第2話 雨の日
あれから何度も通ったバス停。繰り返しても意味はない。そう思っていたはずなのに、どうしてだろう。求めるように僕の体はあのバス停に吸い寄せられる。あの日に感じた何かに意味を持たせたい。そう言う思いがただ体を動かしていた。
雨。心地のいい音色は好きだけれど、濡れるのは嫌いだ。ベタついた質感が気になって仕方ない。
今日は朝からの雨だったから、傘を忘れることはなかった。当然、あの日の何かを忘れることもなかった。
「やあみっちー。久方ぶりだね〜」
意味もなく立ち止まった僕の背に声がかかる。ほんの十数分だけの会話。その記憶に深く刻まれた声が、もう一度僕の耳に入ることはもうないものだと思っていた。
しかし、久しぶりに聞いたその声は、前と変わらず元気に溢れているもので。不意に僕は振り返る。そこにいたのはあの日の彼女そのままだった。薄い色付きサングラスをかけて、タバコを吹かすサクラさんは手をひらひらと振りながら拍子抜けに現れたのだ。
まさか本当に会えるとは思わなかった。その言葉が一番しっくりくる。探していたのに、会えないことを前提にしていたのだと自分自身に驚きを持ちながら、たどたどしく返事をする。
「サクラ……さん。お久しぶりです」
「バス停なんて眺めちゃってなになに〜? もしかしておねーさんを探していたりした〜?」
「いや……そんな……ことは……」
「まっ、そうだよね〜。冗談じょーだん。おねーさんずじょーだんだよ、みっちー」
女性にしては豪快に笑う人だ。図星を突かれた僕はぎこちなく笑う。
タバコの匂い。不思議と嫌な気分がしないのはサクラさんが吸っているタバコのせいか。それとも相手がサクラさんだからなのか。掴みどころのないサクラさんに不可思議に惹かれていくのを感じる。この感情は一体なんと名前をつければいいのだろう。
あの日と同じように僕とサクラさんはバスが来るまで2人の時間を味わうことになる。何を話せばいいのかわからずに沈黙が訪れた。しかし、それも長くは続かない。
「みっちーって高校生でしょ?」
「え? あ、はい」
「いいね〜。青春だ〜。楽しんでるか〜い?」
「どうでしょうね。正直、よくわからないんですよ。大人の言う青春っていうものが」
一言に青春と言っても様々だ。恋人がいることで青春として成るものか。充実した生活をして成るものなのか。その答えは実に曖昧なものだろう。だから、サクラさんの言う”青春”を正しく送れているのかを僕はわからない。
僕の返事に少し考え込むサクラさん。合間にタバコの煙が上がる。吐き出された煙の中にはいろいろな感情があったのだと想う。
やがて考えがまとまったのか。それとも適当な言葉なのか。彼女はいつもの調子で返答をする。
「いいんじゃない? 高校生なんてそんなもんだよ〜。一口に青春って言っても色々だしね〜。好きな人がいる! 恋人がいる! 趣味嗜好で充実してる! それが青春だ! なんて言う人もいるけどさ。結局青春なんて誰にも何かわからないんだよ。かくいうあたしにもわからないしね〜」
「大人になってもわからないものなんですか?」
「大人だからわからないことだってあるんだよ。青春は子供だけのものだからね。だ・か・ら。今を楽しめ〜、みっちー。青春は自分がいなくちゃ始まらないってね」
楽しそうに。本当に楽しそうな顔で語る。目をキラキラと輝かせて話すサクラさんを羨ましいと想うのは、僕がまだ子供だからなのか。毎日が普通である僕には分かりそうもない。
タバコを吸い終わり、吸い殻をポケット灰皿に投げ込んだ彼女は新しいタバコに火をつける。この人はタバコを吸っていないと死んでしまう人種のようで、新しいタバコから煙がゆらゆらと雨の中に消えていく。
しばらく彼女を見つめていた僕は、彼女と目が合って咄嗟に目をそらす。
「タバコが気になる〜? ダメだぞ〜。未成年で喫煙は犯罪だからね〜」
「そうじゃ……ないですけど」
「じゃあ、おねーさんに興味が!? いやん、若い獣に食べられちゃうよ〜……なんてね。呆れたような目で見るのはやめなさいよ。あたしだって傷つく時は傷つくんだからね?」
「なら、変なノリで話すのをやめれば……いや、なんでもないです」
この人から変なノリを除いたら美貌以外に何が残るのだろうか。少なくとも、僕の中のサクラさんの印象は不思議な人だ。不思議な人でなければならないのかもしれない。そうでなければ……もしそれ以外の何かになってしまったら、僕たちの関係はガラリと変わってしまうだろう。それが少しだけ怖く感じた。
彼女は怖くないのだろう。そもそも、この関係についてただの暇つぶし程度にしか考えていないようだ。それでいい。それがいい。それだけでいられたら僕もわずかに楽だから。
雨は止む気配がない。やがてこの立ち話も終わりが近づいてきた。遠くからバスの姿が見える。
「さてさて、みっちー。次に会えるのはいつになるのかな〜」
「さあ」
「寂しいかい?」
「全然」
「ふふっ。あたしにはそう見えないけどね。じゃあまたいつか。君が悩んだ時に助言を授けよ〜、なんてね」
そんな捨て台詞を吐いて、サクラさんは停車したバスに乗り込んで行った。
その後ろ姿を見ていた僕はなんだか心の内でモヤモヤした感覚を味わうことになる。
雨はまだ降っている。雨の音色は先ほどよりも鮮明に聴こえてきた。
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