第4話 レモンの香りと合格への道

 受験勉強のラストスパート。


 高校3年生の涼太は、第一志望の大学に向けて勉強漬けの日々を送っていた。しかし、思うように集中できない。机に向かっても、気づけばスマホをいじってしまい、SNSのタイムラインをスクロールする指を止められない。


 「やばい、あと30分しかない…」


 焦る気持ちとは裏腹に、頭はぼんやりしたまま。眠気と倦怠感が襲いかかり、やる気が霧のように消えていく。


 そんな涼太を見かねた母親が、ある日、彼の机に小さなアロマディフューザーを置いた。


 「レモンとローズマリーの香りよ。集中力を高めるのにいいってテレビでやってたわよ」


 「……香りで勉強できるなら、誰も苦労しないよ」


 涼太は鼻で笑った。だが、母親は「騙されたと思って使ってみなさい」と軽く言って、部屋を出ていった。


 (まぁ、どうせダメ元だし……)


 スイッチを入れると、フワッと柑橘の爽やかな香りが広がった。レモンのシャープな酸味とローズマリーの清涼感が、疲れた頭にスーッと染み込むようだった。


 涼太はゆっくりと深呼吸をする。


 ――スッとする。


 心なしか、さっきまでのぼんやりした感じが消え、少しだけ頭がクリアになったような気がした。試しに問題集を開き、数学の問題に取りかかる。


 ……手が止まらない。


 気づけば、いつものようにスマホに手を伸ばすことなく、淡々と問題を解き続けていた。


 (あれ……? なんでだろう、いつもより頭が回る)


 時間を忘れ、集中して解き進めるうちに、気づけば2時間が経過していた。


 (たった香りひとつで、こんなに違うのか?)


 それから、涼太は勉強前に必ずディフューザーをセットするようになった。レモンとローズマリーの香りが漂うと、自然とスイッチが入るのだ。


 ◇◇◇


 迎えた試験本番。


 大きな会場には、緊張感と鉛筆の走る音だけが響いている。試験開始の合図が出ると、周囲の受験生たちが一斉に問題用紙をめくった。涼太も深く息を吸い、ペンを握る。


 だが――


 (……ヤバい、手が震える)


 目の前の問題が、急にぼやけた。どこから解けばいいか、頭が真っ白になる。


 涼太は、ポケットの中のハンカチをぎゅっと握った。そのハンカチには、家を出る前にディフューザーのレモンの香りを移しておいた。


 スッ――


 鼻に近づけ、静かに香りを吸い込む。


 爽やかなレモンの酸味と、かすかなローズマリーの青い香り。


 それは、何度も机に向かい、何度も問題を解いた、自分の努力の証の香りだった。


 (大丈夫。俺はやれる。)


 落ち着いた心で、ペンを走らせる。


 ◇◇◇


 数週間後。


 ポストに届いた封筒を開き、涼太は息を飲んだ。


 ――「合格」


 「……っしゃあ!」


 思わず拳を握る。部屋に戻ると、机の上のディフューザーに目をやった。あの日、母親が何気なく置いていったもの。


 レモンの香りが、静かに漂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る