File:01 戸森箍音 その①
「ここ、は……?」
気付くと不思議な場所にいて、ぼうっと佇んでいた。
秩序的に積み上げられた石を染める草木の色。
誰も通らなくなって久しい黒ずんだ地面の色。
絵に描いたようにパッキリとした、不気味な空の色。
古代神殿の如き神秘性を感じさせながら、どこか映画のセットじみた偽物を漂わせる場所に。その中心で何かを待つように、
これで二度目だったかもしれない。あるいはこれが最初だったかもしれない。
しかし此処が何処であるのか、それだけはなんとなく知っていて。
同時にまだ――自分がいていい場所ではないことも、知っていた。
「……あぁ、そういうこと」
お節介なんだね、と。箍音はふと重さを感じた掌に視線を向ける。
それは埋め込まれた水晶が淡い翡翠色の光を放つ、白く細長いアイテム。
継承器・ヘレディライザー――魔法少女に選ばれた人間が手にする、神秘の光。
そういえば昨日は使い過ぎてしまったな、と今更になって思い出した。
光が明暗と、まるで心臓のように鼓動し続ける水晶は、最後に見た記憶より幾分か輝きを増している気がして――それが何を意味するのか、よく理解しているからこそ。輝きをそっと手の平で包み込む。肌に感じる仄かな温もりを手放さないように、逃がさないように。
「……まださ、もうちょっとだけ待ってくれない?」
箍音が呟いた言葉に、しかしヘレディライザーは何も答えない。
あるいは最初から、返す言葉なんて持たないのかもしれない。
「あともう少し……ううん、まだまだ。まだまだ、私は戦えるから」
初めてこの場所に足を踏み入れた時から。
初めてこの水晶が放つ光に触れた時から。
ここに呼ばれるその意味は、誰より理解できている。
魔法少女――少女から少女へ、受け継がれていく光。
星の意識と霊長の意識が生み出した、世界を護る運命の輝き。
たった一人で“裁定者”と戦えるほどの力の代償とは、つまり――
「――だから、もうちょっとだけ待って」
強く抱き締めた光は、やはり何も答えることなく。
ただ夢が覚めるまで、静かに箍音の胸で灯り続けた。
01
「――んぁ」
箍音の瞼を開かせたのは、カーテンの隙間から差し込む陽光だった。
半端に開いた微かな透明が貫通させる光は強く、鬱陶しいくらい夏の彩りをふんだんに含んでいて、箍音はちゃんとカーテンを閉じなかった昨日の自分を呪う。
「……はれ?」
呪うとほぼ同時、そんなことってあるのか、と一人心地に首を傾げる。
漏れ出た声は舌っ足らずで、四肢も緩慢な動作が精一杯。起き抜けの脳は未だ覚醒の兆しを見せず、推理ごっこをするには些か賢さが足りないものの、今の状況が不思議を成していることくらいはなんとなく理解できた。
この部屋に陽光が差し込む時間。太陽が元気いっぱいになる時間。
部屋の外が、不自然なくらい静かな――そんな時間。
「いま、なんじ……――っ!?」
そうして言葉にした瞬間、一気に脳が目を覚まし、弾かれたように箍音はベッドから飛び出した――そのまま着地に失敗して転がり落ちるような結果にはなったが、逆にその痛みが完全なる覚醒を彼女にもたらしたのは、むしろ幸いと言うべきだったのだろうか。
充電しているスマホは見ない。見なくていい。見なくても解る。
時刻などわざわざ確認せずとも、体感で確信できる――寝坊した。
「っ、やばい! やばい、やばい!」
ドタドタと、騒がしい音を立てながらドアノブに手をかけ、しかし。
箍音はクルリと踵を返して、机の上の小さな鏡を覗き込んで確認する。
爆発に巻き込まれたみたいな寝癖のひどい頭。半端に開いた瞼と、目脂が付着した目元――文句無しに失格点だ。これでは文字通り合わせる顔がない。
「こ、こんな時に限って……!」
慌てて手櫛で整えつつ、もう片方の手でティッシュを毟り取る。どうやら化粧液すら使わず眠ったらしい肌に、つくづく昨晩の自分のずぼらさが嫌になってきて。
――そりゃ、あの人はきっと、何も言わないだろうけれど。
寝坊したところで、手入れが杜撰だったところで、あの人は。
嫌な顔一つせず、いつも通りに笑いかけてくれるだろうけれど。
きっと気にもしないだろうけれど――それとこれとは別問題、なのだ。
「うん、うん……とりあえずヨシッ!」
なんとか及第点くらいにまで立て直せた自分と目が合う。
