File:01 戸森箍音 その②
04
「禁煙するって言ってなかったか」
山の中腹に位置する【クロクニクル・クレイドル】、その野外喫煙所にて。
白く細い煙を吐き出していた樹は、急に背後からかけられた声にビクリと。
「げ、
「げ、ってなんだよ」
苦笑いを浮かべながら振り返ると、そこにいたのは針金細工のような、特徴的なシルエットをしたスーツの男――先程まで会議室で顔を合わせていた、上司の相模原が細い銀縁眼鏡の奥から鋭い眼光を樹と、彼女が指先に持つ煙草に向けていた。
「あはは。バレちゃいましたか、すいません」
「別に咎めてるわけじゃないんだが……隣いいか」
「あ、はい。どうぞ。というか、誰の場所でもないので」
ギャグみたいな等身の男は、一言「邪魔するぞ」と。
スーツから煙草を取り出し、いかにも値の張りそうなライターで火を点ける。
どう見ても怒っていそうな雰囲気を纏っているが、言葉通り本当にそんなつもりはなかったのだろう。ただ顔つきが若干怖いだけで、理不尽な人でないことは知っている。
だから咎められたと思うのは。そんな風に思ってしまうのは。
自身に疾しい気持ちがあるからだと、自覚しているから少し気まずい。
「禁煙はしてましたよ、三ヶ月くらい」
「最近ここで見かけなかったもんな」
「まぁ、未成年の子と暮らすわけですから、やっぱり悪影響かもしれないなって。私もヘビースモーカーじゃないですし、在宅が増えれば自然と止められるだろうなって」
だけど無理でした――先端の火を消し、灰皿スタンドの奈落へ煙草を落とす。
「もっと色々なストレス解消法、知っておくべきだったかもです」
随分久しぶりに摂取するニコチンは、やはりきつく脳を揺らして、足元を多少覚束なくさせていたが――けれど樹は、ほとんど無意識に近い手つきで。それが礼儀だとでも言うように、二本目を咥えて火を点けると。
「……今回の作戦、相模原さんは成功だったと思いますか」
「成功でいい。『
「いや……そう、ですね。そうですけど……はぁぁ」
そのどこか自罰的な吸い方に、相模原は眼鏡の奥の目を細める――さっきまで会議室で議論されていた内容の繰り返し。自分が立案した作戦の評価が気になるのは当然のことだ。まだ若い彼女のことなら尚更、それが出世に響くこともあるのだから。
「……第二の継承者のことか」
けれど、彼女の言葉の意味するところが、それとは全然違うことくらい。
気にしているのが評価でないことくらい、顔を見ればすぐに解った。
「怖いんです。慣れるしかないのも、いつか慣れてしまうことも」
「あの子は、あと何回戦えるんだ」
「ハッキリとはわかりません。次が最期かもしれないし、まだまだいけるかもしれない。だけど最後までは――そうですね、たぶん無理だと思います」
二人が同時に見上げた空、ぼんやり輝く光の数は残り七つ。
王冠、知恵、理解。三つの『
七、あるいは八の『裁定者』が、人類を試そうと降臨する。
それは決められた未来であり、覆らない預言であり。
魔法少女に、逃れられぬ運命を――ただ背負わせる。
「……嫌なこと訊いてもいいですか、相模原さん」
「お前は自分が正しいと思っているのか、だろ」
質問を先取されたからか、樹は少し驚いたような表情で相模原を見た。
相変わらず無表情を貫いたまま、相模原も二本目の煙草に火を点ける。
「正しいか、正しくないかで言えば、俺たちはどこまでも正しい。正しいことをしている。何も間違ったことはしていない。これはそういうシステムで、それで人類が生き残っている以上、自分たちは正しいと思った方が精神的に楽だ――なによりそう思っていなければ、それは見送ってきた彼女たちに対する侮辱になる」
「それは、そうかもですけど」
「だからこそ、死んだら間違いなく地獄に落ちる」
