「ぼく?」

「郁くんもモテるだろう? もし俺が女だったら間違いなく郁くんにあげてるよ。今も下駄箱に入れたりするのかな?」


 にこにこ続ける良太の周りにまたもや小花が舞い飛んでいる。きょとんと目を丸くする郁の隣で、杏はすかさず自らを抱きしめた。


「ちょっと、なにその気持ち悪い発想……。もしあんたが女でクラスメイトだったら、あたし絶対遠巻きに別行動よ。それか、ゆるふわな性根を叩き直す。覚悟しなさい」

「そんな顔しないでよ、杏さん。それに俺が言いたいのそこじゃないよ」

「今はね、チョコ持ってきちゃだめなの。郁の学校なんてご丁寧に注意プリントまで出てたんだから」


 今度は青年が目を丸くする番だった。確認するように小さな顔を覗きこめば郁は素直にこっくり頷く。チョコレートを渡したい人は一旦帰宅してからあらためて相手の家を訪ねろということらしい。

 それじゃこれはと目の前の紙袋を眺めた良太の様子に、郁は前のめりになってマグカップを置いた。


「そうなの、すごく大変だったんだよ! だって先生にバレたらおこられるし、じん兄さんにチョコをあげた人たちもおこられちゃうでしょ? セキニン重大だぞってはる兄さんが言うから、見つかっちゃったらどうしようって本当にドキドキした!」


 そうして思い返せば紙袋は確かになかなかの重装備で良太の元までやってきたのだった。体操服袋に入れてから手さげカバンに入れ、その上から体操服を被せて袋を隠すという手の込みよう。いくら金曜日とはいえ違和感を覚えられても不思議ではないほどパンパンのカバンだったのに、幸い誰にも突っこまれなかったようだ。

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