第6話 晴の日

 ある雪の日から始まった僕とサクラさんの不思議な関係は今日まさに変わろうとしていた。それはある気付きから来るもので、僕は気がついてしまった。僕の中にある想いがどういう言葉で表現すればいいのか。どうして彼女をここまで愛おしく思ってしまうのか。

 気がついてしまえば簡単だ。簡単なことだった。それに気がつきたくなくて、この関係が壊れてしまうのが怖くて言葉にすることを嫌がっていた。しかし、膨れ上がったこの感情に決着をつけなければ何も前に進めない。だからこそ僕は走ったのだ。

 晴天。昨日よりも暖かい気候で過ごしやすい今日は、この感情に言葉を与える絶好の日と言えるだろう。


「おはよう……ございます」

「ようやく息が整ってきたかな? それでどうしたんだい? あたしを見つけるなり走り始めるなんて」

「見てたんですか?」

「見てたというより、走ってくる人を観察していたに近いけれどね〜。でも、不思議とみっちーに目を取られたのは本当だよ」


 緊張している。思いを言葉にすることがこんなにも震えることだとは知らなかった。

 それでもこれは言葉にしなければならない。もしこれでこの関係が終わってしまうのだとしても、僕の感情に間違いはないはずだから。

 暖かい風がサクラさんの茶髪を撫でる。サングラスは強い日差しから彼女の目をしっかりと守っていた。タバコの煙はゆらゆらと上がり、それを嫌だとも思わない。ああ、やはり僕はこの人のことが……。


「今日はどこかへ行くんですか?」

「いんや。ただの散歩だよ〜。ここに来ればみっちーに会えるかなと思ってね。そうしたら君は走ってやってくるじゃないか。まるでご主人様を見つけたワンコのようだったよ」

「人を犬扱いですか」

「そう怒らないでくれよ〜。みっちーに会いたかったのは本当のことなんだからさ」


 人のことを人懐っこい犬と表現しておいて豪快に笑う。不思議と僕も笑っていた。

 僕の日常は平々凡々だ。何ひとつ変わらない普通の日々だった。それを少しだけ変えてくれたのはきっとサクラさんだ。バス停に目を奪われるようになってから、僕の日常は非日常へと少しずつ変えられていた。本当に彼女は罪な人だ。ただの学生の人生を滅茶苦茶にしてくれたのだから。

 構わない。これほど楽しいと思えるのなら、このままでもよかった。それで満足できなくなってしまった僕こそ、本当に罪な人なのだろう。


「好きです」

「へ?」

「僕はサクラさんのことが好きなんだと思います。こうして話しているだけで楽しいと思える。それはきっと、あなたのことが好きだからなんだと思います」

「お〜。そうきたか〜」


 タバコをひと吸い。短い間柄だが、こうしてタバコを吸っている時のサクラさんは何かを考えているときだと知っている。たぶん、僕の発言に困惑しているのだろう。もしかしたら、ようやく気がついたかと思っているはずだ。彼女は知っていたのだ。僕のこの感情につけるべき言葉を。しかしながら、それに対する返答を持ち合わせていなかったようだ。

 心臓が高鳴る。頬が熱くなってきた。これが恥ずかしさだと理解するのに、数秒もいらない。僕は今、羞恥心を持っている。年上の、しかも出会って間もない人に告白をしたのだ。そうなって当然だろう。

 果たして、彼女の重い口は開かれる。


「若いってのは怖いね〜。いや〜、怖いこわい。まあ、あたしみたいな綺麗な女の人を好きになるのは高校生あるあるだとしても、それを言葉にできる若さを、きっと青春っていうんだろうね」

「ダメですか?」

「ダメじゃないさ。そう。ダメじゃない。ただ、振られて間もないあたしを狙い撃ちするみっちーもなかなかやるものだと感心しているだけだよ〜。傷心につけ込むとはこのことを言うんだろうね。いや〜。感心感心」