ハイライトが薄く差した瞳の下、隈が若干濃く見えるのは気のせいだ。
拭い切れていない疲れは、まだ「昨日の今日だから」で誤魔化しが効く。
そのまま箍音は呪文のように、言い聞かせるように呟いた。
「大丈夫、大丈夫……」
同情や憐憫で、特別扱いしてほしいわけじゃない。
欲しいのは、手に入れたいのは、そんなものじゃない。
「……まだやれるよ、箍音」
もっと世界中にありふれて、笑っちゃうくらい当たり前で。
それでもたった一つしかない――そんな特別が、私は欲しい。
「おはようございま――……す」
勢いよく自室の扉を開け放った箍音を迎えたのは、やはり人気のない静寂。
まだあの人がいるかもしれない、と。そんなの本気で思っていたわけじゃない。
でも陽光がやけに明るいリビングに、蔓延る空気がこうもはっきり自分以外の不在を証明してくれると――誰に呆れていいのかわからなくなって、箍音は思わず髪を掻き上げた。
「……ま、そりゃそうか」
目に入った壁掛け時計が示す、現在の時刻は十三時ちょっと過ぎ。寝坊をするにも限度がある時間とくれば、今この場所には箍音しかいなくて当然だった。
そもそも昨晩のタコパの時点で、次の日に後処理があることは伝えられていたけれど。
それはいくら魔法少女であるとはいえ、自分のような何もできない子供がお呼ばれするようなものではないとは、知っていたけれど。
「別に起こしてくれても、よかったんですよーっと……ん」
テーブルの上に置かれた小さなメモに、記された伝言は『お昼は冷蔵庫にあるから食べてね』と簡潔で。しかしこれで、別に怒っているわけではないと理解できるのは――むしろかなり心配が滲み出ていることを解るのは、単に三ヶ月余りの同居生活が続けばこそ。
大きく伸びをした箍音は、溜息を吐きながら電気を点ける。
無駄に広々と大きな部屋を、隅々まで人工的な光が照らす。
キッチンの水切りに並ぶ皿は二つ。柄付きのグラスの数も二つ。
他者の存在を望んでいる者が、ひとりぼっちの自分がここにいる。
「……にへへ」
孤独なままでは決して味わえない寂寞が、箍音の心を擽ってニヤつかせる。
朝は寝坊してしまったので夕飯は私が担当しよう、とか。
急ぎの身でありながら昼食を用意してくれたなんて嬉しい、とか。
夜に疲れて帰ってきた彼女にかけるならどんな言葉が相応しいか、とか。
誰かと二人で暮らしている実感が、今更ながら改めてふつふつと湧き上がってきて――どこか誇らしいような、同年代の誰より先に少し大人になってしまったような。
優越感にも似た気後れは、直前まで抱いていた憂鬱なんて軽く吹き飛ばしてしまう。
「っしゃあ! 切り替えてくぞぉっ!」
すっかり嗅ぎ慣れた他人の匂いを吸い込んで、頬をぴしゃりと叩いた箍音は吼える。
それは例の彼女が気合を入れる際によくやる、所謂“癖”と呼ばれるものであり。
無意識にやってしまったのはつまり、癖の感染というやつになるのだが。
気付いた魔法少女が赤面し悶絶するのは、それから数秒後の出来事であった。
02
「――くしゅんっ!」
狭い会議室に、くしゃみの音が破裂すれば当然響く。
それが重苦しい沈黙を破るようなモノだったのなら尚更――一斉に振り向いた全員に見つめられ、
防衛省秘匿特殊課対終末部拠点、通称【クロニクル・クレイドル】。
碧く燃える山の中に存在するそれは、一見すると巨大なダムにしか見えない。
まさかその内部で、今日も人類の存亡を賭けた会議が行われているとは。
この裁定における生命線が眠っているなどとは――きっと、誰も思わないだろう。
「どうした月見里、風邪でも引いたか」
「いえ、違います……すいません……」
「ならくしゃみついでに今回のまとめを頼む」
そう言って眼鏡の位置を直した上司、
集った対終末部のメンバーの視線を一身に受けつつ、いつも通り己の所感を紡ぐ。
「個人意見ですが、今回は成功と言っていいんじゃないでしょうか」
「そりゃ失敗してたら会議どころじゃないですもんね」
「し、しかし『
「四割程度で済んだんだ、むしろ御の字だろ」
「結局、やつらには通常兵器が一切効かない、ということでいいのか。場合によってはシステムそのものを見直さなければならなくなるわけだが――