細く白い煙が二本、空に吸い込まれて消えていく。
晴れ渡った空に、生命樹は煙に巻かれながら、ただ存在している。
空の樹が無くなった時、はたして自分たちが、どれほどの犠牲の積み重なった上に立っているのか――想像すると地獄なんて場所すら、生温いのかもしれない。
「地獄ですか」
「これは俺の個人的な見解だが、そもそも誰かの命を捧げなければ存続し得ない世界に、存在価値なんてモノは欠片も無い。宇宙意思様だかなんだから知らんが、この裁定が始まってしまった時点で、そいつらにはとっくに救い難い生命だと思われてたってことだ」
「……それでも人は、きっと生きたいと願いますよ」
「そりゃそうだろう。生まれたからには生きたいだろうさ。だから俺たちは、俺たちの役目を全うしなくちゃならない。あの子たちに命を捧げてもらってでも、この世界を守らなくちゃならない――生きたいと思うのは、あの子たちだって同じだろうに」
16年前、東京に落下した隕石に刻まれた、十の試練の光。
宇宙意思を名乗る妙な存在が告げた、数年後に始まる裁定の予言。
滅びを受け入れるか、試練に合格するかの二択を突きつけられて。
星と霊長の潜在意識は選んだ。この星の、人類の歴史を、紡ぎ続けることを。
だから魔法少女は生まれ――そして光を受け継ぎ、やがて消えていく。
「代われるもんなら代わってやりたい、なんて同情はただの傲慢だ。人にはそれぞれ役目がある。あの子たちの役目は、あの子たちにしか果たせない――そのうえでいつか地獄に落ちた時、先に逝った彼女たちに悖らぬように、顔向けできるように最善を尽くす。それが俺たちの仕事で、果たすべき“正しさ”だと、俺は信じてる」
天蓋の向こう側から、意味のわからない連中に睨まれた人類の。
どこまでも浅はかで自分勝手な夢を、終わらせない為に。
「
「……魔法少女に寄り添うこと、です」
「そうだ。防衛省秘匿特殊課対終末部魔法少女係精神保健福祉担当、それがお前の仕事で、それがお前の成すべき“正しさ”だ。人は結局、己に与えられた仕事をこなすしかない。後悔も罪悪も今は取っておけ。気に病むな、とは言わん。だが引き摺るな。表に出すな。そして忘れるな――彼女たちもまた、俺たちのことを忘れはしない」
灰皿に煙草の先端を押しつけ、相模原は大きな溜息を一つ吐いて。
一瞬視線をやった腕時計が示す時刻は十七時――そのまま隣で俯いている、樹の頭をワシワシと、むしろガシガシと乱暴に撫でた。気遣いもへったくれもない撫で方だった。
「うわっ、ちょ! なにするんですか! セクハラ!」
「今日はもう帰れ。残りは俺たちでやっておく」
「ダメですよ! 普段から在宅で報告書作成くらいしかしてないし、それに今回の作戦立案は私です! 久しぶりに出勤できたんですから、ギリギリまでは粘らせて下さい!」
「粘ろうとするな、アホか。いいから帰れ。さっきの話じゃないが、ここじゃないお前の戦場で、お前の役目をしっかり果たしてみせろ。何をするにもまずはそこからだ――忘れるな。お前は『魔法少女の同居人』なんだろ」
グッと、言おうとした何らかの言葉を呑み込んで。
既にフィルターに到達していた炎をグリグリと金網に押し付けて。
「では――
「おつかれさん、ちゃんと臭い消してから帰れよ」
「はい! ファブリーズぶちまけてきます!」
どこか微妙にズレているような言葉を、樹は相模原に返して。
ビシリと気合の入った敬礼を一つ、くるりと踵を返して駆け出した。
「おっとぉ」
「わっ!? ごめんね
その途中、入れ違うように現れた三峰と衝突しそうになりながら。
慌しく去っていく背中を怪訝そうに見ていた三峰は、ふと相模原に気付くと。
「お疲れさまでぇーす……っと。月見里さん、もう上がりですか」
