僕とサクラさんの不思議な関係
七詩のなめ
第1話 雪の日
人はいつか死ぬ。
そう思い続けて数年と少し。何ひとつ変わらない日常と過ぎ去っていくだけの時間の中で、僕は今日も元気に生きていた。
親がくれたのは普通の体と普通の人生。平々凡々な面白味のない毎日は、僕を無視して過ぎていく。
「眼鏡君、名前は?」
その日は雪が降っていた。突発的な豪雪のせいで、ほとんどの人が傘を忘れている。僕も例に漏れず傘を持たずに学校へ向かってしまった。その最中にこの雪だ。
舞い散る煌びやかな雪と肌に張り付く湿気。スーツを被るようにして雪を凌ごうとするサラリーマンと、雪に塗れながら自転車を走らせる主婦を見ながら雨宿り……もとい雪宿りで立ち寄ったバス停にて唐突に話しかけられた。
綺麗な女性だったと想う。雪で濡れた黒髪、濃いめのサングラスをかけて、口にはタバコが咥えられていた。ワイシャツはずぶ濡れになっているが、それを気にしていないようでタバコを吹かしている。
「……あなたは?」
「人に尋ねるときはまず自分から――ってあたしかそれは。あたし、サクラ。東堂サクラ。で、君は?」
「……
「
豪快な人だ。見ず知らずの人にここまで話しかけられる人は早々いないだろう。これがいわゆる陽キャと呼ばれる人種だろうか。あまつさえ、あだ名を一瞬で思いつき、了承なしで呼び始めるところなど尚更だ。
これまで僕の人生で会ったことのない種類の人に、少しだけ気圧された。
彼女――サクラさんは雪に振り回される民衆を見て、ニコニコと笑っている。何がそんなに面白いのか気になった。普段の僕ならこんな女性に声をかけるなど絶対にしないのだが、どうしてだろう。今日は声をかけたい気分だった。
「何がそんなに面白いんですか?」
「ん〜? 雪に振り回されてる人を見て何が面白いのかって? そりゃあ面白いよ。普段とは違う姿を見られるでしょ?」
「人間観察って奴ですか?」
「そーそー、人間観察。やり始めると止まらなくなるんだよね〜。特にみっちーみたいな子を見つけるとさ」
「……僕みたい?」
はて、僕の一体どこが面白いのだろう。平々凡々な人生を送るだけの普通の高校生という人生のどこが面白いのだろう。
身嗜みがおかしいのか。さては変な顔でもしていたか。見返し、思い返してみたがそれらしいものは思い当たらない。普通。それが僕なのだ。
そんな僕を見て面白いというサクラさんの感性は果たして普通のものだろうか。
「いかにも普通。あからさまに普通。これ以上なく普通。ザ・普通。そういう顔してずぶ濡れの少年を見てるとさ。人生は普通には行かないものなんだぞ〜って言ってやりたくなるんだよ」
「なんですか……それ」
「いやいや年上のありがた〜いお言葉よ? ほら、よくいうでしょ? 今がどれだけ苦しくても明日はきっと輝いて見えるとか。今日の努力が明日の自分を作るとか。ああいった身も蓋もない言葉。若者が嫌う言葉第一位! みたいなの」
元気なそぶりで人差し指を立てて一位を強調する。確かに僕は今挙げられた言葉が嫌いだ。どれだけ努力しても報われないときは報われないし、輝かしい未来より今を手に入れたいと想う。それが普通だ。だから僕は普通なのだ。
サクラさんは飄々としていながらも、堂々としていた。まるで経験豊富であると言いたげで、僕を見下している態度にはえも言えぬものがある。
しかし、サクラさんの言っていることも一理ある。僕の人生なんてほんのまだ十数年だ。これから先のことはわからない。もしかしたら普通だと思っていた日常が普通でなくなることもある。
「……いつか普通でなくなる日が来るのなら、僕は歓迎しますよ」
「いやいやみっちー、違うよみっちー。普通は手に入るものじゃなくて、手に入れるものだよ? 追いかける対象を、君はもう持ってるじゃない。捨てるなんてもったいな〜い」
「普通はただ退屈なだけですよ」
雪はまだ降っている。遠くからバスのライトが見える。ここのバス停に停まるバスだ。僕は乗らないが、サクラさんはおそらく乗車するだろう。
ここでの不思議な出会いはこれでお終いか、と。そう思ったとき、サクラさんが雪の舞う空の下に飛び出して、雪と戯れ出した。
タバコの煙と白い吐息、舞振る雪が共に踊っているようだ。
「普通を楽しめ、みっちー。何をどうしても普通であってしまうなら、それを楽しまなきゃ損でしょ。だから楽しもう。こうやって雪に塗れて濡れるのは普通。でも楽しい。これで風邪をひいたらもっと面白い。ああ、人生は何て普通に塗れているんだろう。その拭い去れない普通を楽しめるようになったら、その人の人生はきっと――薔薇色よりも鮮烈になるんだろうね」
「普通を……楽しむ」
ただ過ぎ去るだけの日々に意味を持たせる。楽しいという意味を。
初めは難しいだろう。でも、サクラさんの言うようなことができたなら、僕の明日からの人生はきっと今日よりも華やかになるのやもしれない。
バスが停車する。開かれた扉に飛び込むようにサクラさんは乗車した。一瞬くしゃみと一緒に捨て台詞を置いていって。
「クシュンッ。こりゃ、風邪ひくかな〜? じゃあねみっちー。いい時間潰しができたよ。普通の少年。いいじゃない。楽しもうよ。せっかくの人生なんだからさ」
「あ、ちょ――」
バスの扉が閉まる。発車してしまったバスの背を見ながら、僕は最後に言われた言葉を反復する。
普通を楽しむ。僕にそんなことができるだろうか。
その日以降、僕がサクラさんに出会うことはほとんどなかった。
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