「それに関してはなんとも……今回はそもそも届いてすらいませんから、直接当たってからでないと、やはり結論らしい結論は出せなくてぇ……
「通常兵器による直接攻撃なら、既に【ザ・ファースト】相手にやってるでしょ。ヘルファイアあれだけぶつけて死なないやつを、僕は生き物にカテゴライズしたくないですね。これでまだ“効果あり”なんて思ってたらお笑いですよ」
「
「私も同意見ですね。何より魔法少女の負担が大きすぎます。本当に効果がないかどうかは兎も角、牽制として使用できるなら運用し続けてもいいのでは」
「しかし早急に結論を出してもらわないと、それはそれでこっちも交渉に困る。某国なんか核兵器を試してみたくてうずうずしているぞ。チンタラしている間に日本が焦土になれば、次からどんな顔して墓参りに行けばいい」
「その時は僕たちも向こう側でしょうし、心配ないと思いますけどね」
「どのみち合わせる顔がないって意味じゃ変わらんな」
「あぁ、そうそう。そういえば前から解析に回してた【ザ・ファースト】の肉片ですけど、結果出たんで紙にまとめときました。手元のやつの7ページくらいから」
「これか。春先のやつだろ、随分かかったな」
「どこもかしこも暇じゃないですからね。よくわからん生き物のゲノム解析を、無償で手伝ってくれる研究所なんてなかなかないですよ――結論から言うと『裁定者』のゲノム配列は、虫のそれと非常に酷似してることが判明しました」
「じゃ、じゃあミサイルに殺虫剤でも詰めてみますかぁ……?」
「いやいや、酷似してるってだけで虫そのものじゃないですからね。それにどっちかっていうと、虫のゲノム配列が『裁定者』のゲノム配列に似てるんです。この世全ての虫ゲノムを包括してる、って言ってもいいかもしれません。始祖ですよ、まるで」
「ハッキリしたのは、得体の知れない巨大生物であることくらいか」
「それも進化する巨大生物ときたもんだ――これもまぁ厄介だな。月見里の予言が的中してしまった以上、いよいよ目を逸らすわけにもいかなくなった」
「攻撃無力化まで来ましたからね。もう絶対バレてますよ、戸森ちゃんの固有魔法。次はいよいよ攻撃そのものが当たらなくなったりして……いや、冗談ですってば。そんな怖い顔しないで下さいよ、嬉野さん」
「わ、笑い事じゃないですよぉ……! 対策されちゃったら、いよいよ私たちに勝ち目ないじゃないですかぁ……!」
「私たちに勝ち目がないのは今も同じだ。いっそ白旗でも発注しておくか?」
「え、荏原さんまで……!? ダメ、ダメですよぉ……! た、箍音ちゃんがしっかり戦ってくれているのに、私たちがそんな弱腰じゃ、ダメですぅ……!」
「伝染するからね、その手の感情って。思わないわけじゃないけど」
「あ……そ、そういえば例の要監視サイト、今回も更新されていましたねぇ……や、月見里さんはもうチェックしていますかぁ……?」
「え? いや、まだできてない。というかもう? 早くない?」
「昨日の今日ですよ。あり得なくないですか」
「俺もさっき確認したから本当だ。昨日の戦いをほぼ一部始終、あらゆる角度からバッチリ写真に収めてやがる。カメラ片手に『街』を駆け回って、誰にもバレないようすぐに撤収。帰宅後すぐ更新したんだとしたら、まぁ随分なヤリ手がいたもんだ」
「よっぽどの恐れ知らずですね。特定できないんですか、そいつ。そりゃ別に悪いことしてるわけじゃないですけど、あんまり好き勝手されたら僕らの立場ないですよ」
「は、はい……こっちも頑張ってはいますけどぉ……やっぱり、国外サーバーを複数経由されると厳しいですぅ……。情報部的にはもうちょっと本気出せば捕まえられそうですけど、どうしますかぁ……?」
「下らん。誹謗中傷が渦巻いているならまだしも、ただただ純粋なファンサイトなのだろう? わざわざリソースを割くくらいなら今まで通り放置でいい。こんなアノニマスより、むしろ急ぐべきは大衆向けの報道――マスコミ連中の躾だと思うが」
「私も今はそう躍起になる必要はないんじゃないかと。荏原さんも言ってるみたいに、魔法少女の身元の特定や誹謗中傷をしようという感じは無くて……その、なんというか、申し訳ないんですけど……本当に気持ち悪いくらい、リアルに現れた魔法少女という概念そのものに熱中しているだけっぽいですし」
「ただのオタクじゃないですか、それ」