「いや、これからだ。あいつの仕事は、家に帰ろうがずっと続く」
「そっすね……なんかいいことでもあったんですか、相模原さん」
「あぁ? なんだよ、その曖昧な言い方は」
「いや、なんか嬉しそうな顔してたんで。僕の錯覚かもですけど」
その言葉に虚を突かれたような、あるいは自覚すらなったような。
不思議な情動の正体を言い当てられたような気がして、相模原は三本目の煙草に火を点け――さすがに吸いすぎかもしれないとは思いつつ、空に向かって白い息を吐き出すと。
「――いいこと、か」
相模原は覚えている。16年前のあの日から、ずっと覚えている。
隕石が東京に落下し、およそ80万人の命が奪われた『天の落日』事件。
大きなクレーターのど真ん中、砂埃の靄越しに妖しく煌く十の光。
爆心地付近で見つかった唯一の生き残りは、まだ少女と呼べる歳で。
家族も友達も、何もかも。一瞬にして命以外の全てを奪われた、地獄の生き証人を。
強烈なショックで記憶が抜け落ちてしまった、真っ白な髪をした人の抜け殻を。
救助に来た自分をジッと見つめた、伽藍洞のように虚ろな瞳を――今でも、鮮明に。
「なんでもない」
「そっすか」
あの時の少女が、今や魔法少女に一番近い存在となり、日々思い悩んでいる。
そう考えると、不意に「もう十六年も経ったのか」と思えて――そして。
同じくらい「まだ十六年しか経ってないのか」と、消えゆく煙に馳せた。
05
「うえぇっ!? もう帰ってくるんですか!?」
干していた洗濯物を取りこんで、入れ替えるように新しいのを干してからしばらく。
少し甘い誘惑に負けてしまって――つまり微睡から昼寝を敢行してしまった
専用のものに設定しているから、かかってきた瞬間相手が判るというのに。
飛び起きて通話ボタンを押した箍音は、通話口の向こうの人物に驚愕していた。
『うん、仕事早く終わったから! 今から三十分くらいで帰るよ!』
「あ……そ、そうですか……そっかぁ……」
『……箍音ちゃん?』
樹が帰ってくる、それ自体は嬉しいけれど――箍音は部屋を見渡す。
掃除機だってかけてないし、夕飯の用意どころか準備すらできていない。
三十分とは言うが、かなり多めに見積もってのことだというのは知っている。
呑気に昼間で寝ていた挙げ句にこのザマでは、と言葉に詰まっていた箍音に、
『もしかして都合悪かったかな? それなら戻るけど……』
「えっ!? いや! 違います! そういうのじゃなくて!」
『じゃあどうしたの? なにかあった?』
そう言って、あまりにも悲しそうな声を聴かせてくるものだから。
観念した箍音は、正直に今の状況を白状することにした。
「寝坊しちゃったじゃないですか。だから夕飯の準備とか、掃除とか、せめてそれくらいはやっておこうと思ってたんですけど、まだ何もできてなくて」
『……そっか』
無意識のうちに、箍音はギュッと拳を握り締めていた。
呆れられてしまった、と思うと声が震えた。
呆れられたくない、と思うと頭が真っ白になった。
決して表には出さないだろうけれど。決して態度には出さないだろうけれど。
それでも、怖い。樹に嫌われてしまうかもしれないことが。
嫌われるんじゃないかと、疑ってしまうことが――とても怖い。
「だからっ……本当に、ごめんなさ」
『おっけー! なら一緒に作ろっか、晩御飯!』
「い――ぇ、あの」
『もう三ヶ月くらい経つけど、そういえば一緒にご飯作ったこと無かったもんね! ほら、私の料理ってなんというか、大概雑でしょ? 箍音ちゃんから教えてもらいたいこと、結構いっぱいあったりするんだけど――えっと、ダメかな?』
「ダメ、じゃないです……ないですけど、その……怒らないんですか?」