「そうやって、また逃げるんですか?」

「逃げるとは……いや、そうか。そうだね。あたしもこの関係を壊したくない。たぶんみっちーも同じ気持ちなんだろうね。だから悩んでた。それでも勇気を出して言葉にした。それを受けて、のらりくらりと言葉遊びで避けるのは逃げるのと同じだよね」


 適当な言葉で遊んで逃げようとするサクラさんを僕は逃さなかった。この思いに決着をつけなければ、この関係自体が終わってしまうような気がしたから、今日だけは退けなかった。

 追撃を喰らった彼女はいつもより真剣な目になって、もう一度タバコを吸う。

 どのようにしてこの言葉に終わりをつけようか考えているようにも思える。真っ直ぐに彼女を見つめたまま、次なる彼女の言葉を待つ。


「あたしは無職だよ」

「それでもいいです」

「お金遣いも荒いかもしれないよ?」

「僕が頑張って稼ぎます」

「タバコをすぱすぱ吸うようなヘビースモーカーだよ?」

「気になりません」

「みっちーが想うより大人じゃないよ?」

「僕だって大人じゃないですよ」

「参ったねこれは」


 撃ち尽くした言葉の数々が地面に落ちる。自分のダメなところを出し尽くしたようで、それを許容した僕に本当の意味で困り果てているみたいだ。よく見るとサクラさんの頬が少し赤く見える。大きめのサングラスで隠れていてもわかるのだから相当だろう。彼女も恥ずかしくなっているのだ。

 もっと知りたい。もっとわかりたい。この気持ちに嘘はない。嫌われたくない。嫌がられたくない。これも本当のことだ。

 僕にとっての青春は、きっとこの人といることなのだ。彼女といるこの時間が青春なのだ。それだけは断言できる。


「僕がサクラさんに相応しくないのはわかってます。でも、僕はまだ高校生で、これからも成長できる。サクラさんに見合うような大人になります。だから――」

「急がなくていいよ。子供は子供の時間を大切にするべきだ。みっちーはみっちーのペースで大人になればいいんだよ。そのためにあたしが必要だって言うなら、あたしはいつまでも待っててあげるから」

「それって――」

「君は全てを女の子に言わせるほどろくでなしなのかい? と。まだ未成年だからそこまで求めるのも違うか。とりあえず、みっちーがあたしを好きなのはわかったよ〜。でも、それは憧れなのか、それとも好意なのかの判別はきっとできていない。だから、ともかく友達から始めよう」


 憧れと好意は違う。とサクラさんは語る。それでも、これが青春であることを否定されなかっただけマシと言うべきだ。彼女は全てを知っているわけではない。人間観察からくる膨大な知識で僕を推測っているだけに過ぎないのだ。だから、判別のできていない感情に妥協点を与えてくれた。

 そういえば、僕と彼女は友達ですらなかった。バス停で少し話をするだけの関係。それが僕たちだった。

 急足すぎた行動に、もう一度恥ずかしさを持つ。その様子を見てクスッと笑う彼女はスマホを取り出した。その画面を僕に見せて笑顔で言うのだ。


「これがあたしの連絡先だよ。これからもよろしくね、みっちー」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「これであたしたちは本当の意味で友達だ。さあ、君はあたしを口説き落とせるかな〜?」

「また遊び始める……待っていてくださいよ。これが僕の青春なので」

「待ってるよ、いつまでも。実はみっちーと話すのは、結構好きだったりするんだ。だから、早く迎えにきてね」


 ゆっくりしろとか、早くしろとか。結局どうすればいいのだ。

 でも悪い気はしない。これが恋なら、僕は今充実した時間を過ごしているのだろう。

 かくして僕の青春はバス停での不思議な出会いから始まり、まだ終わりそうにない。とりあえずは大人になるまで、こうして不思議な人と楽しく過ごしていこう。それがきっと、大人になった時に大切なものだと言えるはずだから。

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僕とサクラさんの不思議な関係 七詩のなめ @after

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