「ただのオタクで済めばいいが――月見里、魔法少女のネット環境はどうなってる。精神的不可の掛かりそうなものはシャットアウトできてるんだろうな」
「無茶言わないで下さい。インターネット黎明期じゃないんですから、完全に切り離すなんて不可能です――今の子って大変ですよね。膨大な情報量と紙一重の悪意の中から、毒も薬も自分で選別しなきゃいけないんですから」
「他人事みたいに言ってくれるな」
「みたいもなにも、実際他人事ですよ」
珍しく冷たい、どこか突き放したようなモノに聴こえたからだろうか。
少し驚いたような視線を向ける相模原に、しかし樹は。
自嘲的な笑みを浮かべ、仕事用の声ではっきりと言い放った。
「口では何とでも言えても、私と箍音ちゃんは所詮、ただの他人ですから」
03
「あ、更新されてる」
同時刻――魔法少女宅、低い唸り声を上げるドラム式洗濯機の横で。
凭れかかりながらスマホを弄る箍音は、ちょうどそのサイトを見ていた。
名は『魔法少女ちゃんを応援するブログ!』――どこの誰が更新しているのか知らないが、最初の『裁定者』の顕現からずっと、現場に赴いて写真を撮影しているらしい物好きの個人サイトである。
自分が魔法少女だとSNSでアピールすること。
通販サイトに元住所と現住所を刻むこと。
今の箍音はその二つこそ厳しく禁じられているものの、ネットサーフィンに関しては意外と緩く――というよりは制限し切れないから匙を投げたのだろう――故に学校に行く時間が無くなった彼女にとって、スマホが一番の友達になってくるのは自然なことだった。
「うわ、うわぁ……うわっ、これあのビル!? ひぇー、滅茶苦茶真下にいたんだ……気付かなかったなぁ……ちょっと恥ずかしいかも」
作戦から半日ちょっとしか経っていないというのに、絶妙なアングルの写真数枚と、眩暈を覚えそうな長文のメッセージで構成された本日の記事は既に更新されていた。認識阻害の魔法が常時発動しているからだろうか、箍音の顔までははっきり撮影できていないものの、魔法少女姿はバッチリ映っていて――例の翡翠色のチャイナドレスっぽい衣装は、改めて客観視すると結構際どい衣装なのではないかと、一人ハラハラしたりして。
読み終えた箍音は応援ボタンを押すと、更に深く洗濯機に身体を預ける。
「……ちょっと嬉しい」
どこかで誰かが自分の戦いを応援してくれているというのは。
ここまで一生懸命に、生き様を記録してくれているというのは。
魔法少女として報われたような、少し救われたような気分になるけれど。
「まぁ、これ私のことじゃないんだよね……」
そう、このサイトはあくまで『魔法少女ちゃんを応援するブログ!』であり、魔法少女の正体――つまり戸森箍音を応援しているわけではない。それはもう仕方のないことだ。
箍音が生きていたこと、魔法少女として戦い抜いたこと。
それを最後まで見届け、覚えていられる人間は。
そんな人間は――やっぱり、この世にたった一人しかいないのだ。
「……ねぇ、訊いていい?」
高音で終了を告げた洗濯機から身を起こし、そのついでに軽く腕を振って。
虚空から呼び出したヘレディライザー、その翡翠色の光を箍音は眺めた。
夢の中ぶりに会った輝きは変わらず、ただありのままの現実を知らしめる。
「あなたはどうして、私を選んだの?」
ポツリと零した問いに、しかし水晶は何も答えない。
むしろ逆に、問いかけるように、箍音の顔を照らし続ける。
どういう理由だったら、お前は納得できるのか――そんな風に。
「……やっぱいいや」
だから、しばらくの後、箍音はヘレディライザーを虚空に戻した。
答えは貰っていないけれど、でもなんとなく解った気がして。
「そういうのって、たぶん自分で見つけなきゃいけないんだよね」
洗濯機の蓋を開けて、籠に放り込むのは二人分の洗濯物。
――この家は、一人でいるにはあまりに広すぎて。
どうしようもないことも、どうにもできないことも。
余計に考える時間が増えてしまうから――だから、なるべく早く。
「樹さん、早く帰ってこないかな」
沢山の思い出と、沢山の記憶を遺したい。
空の向こうに溶けて、消えてしまう前に。
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