『怒るなんてそんな。私だって洗濯物とかほとんど箍音ちゃんに丸投げしちゃってるし、むしろ私の方が大人なのに呆れられてないかなーって、常々思ってるくらいだよ』
硬く握り締めていた拳が、いつの間にかふっと解れていた。
呼吸は落ち着きを取り戻し、頭の中には彩が溢れ始めていた。
『それに私、知ってるから。私が仕事しながら寝ちゃった時、箍音ちゃんがこっそり毛布掛けてくれたことも。朝のコーヒーに入れる砂糖の量、私好みに調節してくれてることも、全部――その分、私もちゃんと返せるようにならなきゃって、ずっと思ってたんだ』
「そ、それなら私だって! 仕事があるのにお弁当作ってくれてたり、いつの間にか洗い物全部済ませてくれてたり! 今日だって寝坊したこと、何も言わなかったり――ずっとお世話になりっぱなしだから、せめて今日くらいはって」
そんなやり取りの後、やがてどちらからともなくプッと噴き出して。
電話越しに共鳴する笑い声が、どうしようもなく愛おしくて。
さっきまで冷たく感じられた胸の奥が、火が灯ったように熱くなって。
添えるように置いた指先に、響く鼓動が心地良くて――箍音は思わず微笑む。
『そう、一緒に暮らすって、たぶんこういうことなんだよね。お互いに足りないところを補い合って、二人だからできることも沢山あって。そうして知り合ったお互いのことが、いつか大切な、掛け替えのない思い出になっていくんだと思う。私にとっても、箍音ちゃんにとっても』
「……はい。私も、そう思います。もっとたくさん、樹さんを知りたいです」
『だから一緒の思い出、いっぱい作ろう。色々なことをして、色々なことを思って……いつまで経っても、忘れられないくらい沢山作ろうよ。お互いに、遠慮なんてしないで』
じゃあ高速乗るから一旦切るね、と。有無を言わさず切れた通話の向こう。
やたらと早口だったような気がするのは、おそらく照れ隠しだと判断して。
「私たちの、大切な思い出」
ポツリと零した言葉に、箍音は一人頷く。
電話が切れても鼓膜の奥、まだ声が響いている気がした。
三十分程度の時間がやけに長く、待ち遠しく感じられた。
「あぁ、そっか……そういうのでも、いいんだ」
こんな些細な感情が蓄積して、固まって、やがて。
手放そうとしても手放せないくらい、大きく愛しくなっていく。
それがきっと、生きるということなのだろう。
それがきっと、刻み込むということなのだろう。
この世界に――意味を遺すということは、きっと。
「……好きです、樹さん」
そっと目を閉じて、確かめるように箍音は呟いた。
誰に聞かせるわけでもない言葉は、部屋の中に溶け去っていった。
まだ直接は言えないけれど。まずは「おかえりなさい」が先だけれど。
いつか言えるようになるまで。いつか自分が、いなくなってしまうまで。
この願いと一緒に――最期まで、諦めずにいられる。
それから箍音は、スマホをテーブルに置いて離れる。
調子外れの鼻歌を奏でながら、浮かれた足取りでキッチンへ。
今日という日がなんとなく、いつもより楽しく終われそうな予感と共に。
冷蔵庫の中に何が残っていたか、彼女と何が作れるのか、確認するために。
06
魔法少女――それは少女から少女へ、受け継がれる光。
星と霊長の潜在意識が生み出した、選ばれし運命の輝き。
全てを護れる代償として、彼女たちは命を燃やし尽くす。
生命を魔力に変換し、やがて空の向こうへ溶けて消えるまで。
今から三ヶ月前、最初の継承者から第二の継承者へ。
名前すら知らない少女から、
そしていつか箍音が――名前も知らない誰かに、繋いで逝く運命。
ヘレディライザーは静かに、翡翠色の光を湛えていた。
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